| 夢を見た。 そこにたどり着く夢。 それはあと少し、ほんの少しで現実になる。 ――はずだった。 雨が降る中、彼女はとぼとぼと歩いていた。 先ほどまで傘を差さなくてもいいと思う程度の降りだったのに今はそこそこ大きな雨粒で。 けれども先ほどの霧雨ですでに濡れている彼女はもう傘を差すことが面倒くさくなった。 胸の奥底から込み上げてくる何かをやり過ごそうと、大きなため息を吐いた。 すると涙がこぼれて、慌てて拭う。 彼女は強豪と呼ばれる学校のバスケ部に所属していた。 高いセンスを持っていたわけではない。運動神経だって人並より少し良いかもしれないが抜きんでているわけではない。そんなレベルの身体能力。 そんな彼女でも継続した努力のおかげでユニフォームを手にすることができた。 次の試合でスタメンとなり、華々しい公式戦デビューを飾る。そんな夢を見ていた。 だが、それが叶わなくなった。 少し前から異常は感じていた。 長い時間、運動をしていると足が痛くなる。 しかし、もう少し頑張ればユニフォームを着られると思い、その痛みは我慢していた。 今度の公式戦のスタメンを決めるための紅白戦。 その時、動けなくなった。足が痛くて、走るなんてもってのほか。その時点では、歩くのもやっとで。 すぐさま病院に連れて行かれた。 医者の言っていることはよくわからなかった。ただ、「激しい運動は控えるようにしてください」という言葉が耳に入ってきた。 頭をハンマーで叩かれたような、そんな衝撃を受けた。 すぐそこにあった夢は、ただの夢で終わった。 そんな大それた夢を見た覚えはない。それなのに、ささやかな夢を見ることも赦されないのかと、悔しくなった。 「大丈夫?」 不意にかけられた優しい声音に思わず顔を上げる。 心配そうに顔を覗きこんできたこの人の顔は女性っぽいが、背がすごく高くて... 「え、と」 知らない人だった。 こんな人ごみの隅っこで涙を流している自分に声をかけてきた知らない人に彼女は慌てた。 「大丈夫?傘を持ってないの?」 「か、傘あります!」 そう言って慌てて鞄の中から赤い水玉模様の折り畳み傘を取り出した。 「濡れたら風邪を引いちゃうわよ。ちゃんと差しなさい。タオルは?」 「た、タオル!ありま..ないです」 部活をしていた時はいつも持ち歩いていた。だが、激しい運動を禁止されて部活は辞めた。 顧問は引き留めてくれた。しかし、聞いてしまったのだ。レギュラー争いをしていた部員が心底嬉しそうに話をしていた内容を。 『ざまみろ』という言葉を。 チームメイトと切磋琢磨した末に手にした結果だと思っていた。だが、それを違うように捉えられていたと気付き、ここに自分の居場所はないと思ったのだ。 「タオルはないのね」 そう言って傘を差しかけてくれている親切な人が自分のバッグからタオルを取り出した。 そのバッグを見て「洛山」と思わず学校名を口にしてしまった。 「あら、知ってるの?バスケしてるの??」 洛山と言えば、バスケ部と連想されることが多い。 しかし、バスケをしていなければそこまで思い至らない人間の方が多いだろう。 「え、と...」 俯く彼女に何か理由があるのだろうと考えたその人は、「私、実渕玲央っていうの。洛山のバスケ部1年。あとちょっとで2年だけどね」と自己紹介をしながらバッグから取り出したタオルで目の前の女の子の髪を拭く。 「..です。もうちょっとで中3です」 そう言いながら実渕の手にあるタオルを受け取り、お礼を言って服についた雫も拭き始める。 「ちゃん。そう」 頷く実渕に「おい、先行くぞ」と声をかける人物を見てはびくりと震えた。 (こ、こわい...) 「そうしてちょうだい」と返した実渕は苦笑して「デリカシーのない大男なのよ」と笑う。 「実渕さんは..え、と」 「洛山のバスケ部は男子部しかないわよ」 苦笑して実渕が言う。 「あ、ごめんなさい」 「いいのよ」 「今日は部活だったんですか?」 「そうね、今日は練習試合だったの。相手校に行った帰り」 「普通、強い方に赴くんだと思うんですけど」 「どんな環境でも勝てるチームってことでね。けど、まあ。