いい夫婦の日






 毎朝見かける彼女は朝早くから店の準備に追われている。

花屋というのはこんなに朝早くから働いているんだ、と感心した。

菅原は、いつからかこの店の前を通って学校に向かうようになった。

朝練があるから普通の高校生よりは朝早い。

普通の高校生というのがどういうものなのか、その定義は中々難しいが、彼の所属するバレー部の活動は熱心な方で、毎日朝練はあるし、休みの日は朝から晩まで部活がある。

この地の冬は早くやってきて、そして厳しい。

店内で準備をしている彼女は両手を自分の口元に持っていき、息を吐きかけている。

ふと顔を上げた彼女と目が合って菅原は慌ててぺこりと会釈をした。

彼女は笑顔でそれを返す。

菅原は逃げるようにその場を去って行った。


「おはよー」

部室前でチームメイトに会う。

「おはよう」

口々に返す声に言葉を返しながら菅原は部室に入って行った。

「今日ちょっと遅めだな」

部室を出ようとしていた澤村に声を掛けられて「あ、そうかな?」と菅原はポケットからスマホを取り出して「あ、ほんとだ」と呟く。

「遅れんなよ」

「おー」

澤村の背中にそう返して菅原も慌てて着替えた。

今年入った天才セッターのお陰でレギュラーは外れた。

でも、自分にできることがある。まだ一緒にバレーがしたい。

色々な想いを抱きながら菅原はバレーを続けている。

部活の引退を勧められたこともあったが、続けてよかったと思っているし、後悔することはないと思う。

少なくとも、今の時点では後悔のしようがない。

朝練が終わって部室に引き上げていく途中、マネージャーたちの会話が耳に入る。

「水が冷たくなって大変ですね」

「クリーム塗らなきゃすぐにカサカサになっちゃうわ。いいクリームあるのよ。あとで貸してあげるね」

(水仕事って大変なんだよなぁ...)

マネージャーに感謝しつつ、今朝の彼女の様子を思い出した。

赤い指先に息を吐きかけて。

きっと冷たい水を使っているのだろう。

相手が花だから湯など使えるはずもない。

(痛そうだったなー)

振り返った菅原の視界にはマネージャーたちの姿はなかった。


放課後になって菅原が清水に声をかける。

「なに?」

「今朝、ハンドクリームの話してただろう?」

言われて少し驚いた表情を見せた清水だったが、頷いて「どうしたの?」と返した。

「良かったら、そのメーカーとか教えてくれないかな?」

「いいけど...練習終わったら、メモ渡すわ」

「悪いな」

そろそろアップが始まるため、菅原は体育館の中に駆けて行った。

練習が終わると清水が声をかけてきた。

「潔子さぁぁぁん!」と騒いでいる後輩に冷ややかな視線ひとつもくれてやらず、約束通り菅原にメモを渡した。

「これ、普通に薬局で売ってる?」

「うん。家の近くの薬局にあるから大丈夫だと思う」

「ありがとう」

そんな会話をそわそわとみている後輩に菅原が冷やかな視線を向けた。

「何だよ、鬱陶しいな」

「そ、それ何スか?」

「潔子さんの匂いがしそうっスね。ちょっと匂わせてください」

「お前ら、心底気持ち悪い」

菅原の感想は清水も同様に思っただろうが、やはり完全に無視するという対応を取っている。

学校帰りも時間が遅く、朝も早い。

休みの日くらいしかないなと思い、菅原は次の休みの朝に近所の薬局に言って清水おすすめのハンドクリームを手に入れた。

自分でも使ってみようと2つ購入し、少し使ってみる。

あまりべたつかず、いいかもしれないと思った。


その数日後。

店が開いた後の時間に、菅原は花屋に向かった。

今日は口実があるのだ。

少し、こじつけっぽいがそこは見ないことにする。

「こんにちは」

店先で声をかけると出てきたのは知らないおばさんだった。

(あ、あれ...?)

いつも店で見ているあの女性はどこだろう。

しかし、知り合いでもなければ名前も知らない。

その人の所在を聞くのはかなり不審人物だ。

菅原は肩を落として用事を口にする。

今日はいい夫婦の日ということで、両親に花を贈ろうと思ったと口にした。

「あら〜、親孝行ね」

おそらく、この店はこのおばさんのもので、あの女性はバイトか店員かなのだろう。

朝早いが、そういうシフトなのかもしれない。

小さなブーケを作ってもらって店を出ると、軽トラックが停まった。

「あら?」

声に反応して菅原が視線を向けると、朝、店の準備をしている女性が立っていた。

「こ、こんにちは」

「こんにちはー。今日は部活ないの?」

彼女は笑って言う。

「え?」

「だって、たまにジャージ着て学校に行ってるじゃない。烏野だっけ?」

気づかれていたことに気恥ずかしさと嬉しさが綯交ぜになって複雑な気持ちになる。

「あ、そうだ」

今日来た真の目的を忘れるところだった。

肩から斜めにかけているバッグを漁っていると彼女は不思議そうにそれを見守る。

「これ!」

何とか取り出したそれを彼女に向けた。

清水おすすめのハンドクリームだ。

「朝、あの..手がつめたそうにしてたし。ウチの部のマネージャーが冬は水を使うとすぐに荒れるって言ってたので。そのマネージャーおすすめのクリームなんで使ってみてください!!」

彼女は目を丸くしてそして押し切られる形でそれを受け取った。

「あ、ありがとう」

「いえ」

目的を達した菅原は、ほっと息を吐く。

そして彼女の胸元の名札を見た。“”と書いてある。

「じゃあ、あの。仕事頑張ってください、さん」

達成感に浸りながらそう言った菅原に

「ありがとう。スガくんも部活頑張って」

と彼女が返す。

「へ?」

「私、配達してることが多いのよ。何度か見かけたのよね、スガくんを。友達にスガって呼ばれてたから」

「あ、す、菅原です。菅原孝支です」

「あ、だからスガだったんだね。あだ名かー。私は。また来てね、菅原くん」

「はい。失礼します!」

そう言って菅原は駆け出し、曲がらなくてもいい角で曲がって足を止めた。

「...っし!」

ガッツポーズをする。

彼女の名前を教えてもらえて、名前を覚えてもらって。

今日はなんていい日だろう。

いい夫婦の日らしいので、両親に親孝行でもしようとなんとなく思った。









桜風
14.11.23


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