コイビトカッコカリ 閑話1





 終業のチャイムが鳴ったが、の仕事がもう少しかかるというため、黄瀬は自席で彼女の仕事が終わるのを待っていた。自分の仕事は、今日の分は終わっている。
「ねえ、黄瀬さん」と残業中の黄瀬と同じチームの同僚が声を掛けてきた。
「何スか?」
「芸能界ってどんなところ? 可愛い子とかたくさんいるじゃない?」
 今更なことを聞かれ、吐きたいため息を飲んだ。入社したての時は、麻痺していた部分もあって仕方ないと思っていたが、正直今は話をするのも億劫だ。
「若くて可愛い子はたくさんいましたよ。ただ、若くて可愛いだけの子は新しく入る若くて可愛い子に椅子を取られていって、すぐに見なくなっちゃってましたけどね」
「若くて可愛いだけじゃない子ってどういう子?」
「バラエティに行けるとか、インテリだったり、後は身体ですね」
「身体……」
「そうやって仕事にしがみ付いてた子もいましたよ」
「え、じゃあさ。クスリとかは? やっぱりそういうの横行してたの?」
「してたんじゃないんスかね」
「誘われたりしなかった?」
「大体相手を見て誘ってるみたいなんで」
「黄瀬さんは誘われたりしなかったの?」
「しなかったスね。俺、中学の頃からの友達と今でも交流があって、あの人たちに顔向けできないことはしないって決めてたんで」
「へぇ、じゃあさ」
「黄瀬くん!」
 更に質問をしようとしている声を遮り、が黄瀬の名を呼ぶ。
「帰ろう」
「あ、もういいの?」と言いながら黄瀬は鞄に手を伸ばし、「失礼します」と挨拶をしてドアに向かった。
 の席には都成が座っており、パソコンを操作している。

「なあに、あれ」
「嫉妬じゃないですか?」
 クスクスと笑って言う同僚に「んなもんじゃないでしょ」と都成が口を挟む。
「お姉様方も、好奇心が旺盛のはいいことだけど、だからって相手を傷つけていい話にはならないでしょう」
 続けた都成の言葉に「はあ?」と不満そうに彼女たちは声を上げた。
「彼氏がレイプ目をして抑揚のない声で過去を語っていたら、そりゃ助けるでしょ。なら特に」
『レイプ目』って何だ? という疑問が室内の皆に浮かぶが都成は構わず続ける。
「黄瀬さん、落ちぶれて芸能界を去ったわけじゃないでしょ? やめる一カ月前くらいに何かの雑誌の表紙を飾ってたし、ゴシップ紙でも人気が落ち目みたいなこと書かれてなかった。でも、やめた。なら、何かあったんですよ。病気か体調不良か。今見る限り全然元気そうだから、多分、心が疲れたんじゃないですか? そこらへんはちょっと気を遣いましょうよ」
 気遣いを促されて不満しかない。お前が言うな、と。
も男運がなかったから、正直、あの二人は同時に最適解を見つけたんじゃないかって思ってるんですよね、アタシは。だから、そっとしてあげたいし、何なら最前列で応援上映してもらいたいところです」
さん、しっかりしてるからそういう変なのに引っかからないと思ってた」
「潜在的ダメ男に引っかかってたのかな? 、めちゃくちゃ気遣い人間じゃないですか。だから、最初まともな男でも、あまりにお世話され慣れてに母性を見出してついでにお母さんみたいに思ったあたりに、ちょっと自分が傍にいなきゃとか思っちゃう別の子に興味を持って別れて。そしたら、何かこれ違うぞってなって復縁迫るけど、その時にはも相手に情はなくて「お断りします」と復縁を断ること何度もありました。別れた後、しょんぼりしながら「またやっちゃった」ていうんですよ。男の口の中に手を突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたろかって毎回思いましたね。不能になれってんだ」
さん、どうやってその男性たちと知り合ってたんですか?」
「アタシが無理やり連れていってた合コン」
「いや、自分が原因じゃん!」
 周囲からの盛大な突っ込みに都成は「ノン!」と否定する。
「潜在的ダメ男なんですよ。最初はまとも。そういう意味では、最初からヤバかったあの先輩を堂々と振れたのは、あのダメ男たちのお陰かもしれないんですけど。あの男の嗅覚は間違いなかったけど、ただ一点、はノーと言える日本人だったてことが誤算だったんでしょうね。こないだまで陰険な嫌がらせをしてたみたいですけど」
 そうかー、とどこか納得しそうになる。
「アタシ、強火担当だから、正直、最初は「オメーで幸せにできんのかよ」って厳しい目で見るんですけど、は黄瀬さんと一緒にいるときってニコニコしてるんですよね。推せる。ニコイチで推せる。黄瀬さんが同担拒否じゃなくて良かった。同担拒否強火勢だったら戦争だったわ。黄瀬さんは甘やかされたらそのまま堕落するタイプじゃなくて、甘やかされたら倍にしてそれを返そうとしてる感があって、本当、推しの幸せを拝める世界線にいることができて幸せですよ」
 都成の話は大抵ふんわり何となく雰囲気はわかるが、いまいちよくわからないことが多い。が一緒に居たらわかりやすく説明してくれるのだが、今回は残念ながら彼女は帰宅してしまっている。そもそも、彼女が居たらこんな演説はしないだろう。
「それはともかく、都成さん」
 上司の木村が声を掛ける。
「何ですか?」
「口を動かしてもいいけど、手も動かしましょう。仕事をするために残っているのでしょう?」
「ウス」
 都成はの席から自席に戻り、本来の残業目的である仕事を始めた。

