コイビトカッコカリ 10





 黄瀬くんを早々に追い出して身だしなみを整えて朝食を口にして出勤した。
 さすが小林さんというか、本当に二週間で終わらせたところがすごい。黄瀬くんの話だと都成はもう戻ってきているようで、それはそれで非常に助かる。彼女はまだゆっくりしたいだろうに。

「おはようございます」と執務室に入る。
 いつも朝早く出勤している木村さんの姿がなく、パソコンも立ち上がっていない様子で、どうしたのだろうと思っていると「おはよ」と随分とテンションの低い都成の声がして振り返る。
「まー、お美しい顔」
「いつもよ」
 目の下に隈を作って、むくみも酷い。
「お酒飲み過ぎたんじゃない?」
「反省はしている。今回ばかりは後悔もしてる」
 珍しい。いつもの都成なら反省しかしないのに。小林さんのところは出勤率が低そうだ。昨日の打ち上げは大いに盛り上がったのだろう。
「あー、今日からの景色がこれかー」
「お互い様だろ」
 パソコンを立ち上げながら呟く都成に、目の前の席の同僚がツッコミを入れた。
「昨日の今日でよく出勤できたね」と言われて「まあ、寝心地が良かったんで」と返すと彼女は首を傾げる。
 パソコンを立ち上げると木村さんからチャットメッセージが届いていた。今日休暇を取るということと、仕事の進捗状況についてだ。
 ダブルチェックを済ませたら総務に提出しても大丈夫ということで、早速チェックをして総務にデータを送信した。念のため、総務に電話で提出した報告をすると「はやーい」と返された。
「ウチ、締切りを延ばしてもらったと思うんですけど」
「そう。延ばしたのはあなたのところだけなのにね。どうしてかしら、まだ提出がない所があるのよね」
 怒りを滲ませた声に少し恐怖を感じつつ、電話を切った。
「お局様、何て?」
「ウチが最後ではなかったという話を聞いた」
「それは良かった。印象を悪くしたら無理が言えなくなるもんね」
「何ですか、それ」とうちの若手の若月さんがいう。
「取りまとめする人が楽なように仕事をしてたら、いつかこちらがどうしても困った時に融通してくれるというお話」
「何かちょっとせせこましくないですか?」
「世渡りのコツのようなものよ」
 都成が返した。
 さっき電話があってフロアを出た課長が戻ってきて小林さんと森田さんを呼んでこちらに視線を向けた。
「木村君は休みだったな」
「何か急ぎのことがあれば連絡しても大丈夫みたいですけど」
「急ぎではないけど……。じゃあ、さん、時間大丈夫? 総務に書類の提出があるなら、都成さんでも」
「提出終わりました!」と都成が言い、私の背を押す。
 仕方なく、ノートとペンを持って協議机に向かった。
 課長は人事に呼ばれたらしく、その情報共有だという。来月からうちの部署に技術職の人が異動になってくるそうだ。
「元々人事に話をしていたのは、小林君のところの欠員だけだから正直どういう意図があるのかはわからないのだけど。配属は森田君のところにしようと思う」
 森田さんのチームは長期的な依頼を扱っているため、外から移動してきた人がそのまま彼のチームに入ることはほとんどなく、課内の配置換えで人数の調節を行っていることの方が多いと聞いたことがある。
「あと、来年度の人事で課内の配置換えとか希望があれば来月中に上げてほしい。これは明日以降、木村君に僕から伝えるから」と課長が言う。
「連絡事項は以上かな」と課長が言ったため、ノートを閉じた。
さん、実は昨日から気になっていたことがあったんだけど」と課長が私を見た。何だろう。何かやらかしたかな?
「大破した自転車はどうしたの?」
 何の話か分からず首を傾げる。大学四年の時に壊して以来、自転車は新調していない。
「何ですか?」と小林さんも言う。
「ああ、小林君はチェックしていたから耳に入っていなかったのか」と言われて、都成を見た。
 彼女はどうして私が視線を向けたのかわからないが、パチンとウィンクをしてくる。
「三キロ押して帰って、次の日に車に積んで粗大ごみ収集所に持って行きました」
さんの事だからその場に放棄するとは思っていなかったけど、さすがだね。壊れた自転車を押して三キロは結構時間がかかったんじゃないのかい?」
「二時間程度ですね。ところで課長。その情報源は、都成さんで間違いないですね?」
「君たち仲がいいよね」
「ありがとうございます」
 軽く礼をすると「じゃあ、下半期もよろしく」と言って課長が立ち上がる。
「何の話?」と小林さんが私に聞いてきたので、「チームの人に聞いたらたぶん誰でも教えてくれると思いますよ」と返して大股で自分の席に戻り、ノートとペンを机の上に置いて隣の頭をアイアンクローした。
「何? 痛い。無言でアイアンクローは酷い」
「私がいない間に、私の話をした方が酷い」
「だって、「さん、完璧すぎて近づけません」ってあっちの若い子が言うから、これは良くない、親しみやすいお姉さんだぞって教えなくてはならないという使命感で。痛い、痛いです」
 まったく……。
「アタシが話したってどうして知ってんの?」
「さっき、課長に大破したチャリの行く末を聞かれたから。都成以外いないでしょ、私の大学時代の話ができる人なんて」
「マジか! 課長も耳ダンボだったんだ!」
 ケラケラと笑う都成に溜息をつき、仕事をすることにした。
「さっきの呼び出し、何?」
「ああ。来月からまた一人増えるんだって。今度は森田さんのとこ」
「ウチに来てくれてもいいのに」
「ウチは元々定員割れしてないからね」
「森田さんのところも割れてないでしょ」
 確かに。技術職なら、おそらく他の部署に行けば定員割れしているところがあるだろう。

