コイビトカッコカリ 8





 期間限定とはいえ、恋人となった黄瀬くんが映画に行きたいとデートに誘ってきた。
 今更だが、これまでのお誘いというのも彼にとってはデートだったのかもしれない。
 待ち合わせ場所はシネコンの入っている百貨店を提案された。
 しかし、私は私の自宅での待ち合わせを提案し、彼は少し不思議そうにしながらも了解した。
 黄瀬くんの疑問はよくわかる。私の自宅は、さほど交通の便が良い所ではなく、今回彼が見たいと言っていた映画を見ることができるシネコンが入っている百貨店までちょっと時間がかかる。どうせどちらかの家で待ち合わせということなら、おそらく彼の家の方が近い。
 約束の時間にやって来た黄瀬くんは軽装で、手土産にアイスを持って来てくれた。
 玄関を開けてすぐのところに見える額に入った青峰選手のサインを見て「ねー、これ仕舞っちゃわない?」と不満そうに声を漏らした。
「仕舞わない。末代までの家宝とします」というと「えー」と不満そうな声を漏らす。
 そして、部屋に入って「ちょっとー」とふたたび声を漏らした。先日、後日通販で購入した青峰選手のユニフォームを飾っているのだ。
「かっこよくない?」
「ユニフォームデザインはかっこいいけど、着てる人の事知ってるからちょっとやだよ」
「まあまあ」と適当に宥めて麦茶を出した。
「いつ出る?」
「もうちょっと大丈夫でしょう?」
 少し早めに来てもらった。
「うん、大丈夫」
「申し訳ないんだけど、ちょっとこっちでやっておきたいことがあるからゆっくりしてて。テレビ見てたり、そこらへんには本がある」と言ってキッチンに姿を隠した。
 五分経って、そっと部屋を覗くと案の定黄瀬くんはテーブルに突っ伏している。
 上期の決算を前に、仕事が立て込んでいて午前様になる日が続いているはずの黄瀬くんがせっかくの休みを外出に費やそうとしていたため、一計を案じた。映画は、確かに  黄瀬くんが見たいと言っていた。しかし、誘うときには「どれでもいいけど、が見たいのがなかったらこれが見たい」と言っていたので、どうしても見たい作品ではなさそうだと判断した。ここ最近テレビCMで目にすることが多い洋画だから話題の作品ではあるのだろうが、どうしても見たいわけではないなら、休息の方が優先と思い、今回待ち合わせを我が家にして黄瀬くんをちょっと放置した。やることがないと眠ければ寝てしまうと思って様子を見ていたら思ったとおりで、もし五分放置して彼が起きていたら出かけようと思っていたが、外出を取りやめて、私が当初計画したとおりにすることにした。

「うわぁ!」と部屋から声がしたのは、黄瀬くんが我が家にやってきてから三時間経ってからだった。
「おはよ」
「おはよじゃなくて。どうして起こしてくれなかったの」
 恨めしそうに言われて肩を竦める。
「だって、今日は黄瀬くんを寝かせるためにウチを待ち合わせ場所にしたんだもん」
「……どういうこと?」
「ここ最近終電がなくなってから帰ってるんでしょ?」
「どうして? あ、都成さん?」
「都成はもう少し早く帰してもらってるでしょ。黄瀬くん、私が時々小林さんに資料渡してるの不思議そうに見てるよね」
 黄瀬くんは頷いた。
「私、資料室の人とまあ、仲がいいというか……そこそこ頻繁に通ってるから欲しい資料があったら小林さんから資料の提供の依頼が来るんだよ。特にこの時期は、そっちのチームの仕事があがるのが早ければ早いほど私の仕事も早く終われるからお手伝いしてるのね。で、その依頼はメールだったりチャットだったりなんだけど、あれって送信時間がわかるでしょう? ここ最近は大抵てっぺん前後だから黄瀬くんのチームは皆遅いんだろうなって思ったわけです。睡眠不足で映画に行っても寝ちゃうだけだから、いっそのことしっかり休んだ方が良いんじゃないかなって」