 翌朝、が出勤すると同じチームの若月が声を掛けてきた。
「すみません、教えていただきたいことがあるのですが」とノートを手にしてやってくる。
「うん、何?」
「『レイプ目』って何ですか?」
 少し声を落として彼女が聞く。
「あー……、都成、また何かおかしなことをべらべらしゃべってたんだ」
 情報源が誰かというのを察してが呟いた。
「若月さんは耳慣れないかもしれないけど、私の世代よりも上だったら『死んだ魚の目』って言ったら雰囲気がわかると思うんだけど。そうだな……感情を殺したとか何も感じないようにしたとか、そういう感じかな?」
「ありがとうございます。じゃあ、」と昨日の都成の演説中よくわからなかった単語を聞いた。
 はそれに答えながら首を傾げる。
「何の話をしててそんな単語が出てきたの?」
「あ、いや。何か色々とありまして」と若月が誤魔化した。
「あと、もうひとつ良いですか?」
「どうぞ?」
さん、黄瀬さんのこと好きですか?」
 直球で聞かれては少しだけ戸惑ったが、はにかんで笑った。
「私は、惰性で誰かと付き合うことはしないって決めてる。黄瀬くんは私のアクセサリーじゃないよ」
 直球で訊かれたことに変化球で返してしまった後ろめたさはあるが、正直に答えた。
「ありがとうございます」
「おはー」と都成が出勤してきた。
「おはよ。昨日はありがとう」
 黄瀬をあの雑談から早く引き離すためにパソコンの電源を落とすのを彼女に頼んでいたのだ。
「ああ、良いってことよ。何食べに行ったの?」
「タリーズの新作スイーツ」
「それおやつじゃん。てか、お昼に付き合うよ」
「お昼だったらいつも結構並んでんじゃん。それに、パスタも食べたよ」
「よく入ったね」
「黄瀬くんが半分食べてくれた」
「胃袋高校生か!」
 都成は笑い「頼もしいよ」とも笑う。
「おはようございます」と黄瀬が出勤してきた。
「おはようございます」と都成もも口々に挨拶を返す。
 自席についた黄瀬が昨日雑談を振ってきた先輩に「すみません、昨日は話の途中に」と声を掛けた。
「いや、こっちこそ。ちょっと込み入った話を聞き過ぎたことを反省しています」と返す。
 黄瀬は俄かに驚き、「できれば、昔の話はあまりしたくないです」と言う。
「うん、本当にごめん」
 そんな様子を都成が満足そうに見ていた。
「どうしたの? あ、知ってる。今の都成みたいなの『後方彼氏面』って言うんでしょ?」
 に指摘されて「若干違う」と返した。
 とはいえ、推しが働きやすい環境を作ったという自負があり、その点では非常に満足を覚える。
「難しいな」と零しているに「マブダチがニコニコしてたら幸せでしょ」と都成が言うと「そうだね」と返されて彼女は「っかー!」と天を仰いだ。
「また奇怪な行動してる」という目で都成を見たは、本当は昨日片づけてしまおうと思っていた仕事をすべく、パソコンを立ち上げた。





桜風
22.9.25


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