グラデーション 40






書店での買い物を済ませ、家に向かっててくてくと歩いていると「ちゃん」と名前を呼ばれて振り返る。

「あら、黄瀬くん」

は少しだけ驚いた。

「久ぶりっスね」

弾んだ声で挨拶をしながら黄瀬が近付いてくる。

「どうしたの?」

「今日は撮影があったから、こっちに帰ってきてるんスよ」

「忙しいねー」

黄瀬は普段、神奈川で生活しているそうだ。部活が朝早くから夜遅くまであるし、そういうことを考えればやはり向こうに住む方が良いと思ったらしい。

最近、モデルの仕事は抑え目にしているとか。

「事務所とかは文句言わないの?」

「オレは、バスケット選手としても注目されている高校生モデルってので売ってるっスから」

つまりは、バスケでも注目されていなくてはならないと言うことで、あちらを優先させてもらっているのだ。

「へー、凄いね」

立ち話をしていると、黄瀬に気付いた女子高生達がこそこそと話をしている。

(あ、拙いかも...)

は逃げるつもりでいた。

しかし、黄瀬の方が早くの手を引いて走り始める。

「黄瀬くん?!」

「逃げるっスよー」

は足が速い。だから、安心してダッシュできる。

ただし、

「ちょ、もう無理...」

体力はない。

「ああ、もう撒いたから大丈夫っスよ。てか、ちゃん、大丈夫スか?」

「無理って言ってる」

肩で息をしながらが返す。

少し悩んで黄瀬は彼女を負ぶった。

「黄瀬くん?!」

「今、声出さないでほしいス。耳元でちゃんの声が聞こえるとムラムラするっス」

「こういうときは『ドキドキ』にしておいてよ」

が言うと

「じゃあ、我慢するっス!」

と黄瀬が笑った。


黄瀬が向かったのはの家。

中学の頃に一度、赤司を除くキセキの世代で遊びに来たことがある。

門の前で彼女を静かに下ろした。

「麦茶しかないけど」

がそういった。

「いいんスか?」

「ムラムラしないなら」

が真顔で言うと

「我慢するのは慣れてるっス」

と真顔で返される。

何処まで冗談だろう、と思いながら黄瀬を招きいれた。

「そういや、ちゃんはどこに行ってたんスか?」

リビングのソファに腰を下ろして黄瀬が言う。

「本屋さん。って、そうだ。黄瀬くん、写真集出すの?ババーンとポスターが貼ってあったから驚いちゃったよ。冬に発売って」

「あ、そうスよ。だから、ちゃんに会いに来たんス」

黄瀬がポケットから小さな紙袋を取り出した。

「撮影がグアムだったんスよ」

「はあ?!練習は??」

「弾丸ツアーにしてもらったんスよ。向こうにいた間は、時間が空いたらずっと砂浜を走って足腰も鍛えてたス」

「日焼け、怒られなかった?」

「怒られたけど、ウズウズして仕方なかったスから」

そう言って黄瀬が苦笑した。

「で、お土産っス」

「貰っていいの?」

「これは、ちゃんに買って帰ったものっスよ」

そう言って彼女の手にその袋を乗せた。

「開けてもいい?」

黄瀬の前にグラスを置いてが言う。

彼は頷いて冷えた麦茶を一口飲んだ。

「わ。凄いね...」

「貝を細工してるって言ってたみたいス」

「英語、頑張ろうか」

通訳に訳してもらったのだろう。

の言葉に黄瀬は苦笑して

ちゃんが一緒に来てくれたら、オレは勉強しなくても大丈夫ス」

という。

「黄瀬くんの学力が上がらないのがわたしのせいなら、わたしはこう言うわ。『黄瀬くんと一緒に行かない』と」

「猛勉強するっス!」

黄瀬が真顔で言う。

は笑った。

「今日は、練習は?」

「ウチはもう始まってるスね。戻って自主練だけになりそうっス。ちゃんは?」

「今日は珍しく午後から。お昼これからだけど、黄瀬くんは?」

「作ってくれるんスか?!食べるっス!!」

最近、バスケ部で犬を飼い始めた。

は振り返る。

(黄瀬くんも犬みたい...)

昼食は、夏らしくそうめんにした。めんつゆは彼女の手作りである。

「足りる?」

「大丈夫っスよ」

猛然と食べている黄瀬の姿は、誠凛高校バスケ部の愛犬テツヤ2号そのもので、は思わずその頭を撫でてしまった。

黄瀬の手が止まる。

「あ、ごめん」

「や..何スか?」

「ううん、何でもない。思わずってやつ」

「そうっスか」

何だかお互いぎこちなくなってしまった。

昼食を済ませると、黄瀬は神奈川に戻ると言う。もうちょっと一緒にいたいっていうかと思っていた。

玄関までが見送ると黄瀬は彼女の顔をじっと見た。

ちゃん、前に指先へのキスの意味は賞賛って教えてくれたっスよね」

「え、うん...」

黄瀬はに手を伸ばして引き寄せた。ポスンと彼の腕の中にはあっさりと納まる。

「黄瀬くん?」

「耳へのキスの意味は..誘惑っス」

そして、彼女の耳に唇を寄せた。

「黄瀬くん?!」

が声を上げた。

「じゃ、また会いに来るっス!」

そう言って黄瀬はを離して玄関を出て行く。

「...びっくりした」

不意に見せられた真剣な眼差し。

ドキドキと胸の鼓動を感じ、は深呼吸してそれを何とか落ち着けた。









桜風
12.8.4


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