「あー……、たしかに、映画館に行ってもの隣で寝てたかも」
「一緒に行った人が隣で寝ているのは別に構わないんだけど、勿体ないじゃん。黄瀬くんが見たいって言ってた映画って今月始まったばかりでしょ? 来月もきっとやってるって」
 黄瀬くんは諦めたように「ありがとう」と返した。
「どういたしまして。じゃあ、そのテーブルの上、ちょっと空けて」
 彼が机の上に置いているコップとコースターを持ったのを確認してキッチンに戻り、先程までキッチンで作っていたものをお盆に載せて持ってくる。
「夕飯には早いけど」
「どうしたの?」
「黄瀬くんが寝てる間に作った。休みの日は作り置きしてるから、その一環というか」
 お盆の上に並べたのはおにぎり。それだけでテーブルがいっぱいになってしまった。
「どうしよう」
「なに?」
「まだちょっとおかずがある」
「床に置く?」
 黄瀬くんの家くらいの大きなテーブルだったら余裕だったのだが、生憎と我が家の場合、あの大きさのテーブルを置いたら部屋が半分埋まってしまう。床には置きたくないから、先日通販で届いた商品の入っていた段ボール箱を再度組み立てる。
 キッチンに置いていた卵焼き二種類ときんぴらを持ってきた。
「少しテーブルが空いたらお味噌汁も持ってくるね」
「おにぎり、休みの日はいつも?」
「いつもじゃないけど。これがあると平日便利なんだ。仕事から帰ってご飯作るのが面倒だったり、ご飯炊くのを待てなかったら冷凍したおにぎりをレンチンしてインスタントのお味噌汁を作るとかしてる。朝ご飯も同じ。休みの日でもおかずまで作るのが面倒な時はおにぎりだけ作っておいておかずはお惣菜を買って帰れば夕ご飯の出来上がりという寸法です。平日食べきれなかったら、土日で食べればいいし」
 おにぎりは四種類作った。定番の梅干し、塩昆布と胡麻を混ぜてちょっとごま油を垂らしたもの、薬味を刻んで麺つゆにつけてまぜたもの、そして塩昆布とシラスを混ぜたものだ。
 玉子焼きは甘いのとしょっぱいの。黄瀬くんがどっちが好きなのかまだ聞いたことがなかったから両方だ。
「お味噌汁は合わせ味噌だけど大丈夫?」
「味噌に拘りはないよ。これ全部食べていいの?」
「どうぞ。残ったら黄瀬くん持って帰ってよ」
の平日の保存食がなくなるよ」
「いいよ。なくなったら外食とかコンビニとかがあるし気にしないで。むしろモリモリ食べてる姿を見てみたい」
「まかせて」と言った黄瀬くんはいただきますと手を合わせておにぎりをひとつ掴む。私の握ったおにぎりは、彼の手には少し小さく見えて可笑しかった。
「なに?」
「おにぎり小さいね」
「色々食べれるからちょうどいいよ。たぶん、俺の手の大きさだったらそんなに食べらんない」
 確かに、と納得して私も定番の梅に手を伸ばす。梅干しから身を剥がして細かく切ってご飯に混ぜて握ったものだ。
 黄瀬くんは、左手におにぎり、右手に箸を持って卵焼きを抓む。
「何か映画観る?」
 テレビはインターネットに繋げているため、過去にダウンロード購入した映画を見ることができる。
「ううん、おしゃべりがしたい」
「おしゃべり?」
「うん、の好きなもの教えて」
「好きなもの?」
「じゃあ、まず。ラーメンは何味が好き?」
 それから黄瀬くんは私に色々質問してきた。私はそれに答えて、黄瀬くんに質問する。お互い好きなことを話して、してほしくないこと、したくないことも話した。
 何となく一緒に出掛けているだけだったらこんな話をすることはなかっただろうと思う。人の目が気にならない場所で一緒にご飯食べられたからできたことだ。会社でも、今でも黄瀬くんは注目の的だし、私に至っては「あれが?」と言われているのだ。ゆっくり話ができるはずがない。
