| 携帯を置いて溜息を吐く。 今日はとデートの約束をしていた。見たい映画があると彼女が言うのだ。一緒に行こうと約束したのに…… 黄瀬は再び溜息を吐いた。 春先のまだ肌寒い日が続く中、夏服の撮影が屋外であった。 屋内なら暖房が効いているところでさほど気にならないが、屋外となるとまだ寒い。 吐く息が白い中、屋外で薄着で撮影をした。 最近、少し体調を崩していたが覿面来た。久々の高熱、声も出ない。 外に買い物に行くのは無理で、ひたすら寝るしかない。 せっかくのデートの日にこれはひどい。 うとうととしていると額に冷たい感覚があり、目が覚めた。 「あ、ごめん。起こしたね」 黄瀬は瞠目する。 「なん、で」 掠れた声で聞けば彼女は笑い「お見舞いです」という。 「移っちゃうから」 「大丈夫。いつも栄養のあるご飯食べてて適度な運動している健康体だから、ちょっとやそっとじゃ風邪なんてひきません。ちょっと待ってね、ポカリ取ってくるから」 笑って返したはキッチンに向かう。 その背を見送りながら額に手を当ててみると冷却ジェルシートが貼ってあった。 この家にそんなものはなく、来るときに買ってきてくれたのだろう。 なんでこんなに体が大きいのだろうと倦怠感を体の大きさの生にしつつ上半身を起こすとコップに冷えたポカリを入れてが戻ってくる。 「あ、起きられた」 「なんとか」と黄瀬は苦笑を返して彼女からコップを受け取る。 汗を掻いており、水分が沁み渡るような感覚を覚えた。 「もう一杯持ってくるね」 「ありがとう」 彼女を待っている間部屋を見渡す。 ここ最近忙しかったから散らかり放題だ。 彼女が家に来るときは事前に分かっているので多少片づけをしている。だが、今日は予告なしの来訪で、これは呆れられたかもしれないと少しへこんだ。 「黄瀬くん?」 「あ、うん。ありがとう」 コップを受取った。 「何か食べられそう?」 「今はちょっと……」 「じゃあ、食べたくなったら言ってね」 の言葉に頷き、黄瀬は再び横になる。 海常の寮で生活して以来、家の中の無音が気になるようになった。そのため、寝るときは音楽を流しているのだが、今はそれは必要ない。 すぐそばに人がいる。 人の生活している音に落ち着きを覚えるようになるとは思わなかった。 こちらに気を使ってか、スリッパをはかずにひたひたと足音を忍ばせて家の中を歩いている。 次に目を覚ました時には食欲が少しあった。外は火が傾いて来ているようで、時計を見ると確かに夕方という時間だ。 体を起こすと気配で気づいたのかがやってくる。 「おはよ。あ、少し顔色良くなったかも」 「ちゃんがいるから」 黄瀬が返すと彼女は瞠目して笑う。 「何か食べる?」 「うん、ちょっと食べられそう」 「うどんでも大丈夫?」 「前に作ってくれた鍋焼きうどんみたいに、くたくたになったのが良い」 「はいはい」 黄瀬のリクエストに彼女は頷き、キッチンに向かう。 1LDKのこの部屋は、大学生の一人暮らしには贅沢だが、モデルの事務所が半分家賃を持ってくれているので負担はさほど大きくない。 (でも、もうちょっと小さい部屋でもよかったな……) 大きい方がいいと思っていたが、ベッドからキッチンが遠い。 暫くして盆にうどんどんぶりを載せてが戻ってきた。 「ここで食べる?」 「うん」と頷きながら盆ごと受け取る。 「あー」と黄瀬が溜息を吐いた。 「え、嫌いなものあったっけ?」 「お粥だったら食べさせてもらえたかなって」 「ざーんねん」 笑って返したは側に座って黄瀬の食事が終わるのを待った。 「ねえ、黄瀬くん」 「何スか?」 ごちそうさまでした、と手を合わせた黄瀬が彼女を見る。 「今日、泊まろうか? わたしならソファで充分寝られるし」 「え?!」 「風邪ひいて一人って心細くない?」 「でも、お義母さんのごはんは?」 家事が一切ダメな母親の食事の支度はの重要任務だ。 「最近はコンビニエンスなお店があるじゃない。1日くらい外食でも大丈夫だろうし」 高校時代、合宿などで家を空けることもあった。