グラデーション 127





「ありがとうございました」

の母親に家まで車で送ってもらった桃井は車を降りてそれを見送る。

桃井は家に入りながらふと思い出した。

駅で解散したとき、なぜか緑間とが握手をしていた。

「アレだ...」

自分の信じる女のカン。それが、あの光景を思い出させた。

つまり、緑間だ。

電話をしようと思って留まった。

既に12時近い。

今の時間電話をしても通じないだろう。

(明日か...)

もどかしい。

電話でたたき起こして今すぐ行けと言いたい。



翌日、桃井が緑間に連絡を入れることができたのは放課後になってからだった。

朝は朝練があったし、昼休憩はミーティングの時間に宛てられていた。

だから、放課後電話をしたのだが、やはり部活中に携帯は持ち歩いていなかったようだ。

何度電話をしても通じない。

日が暮れかかった時間に桃井の携帯に電話があった。

「もしもし!」

彼女はずっとポケットに携帯を忍ばせていたのですぐに対応できた。

「何度も掛けて来ていたが..どうした?」

桃井はの話をした。

「...なぜ俺に?」

困惑したように緑間が言う。

「私の...女のカン!」

キッパリと言い切った。

「...そうか。これは、俺が預かって良いということなのだな?」

緑間の問いに

「出来れば解決まで」

と桃井が言う。

「約束は出来ん」

そんな緑間の言葉に桃井は苦笑して

「任せたよ、みどりん」

そう言って耳元から電話を離した。

電源ボタンを押す寸前「ありがとう」と緑間の声が聞こえた気がした。

「きーちゃん、ごめんね」

小さく呟き、それでもきっと彼は苦笑して「仕方ないっスね」と言いそうな気がした。



「真ちゃん、帰ろうぜ」

電話を終えて駐輪場にやってきた緑間に、既にスタンバイしている高尾が声をかけた。

「先に帰っておけ」

「へ?」

「寄るところができた」

「え、乗らないの?」

「ああ」

そう言って緑間はスタスタと歩き出す。

「え、ちょっと!真ちゃん?!」

独りでチャリアカーは、ちょっと恥ずかしすぎる...


緑間はの家に向かった。

時間を置かないほうがいいだろう。丁度いい。自分も伝えたいことがあった。

玄関のチャイムを鳴らす。

返事が無い。

部屋から出てこないと言っていた。

(しまった、母親を待つべきだったのよ...)