今日の試合はちょっと反省材料が多いわね」 実渕の言葉に事は首を傾げ、「あの、実渕さんはもしかして..レギュラーですか?」とおずおずと問う。 (あら、新鮮...) 彼が最初からレギュラーであることについて、彼の周囲はさほど違和感を感じなかった。 だから、こんな風に驚いた彼女に苦笑を漏らし「ええ、そうね」と頷く。 「すごい!」 「ありがとう」 彼女の称賛の言葉を素直に受け取った実渕は、先ほどから少し気になっていた事を聞いてみた。 「バスケ、やめちゃったの?」 初対面でこんな風に事情に踏み込むことに躊躇いはあったが、だが、バスケについて話すことを拒否しないのに、どこかさみしげな彼女の表情が気になった。 「やめちゃいました」 俯いてが言う。 「どこか、故障しちゃった?」 驚いたように顔を上げた彼女は俯き、話してくれた。 聞き終わった実渕は「そう」と相槌ともため息とも取れる声を漏らす。 「夢だったのね」 「はい」 「ひとつめの夢は、残念ながら叶うことができなかったけど。次は?」 「つ、次...」 自分の中で唯一のそれは、おそらく周囲の人間から見ればいくつかある選択肢のうちの一つにすぎなかったのだろうか。 自分の周囲はこれまでの努力や目指していたものを知っているから見守ることを選んでくれていた。 だが、ふと心が軽くなった。 「次は...」 「次の夢は、全国優勝っていうのはどうかしら?」 「へ?」 きょとんと見上げる彼女に実渕は (そうよねぇ) と彼女の心境に同意した。 唐突すぎる話の展開。 「私、頑張る女の子って好きよ。可愛いし、かっこいいじゃない?」 「全国って...」 「洛山にいらっしゃい」 「でも、バスケ部は男子部しか..あ、男装。できるかな?」 「違う違う」 慌てて実渕が止める。そもそも故障してバスケを辞めたのに、なぜそういう思考に向かうのかと少し困った。 「マネージャーっていう選択肢を入れてもいいんじゃないの?勿論、ちゃんが諦めなきゃならなくなった夢はバスケだし、その近くにいるのが嫌ならバスケじゃない何かでもいいとは思うけど。でも、何だろう。これも何かの縁って思っちゃったのよね」 肩を竦めていう。 「もちろん、ちゃんに行きたい学校があるならそっちを選ぶべきだと思うけど。選択肢の一つに加えても面白そうじゃない? だって、こんなにステキな先輩がいるって知ってるのよ?」 首を傾げて言う実渕には笑った。 「あら、可愛い」 「へ?」 「何でもないわ。あ、ごめんなさい。もっとちゃんと話していたかったんだけど。いい加減行かないと周りがうるさいし」 そう言って実渕が彼女から離れる。 「あの!」 「なに?」 「タオル!洗って返します。あの、だから...」 タオルの存在はすっかり忘れていた。だが、彼女の言葉に頷き「何かメモするものあるかしら?」と返す。 は慌てて鞄からペンと生徒手帳を取り出した。 「あら、これに書いてもいいの?」 少し驚いたように実渕が言うと「はい」とが頷く。 「じゃあ...」 そう言って実渕は彼女の生徒手帳に自分の携帯の番号を書いた。 「時間があったら学校も案内してあげるからね」 「はい」と返事をしたに微笑み、実渕はその場を離れていった。 「洛山かぁ...」 呟いた声にどこか希望の色が灯った気がして苦笑した。 そして、思い浮かべてみる。洛山高校に通う自分の姿を。 しかし、すぐに「勉強かぁ」と情けない声をこぼした。 何せ、洛山は学力レベルも高いのだ。普通入学を狙うなら、死に物狂いで勉強しなくてはならない。 ただ、確実に自分の視線は前を向き始めた。 「ステキな先輩もいることだしね」 クスリと笑ってそう呟いた。 夢を見た。 その夢には手が届かなくなった。 それでも、次の夢を見る。 今度も手が届かないかもしれない。だけど、そこに向かうことにした。 顔を上げて歩き出すことを選んだ。 まだ雨は降っているが、それでも彼女は晴れやかな気持ちで次の夢への一歩を踏み出した。 |
15.2.9(サイト掲載)
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