 昼休憩に入って都成を見ると動く気配がない。
「ご飯行かないの?」
 彼女は一人でも外食する。
「食べれそうな顔に見える?」
 返されて納得した。午前中もいつもより大人しかったのはそういうことか。
「ご愁傷様」
 社員食堂に向かっていると「さん」と声を掛けられた。黄瀬くんだ。
「お疲れ様」
「お疲れ様。体調大丈夫?」
「おかげさまで。黄瀬くんは今朝遅刻しなかったね。そっちのチーム半分しか来てないけど」
「あんなに朝早く追い出されればね。たぶん、本当はチーフも休みたかったんだと思うんだけどね。責任感強いよね。それはともかく。今度こそ、映画に行こう?」
 お互い一応忙しい所を抜けたため、土日は確実に確保できる。
「いいよ。こないだ言ってた作品?」
「そう。けど、ちょっといい時間がないかも」
 そう言ってスマートフォンに表示している上映スケジュールを見せてくれた。
「あー、ホントだ。お昼の時間を後にずらすか……。金曜のレイトショーは?」
「いいけど、帰さないよ?」
「何言ってんの。帰るよ」
 そう返すと「ちぇー」と黄瀬くんは拗ねた表情を見せた。
 食堂で日替わり定食の食券を買って、黄瀬くんも同じものを選んだ。
「麺類じゃなくていいんだ?」
「ゆっくり食べたいから」とご飯を大盛りにして言う。
 モリモリ食べている黄瀬くんを見てお腹いっぱいになってしまう。