 私はおにぎり二個と卵焼きを一切れずつ、きんぴらを一つまみ、そしてお味噌汁を御椀一杯飲んで食事を終えたが、黄瀬くんは用意したおにぎりを半分以上食べて卵焼きときんぴらは私が箸を付けなかった残り全部、お味噌汁はお代わりまでした。同じ年の胃袋は思えない。
「デザートいる? 梨があるんだけど、食べるなら切るよ」
「食べる」
 思わず声を上げて笑って「待ってて」と声を掛けてキッチンに向かう。
 梨を切っていると、黄瀬くんが食器を流しに置いてくれた。
「ありがとう」
「いっつもこんな感じの食事してんの?」
「いつもじゃないかな。スナック菓子やケーキで済ませるときもあるし。黄瀬くんちって、電子レンジはあったよね?」
 広いけど生活感がなかった印象しかなく、生活するのに何を置いているかまでは記憶に残っていない。
「あるよ」
「じゃあ、残ったおにぎりは全部持って帰って。冷凍庫に入れておけば一週間くらいなら持つよ。食べるときは、うちのレンジだと二分程度温めてる。黄瀬くんの家のレンジの性能がわかんないから、適当な時間がわからないんだけど、たぶん二分程度でいいんじゃないかなと思うよ」
「お言葉に甘えます」と黄瀬くんは笑い、丁度梨も切れたからまたダイニングに戻った。
 二人でシャリシャリと梨を食べててふと思い出した。
「そういえば、黄瀬くん。さっき、突っ伏して寝てたら身体悪くすると思ってベッドまで這い上がるように言ったんだよ。背中大丈夫?」
「うん」
「ベッドに這い上がってって言ったらキスしてくれたらって言うから起きてんのかなと思った」
 突然黄瀬くんが噎せた。
「え、ちょっと大丈夫?」
 軽く背中を叩いていると「で?」と黄瀬くんが咳き込みながら問う。
「で? とは?」
「したの?」
「したよ。したけど、そのまままた寝ちゃった」
「なん、で……」
 打ちひしがれる黄瀬くんの姿を興味深く見ていると「キスして」と俯いたまま言う。
 言うと思ったよ。
「黄瀬くん」と呼ぶと顔を上げた。そのまま軽く唇を合わせる。
「え、何でキスしたの?」と呆然と問う黄瀬くんに「キスしてって言ったじゃん」と返した。言い出しっぺが何を言うのか。
「じゃあ、セックスしたい」
「今日はやだ」
 高校生か。
 黄瀬くんは肩を落として「じゃあ、また今度」という。
 それから二人で梨を平らげて、黄瀬くんが食器を洗ってくれて少し早いとはいえ、良い時間となったためお開きとした。
「今日はありがとう」と玄関で靴を履きながら黄瀬くんが言う。
「こちらこそ、ご足労いただきまして。あ、そうだ。チケット。映画のチケット代払わなきゃ」
「いいよ、今日のご飯代てことで。仕事が片付いたら行こうね」
「じゃあ、お言葉に甘えます」
「よろしい」と頷いた黄瀬くんが「」と呼ぶ。そのまま彼の長い腕に私の腰が捕まってグイと引き寄せてキスされた。先程私が彼にしたそれよりも随分と長く、唇が離れたときには酸素が足りずに頭がクラクラして足に力が入らない。黄瀬くんが私の腰を支えたまま膝を折ってゆっくりとその場に座らせる。
がしてくれたキスは嬉しかったけど、俺、こういうキスも好きだよ」
 ぺろりと上唇を舐めて言う黄瀬くんに対してこちらはそんな余裕はなく、「そうなの」と何とか相槌を打つだけだった。
「じゃあ、また。ちゃんと戸締りしてね」
 立ち上がった黄瀬くんは玄関ドアを開けてこちらを振り返り小さく手を振ってドアを閉めた。
 少し頭がぼーっとした状態が続いたけれど、鍵を閉めて部屋に戻る。
 キスひとつでこんなにドキドキする感覚なんてすっかり忘れていた。高校生みたいな初心な感情に戸惑いはあるけれど、嫌ではない。せっかくだから、こんなふわふわした感覚のまま今日は寝てしまいたい。





桜風
22.9.11


ブラウザバックでお戻りください