だから、母親もある程過ごし方は身に付けられただろう。 「えーと」 本当は一緒にいてほしい。子供みたいな我儘だ。だが、にとって家事は必須事項で、それを中心に彼女は自分の生活を考えている。だから、ここは「帰った方がいい」と言うべきだと思い、意を決して口を開いた。 「よし、決まり。ちょっと家に電話してくる」 黄瀬の表情を見ては看病を続けることを決めた。 彼の膝の上に置いてある盆を持って離れていく。 残された黄瀬は頭を抱えてずるずるとベッドに潜りこむ。嬉しい。 「黄瀬くん、薬飲もう」 家への連絡が終わったが声を掛けてくる。 再び体を起こして黄瀬は彼女に渡される市販の総合風邪薬を受け取った。 「着替える?」 「うん」 「着替えはどこ?」 「そこの引出しの中にスウェットが入ってるっス」 「これね」 彼女が取り出したスウェットを受け取って黄瀬はひとまず着替えた。 シャワーを浴びられるくらいは元気になったかもしれないが、少しは大人しくしておかなくてはならないだろう。 着替え終わった黄瀬が横になったタイミングでが顔を覗かせてきた。 先ほどまで来ていた黄瀬のスウェットを回収して「そうだ、黄瀬くん」という。 「さっき脱衣所に行ったら洗濯物が溜まってたから、洗っていい? 天気が良いから明日の朝には乾くと思うの」 「え……」 「迷惑かな?」 今更下着の一枚や二枚見られたくらいで動揺するほどの清いお付き合いでもない。 「お願い」 本当は昨日にしておきたいと思っていたのだ。体調が悪かったので、今日のために後回しにした。結局風邪を引いてしまったが…… 「あと、そこの取り込んだままの山も畳んでいい?」 「……お願いします」 諦めたように黄瀬が返した。 「お願いされました」とは笑い、部屋を出ていく。 携帯のバイブレーションで目が覚めた。 寝ぼけながらそれを確認するとの母親からのメールの受信を知らせるそれだった。 「移るのは仕方ないけど、移すのはダメだからね」と書いてある。 その違いの意味を正確に理解して黄瀬は溜息を吐いた。 「わかってます」と返すと「いい子」と返信があった。 時計を見ると先ほど食事をとったときからさほど経っていない。 ついでにトイレに立つことにした。 部屋を出ると取り込んだままの洗濯物の山を側に置いたがその匂いを嗅いでいるように見えた。 最近家に帰るのが遅かったため部屋干しにしていた。 「生乾きだった?」 臭うのかと思って声を掛けると彼女は今黄瀬の存在に気づいたらしく慌てた様子を見せる。 顔を真っ赤にして「大丈夫、ちゃんと乾いてるよ」と返した。 (珍しい……) 取りあえずベッドから抜け出した用事を済ませて再び部屋に戻る。 戻ってくると先ほどの山が半分になっている。 「持ってくね」と畳まれたTシャツなどをひょいと手にする。 先ほどがにおいを嗅いでいたのはTシャツだ。自分でもにおってみたが、気になるものはない。 ではなぜと考えて振り返ると自分の背を見送っていたらしいと視線がぶつかった。 彼女は再び顔を赤くして視線を外す。 「何か気になることでもあったんスか?」 黄瀬が問いかけると彼女は俯いて「黄瀬くんの匂いだって思って」と小さな声で返す。 「え?!」 膝から崩れた黄瀬を目にした彼女は驚きの声を上げて駆け寄った。 「調子悪くなった? え、ベッドまで行ける?」 「大丈夫、っス」 大丈夫じゃないけど、と心の中で付け足して黄瀬が言う。 の母親から釘を刺されていなかったらちょっとまずかったカモなどと思いながらTシャツを片づけ、ベッドに潜りこむ。 寝てしまおう。寝るしかない。 翌朝、黄瀬はすっきりした目覚めを迎えた。 体を起こすと朝ごはんの匂いがしてきた。 「おはよ、ちゃん」 「おはよう、黄瀬くん。もう大丈夫?」 「おかげさまで」 「じゃあ、シャワー浴びておいで」 「はーい」 |
桜風
17.11.10
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