 十月に入って新しい人が森田さんのところに配属となる。
 課長から紹介があり、自己紹介をした。
 若宮君というらしい。どこかで見たことがある顔だな、と思っていると彼と目が合う。
さん、ボクと付き合ってください」
「お断りします」
 何かよくわからない事態になった。隣では都成がお腹を抱えて笑っている。彼は目を丸くして「え、あの?」ともう一度返事を聞きたそうだったため、「お断りします」と重ねて言った。
「いや、あの。でも、ボクですよ?」
 当然に色よい返事がもらえると思っていたような顔で言われ、しかも何か「有名なんだよ!」みたいなアピールがあり、都成に「誰?」と聞いた。
「あれでしょ。入社早々、お姉様方に構われ過ぎて人事に泣きついて飛ばしてもらった子」
「あー、あの!」
 合点がいった。
「で、だから何だろう?」
 彼が有名人だったのは認めよう。私は顔も覚えていなかったけれど話には聞いていた。だがしかし、どうしてこうも懐かれているのか。
 取り敢えず、私が新入社員時のあの話を知っている森田さんは青くなりながら若宮君を引っ張っていった。
「どうして?」
 昼食時間中、都成が聞いてきた。今日はそれが気になってか、食堂での食事にしたらしい。
「知らない。全く覚えてないもん。そういう子がいたっていう記憶はあるけど」
「なんであいつにちょっかい出してんの?」
 声が降ってきて振り返って見上げると、黄瀬くんがいた。
「お、席替えしなきゃ」と壁際にいた私と席を交換して黄瀬くんが私の隣に座る。都成と黄瀬くんに挟まれた形での昼食となった。
「わかんない」
 身に覚えがないのだ。本当に。
 人事に泣きついて異動になった有名人。昔は、もうちょっと華奢でお姉さま方にかわいがられるには充分な容姿だったと思う。しかし、今は結構が身体を作っている感じがした。隣に座ってご飯を食べている黄瀬くんの腕を見た。彼もしっかり身体を作っているようで、逞しい二の腕をしている。
「なに?」
「黄瀬くんって、ジムに通ってるんだっけ?」
「週二くらいでね。前は毎日でも行けたんだけど、今はちょっと無理」
「こうして身体はぶよぶよになっていくのです」
 都成のナレーションに黄瀬くんはげんなりした様子を見せて「もうちょっと行けるようにしよ」と呟いていた。
「若いうちは代謝が良いから食べても太らないことが多いけど、年を取ったらそうはいかなくなるからね」
「それは、ブーメラン?」
 まだ続けている都成に確認すると「アタシは若いうちから食べただけ肉になってる。そして落ちない」と遠い目をしながら言った。
は?」
「私は食べたら付くし、ちょっと節制したら落ちる。今のところは」
 だから、野菜もしっかり食べるよう心掛けているのだ。