そんなことを思って、とりあえず、ダメ元でドアノブを回してみた。

開いた。

「全く、無用心な...」

そう呟いて玄関のかまちに腰を下ろした。さすがに家の人に何も言わずに上がることは出来なかった。



うっかりリビングのソファでうたた寝をしてしまったが目を覚ますと、外が少し暗くなっていた。

「ああ、夜か...」

少しずつ練習はしている。

玄関のドアを開けることまではできるようになった。

ただ、まだ外に出られない。

親が心配するのは分かる。友人や先輩達も。

「はぁ...」

溜息をついて自室に戻るためにリビングを出て固まった。

「何..で」

、玄関の鍵が開いていた。無用心なのだよ」

「え、うん。ごめ...気をつける」

言葉を飲んだ彼女に緑間は溜息を吐いた。

「上がってもいいか?」

は少し躊躇ったが言葉を交わしたのに追い返すことも出来ず、コクリと頷いてリビングに戻った。

「コーヒーでいい?」

が言うと

「ああ、ありがとう」

と緑間が返す。

。少し、聞いてもらいたい話があるのだよ」

コーヒーを淹れたが傍までやってきた。

「なに?」

警戒した声音。

「隣に座ってくれ」

2人掛けのソファに座っている緑間が言う。

は仕方なく緑間の隣に座って彼を見上げた。この首の痛さも久しぶりだ。

クスリと笑う。

「?どうした??」

「何が?」

返したの表情を見ると、先ほどの零した笑みは無意識のようだ。

、すまない。前に言った言葉は撤回させてくれ」

突然緑間が話を始めた。

には何の話か分からない。

「俺はどうやってもの事が好きなのだよ」

改めて言われた。

の重荷になるなら、俺がこの想いを捨ててしまえば良いと思った。だからあの時はああ言った。だが、気持ち..感情と言うものは捨てられないものなのだよ」

「捨てられるよ」

どこか歪んだ笑顔でが言う。

「いや、捨てられない」

緑間が正面から否定した。

「捨てたつもりでも、それは自分の中のどこかに閉じ込めているだけなのだよ。だから、たくさん閉じ込めていって蓋が閉まらなくなったら溢れ出す」

の瞳が揺れた。溢れた感情。

形として見えないが、合宿から帰った日のあの時吐き出したかったのは、捨て切れなかった、閉じ込めきれず、蓋が壊れてあふれ出したこれまでの感情だったのかもしれない。

は、これまで難しいこと、答えの出そうに無い、感情に関わる嫌なものは捨ててきたつもりなのだろう?」

緑間の問いには頷いた。

「それではダメなのだよ。感情は自分の中で咀嚼して、昇華していかなくてはならないものだ」

「でも、どうやったら...」

「俺も正直そういうのは得意ではないが、他のやつに譲れるほど大人でもないのだよ。俺に手伝わせてくれないか」

驚いてが見上げる。

「今までが捨てたと思っていた、隠した感情を、一緒に拾って、昇華させよう。それは全部の一部なのだよ」

ポロリと涙が零れた。

それから堰を切ったように涙が溢れて止まらない。

そんなを緑間はそっと抱き寄せて優しく彼女の背を擦る。

「人には得手不得手がある。それ以前に、はまだ知らないだけなのだよ。たくさんある感情の表現方法、感じ方や昇華の仕方。一緒に、ゆっくりでいいから上手になろう」

は声を上げて泣く。

初めてこんなに思い切り泣いた。

勿論、赤ん坊のときのことは知らない。

以前、「ずるくてもいい」と赦してくれたのは、今、不器用に優しく背を撫でてくれている彼だった。

彼は、ずっとずっとの気持ちを守ろうとしてくれた。

「それに、は俺の運命だ。運命は掴むことはあっても手放すことなど愚の骨頂なのだよ。だから、もう離さない。...いいか?」

ぎゅーっと緑間に抱きついてはコクコクと頷いた。

「よかった」と零れた言葉は、緑間の心からのもので、の心にじわりと沁みた。


玄関のドアを開けると大きな靴があった。

旦那の靴かと思ってリビングを覗いた彼女は笑った。

学ランの男子に蝉みたいにくっついて娘が寝ている。彼も、を優しく抱きしめたまま眠っているようだ。

静かに、且つ、迅速にデジカメを取り出して2人の様子を写真に収める。

「絶対、結婚式のときに使うんだから!」

色々すっ飛んだことを呟いている彼女は嬉しそうに笑っている。

娘が帰ってきたのだ。

「あー、何で旦那いないのよ!」

(今なら少しだけ甘えてやっても良いと思ったのに...!)



暫くして目を覚ました2人は面白いくらいに慌て、緑間は逃げるようにの家を後にした。

「これ、大切なものでは?」

の母親が掲げたものは、学生鞄。

「え、ちょっと。緑間くん...!」

はそれを奪うように掴んで慌てて緑間の後を追う。

あの超難関だった玄関を軽々と飛び出し、門も出て行った。

「真太郎君のお陰ってのも、ちょっと詰まんないわねー...」

自分の無力さをさらに際立たされたようで、ちょっとだけ面白くない。



は早足で逃げていた緑間に追いついた。

「緑間くん!」

...」

「これ、重要でしょ」

そう言って学生鞄を渡した。

「ああ、すまない。...出てこれたな」

嬉しそうに緑間が微笑む。

「あ...」

夢中で追いかけたので気付かなかった。そしては微笑み、緑間をまっすぐに見た。

「ありがとう、緑間くん」

心をこめてその言葉を口にする。大切な人に自分の想いを伝えるために言葉を紡いだ。

そんな言葉は必ず相手に届く。緑間が先ほど教えてくれた、とても大切な第一歩だ。

『一緒に』が始まった、第一歩なのだ。









桜風
13.1.20


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