 昼食が終わって、フロアに戻ると若宮君がいた。
 彼は一緒に戻って来た黄瀬くんをキッと睨んだ。彼も意外と背が高い。黄瀬くんはたぶん百九十センチ以上はある。でもその彼をさほど見上げていないということは百八十センチくらいはあるのだろう。
「話は変わって、若宮君」
 何ひとつ話が始まっていないのだが、話をしたそうにしている彼のことを慮ってか都成が声を掛けた。
「何ですか?」
「身長何センチ?」
「百八十一です」
「惜しいな……。黄瀬さんは?」
「百九十三だけど」
「十センチも?!」
「何の話してんの?」
 勝手に驚愕している都成に意図を確認してみた。
「自販機って大体百八十三センチなんだって」
「黄瀬さん、自販機よりも十センチも高いの?!」
 その情報で私も改めて驚いた。大きさの目安があると、彼の長身が具体化されて余計に大きく感じる。
「で、若宮君。黄瀬さんに話があるのでは?」
 自分の確認したいことが終わったため、都成が話を促した。
「君がさんを唆したと聞いたんだけど、本当か」
「いや、別に」と黄瀬くんが言い、「そんな変な話、誰から聞いたの?」と私が問う。
「いいんです、さん。庇わなくても。このスケコマシに騙されて今お付き合いされているんだって聞きました。さんは優しいから簡単に付け込まれてしまったんですよね」
 たぶん、それは主語が逆で伝えられたんじゃないかと思う。
「スケコマシって単語中々日常生活では聞けないぞ?」と都成は別のことに感動をしているようだ。
「何か、好意的に解釈してもらっているところ大変申し訳ないんだけど。私は、あなたとどこかで会いましたか?」
「覚えていないんですか?!」
 瞠目して彼が言う。そんなに驚く?
「ごめんね」
「ボクが廊下の隅で泣いていた時、「元気を出して」って飴をくれたじゃないですか」
「いや、原因」と都成が私を見る。
「待って。ステイ。そうなの?」
「本当に、覚えていないみたいですね。仕方ありません。あの時、一時撤退しましたが、こうして筋力アップして戻ってきたというわけです。もしかしたら、以前と印象が違うから思い出せないのかもしれませんが」
「廊下の隅で泣いている子を見かけて総務の帰りだったら飴くらいならあげたかもしれないけど」
 それだけでこんなに懐かれるなんて思わないでしょ、普通。
「あー、で。キミは俺に何が言いたいの?」
 少し面倒くさそうに黄瀬くんが言うと「『先輩』!」と何やら訂正したい様子だ。
「君の方が年上でも入社はボクの方が早い。だったら、ボクは先輩だし、君はボクに敬語を使うべきだ」と補足する。
 まあ、確かにと私と都成は納得したけれど、黄瀬くんは勿論納得していない様子だ。三つも年下の子に突っかかられてしかも先輩面をされているのだ。面白くはないだろう。
「それで、センパイ。何なんスか?」
 投げやりに用件を聞く黄瀬くんに「ボクと勝負しろ」という。
「何のために?」
「ボクと君のどちらがさんにふさわしいか決めるためだ」
「そこに私の意思はどう反映されているの?」
 思わず口を挟む。
「え?」
「勝手に盛り上がっているところ申し訳ないけど、それは私の決めることで第三者のあなたが決めることじゃないのでお断りします」
「え、あの……」と彼は狼狽した。残念ながら私は彼の想像していたような人物像ではないらしい。そうだろうと納得する。
「あー、あのさ。若宮君。他人の感情を勝手にコントロールしようと思うのは良くないわけだよ。でも、だよ。でも、君がに自分の魅力をアピールするために黄瀬さんと勝負するというのはありだ。なにせ、それは君が勝手にに対して行うもので、その後のこの子の感情に必ずしも影響するものではないからね。何ひとつ心の琴線に触れない可能性だってある。それを踏まえてアピールするならいんだよ。孔雀だって、オスは頼まれてもいないのに羽を広げてメスにアピールするじゃない? それと同じ。まあ、君の場合、黄瀬さんが受けてくれればという条件があるんだけど」
 都成が黄瀬くんを見上げる。
「別にいいけど」と面倒くさそうに言う黄瀬くんに「じゃあ、バスケで勝負だ」と彼が言った。
「いや、それは……」と思わず口をさしはさんでしまい、黄瀬くんも「俺、バスケでインハイ三年間出場したよ?」と止める。
「ボクだって三年の時にキャプテンでインターハイに出場しました」と彼が胸を張って言うもんだから、黄瀬君と顔を見合わせてしまった。
 私の世代だと黄瀬くんはとても凄いプレイヤーだけど、三つも下ともなればそういう話はないようだ。
「自分を最もアピールできるものを選んだ方が良いですよね」と都成に聞いている。いい子なんだろうけど、何か、こう……。
「もち!」とサムズアップをしている友人を見てため息をつく。
「バスケで勝負って何するの? フリースロー? ワンオンワン?」
 ため息交じりに黄瀬くんが確認する。一対一ならそれくらいだろう。
「ワンオンワンで。ああ、君にはもう年寄りの冷や水かな?」と若宮君が言う。しかし、彼は忘れている、私たちが同じ年なのを。
 黄瀬くんは私を見下ろした。
「ねー、これ流れ弾だよね?」と都成も同じことを思ったらしい発言をする。
「な、何か?」と若宮君はまたしても狼狽し「、黄瀬さんと同じ年」と都成が答えた。
「男と違って女性は年を重ねるに従って魅力が増していくものです」と彼が言い「サンキュー」と都成がウィンクする。
 あんなにお姉さま方に構われて酷い目に遭ったというのに、彼は案外タフなのかもしれない。
 午後の始業のチャイムが鳴り、彼は慌てて自席に戻っていった。
 同じく戻っていく素振りを見せた黄瀬くんの袖を引き、「それはそれとして、黄瀬くんがバスケをしている姿は楽しみです」と伝えると「まかせて」と彼は笑った。





桜風
22.9.25


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