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私には、かつて家族が居た。
とてつもなく幸せな、裕福な家族とは言いがたいだろう。
それでも、ちょっとうだつのあがらない父が居て、しっかり者で評判の母が居て。
喧嘩をするが最後には仲のよい兄と妹がいて...
このまま永遠に続くはずの、普通の生活を送っていた。
おそらく、この世の日常の中に私は居た。
17歳のとき、私の生活は日常から非日常へと変わった。
私がまだ女子高生なるものをしていたとき、非日常がやってきた。
部活動をしていて、いつもより家に帰るのが遅くなった17歳の誕生日。
日か沈んで、家路に向かう。
母がケーキを焼いてくれると言っていた。お店のものに比べると味にムラがあるし、決して絶賛できるものではない。
それでも、母の焼いてくれるケーキが私は一番好きだった。
父がプレゼントをくれると言っていた。
いつもバイトで忙しい兄も今日は早く家に帰ってきてくれるそうだ。妹はご飯を作るのを手伝うと張り切っていた。
「ただいまー!」
家に帰って玄関で声を掛けるけど返事が無い。
いつもなら母のよく通る声で「おかえり!」という言葉が返ってくるというのに。
そして、私はこの家の異常さに気がついた。
鉄の臭いがしている。臭いを辿って裏に回った。
ウチは何故か無駄に家が広い。
母が掃除好きでなかったら荒れ放題になっていただろう。
裏に回ると、離れがある。
離れは兄と私の部屋があり、妹はまだ小さいから母屋で暮らしている。
離れのドアが開け放たれていた。
恐る恐る覗き込んでみるとそこには、動かなくなった両親の、兄の、妹の体があった。
それは、すでに肉の塊。
突然、私の体中の血液が逆流した感覚に襲われた。
気持ちが悪くなりその場で嘔吐した。
どんなに戻しても胃が落ち着かなく、すでに意識が朦朧としている。
もう一度部屋の中に目を向けると、私は信じられない光景を目にした。
数人の男がこの部屋に入ってきて、そして、私の家族を殺していく。
部屋に入ってきた男たちに父が用件を聞いた。
途端、父の目の前に居た男は父の目にナイフを突き立てる。横に居た男が父の首を切った。
兄が母と妹を庇い、逃げるように促す。
兄はメッタ刺しにされ、母は妹を庇うように妹に覆いかぶさった。
母は蹴り上げられ、刺され、口から血を流しながらも妹を守ったが、力尽きた。
妹は男たちに汚されて、殺された。
時計を見ると、2時間前。
初めて私が見た過去が、それだった...
私は夢中で走った。
走って走って、交番に行った。
そこで、私が見たものを話した。
殺人事件として取り扱ってもらえたが、私が『視た』ことに関しては私の精神異常という形で処理された。
家族を全て失ったショックで見てしまった幻覚だろう、と。
親戚はどの家も私を引き取りたがらなかった。
当然だ。精神異常者である私を引き取れば近所の格好の噂の的だ。
私は入院をさせられそうになった。
体のいい厄介払いだ。
それがイヤで必死に逃げた。
親戚もそんな私を探し出そうとは思わなかったのだろう。それこそ、好都合というものだ。
私は只管逃げた。
何から逃げていいのか分からない。
あの日から私はあらゆるものの過去を視てしまう。
視たくないと目を逸らしても全てのものに過去は存在している。今、何か形を得ているのならそれまでの工程があるのは当然だ。
すれ違う人の過去の罪、過去の傷。
それらが見えてしまう私には何が現実で、何が過去なのかさえも曖昧だ。
何も食べず、飲まずに街を彷徨った。
空を見ると真っ青だ。空の過去なんてそれこそ気の遠くなる話で、人である私が理解できるものとは思えない。
太陽が眩しい。
太陽を見すぎると失明すると聞いたことがある。
失明すれば見えなくなる。視なくて済む。
空に輝く太陽に光を奪われるのも詩的で悪くない。
太陽を見続けているとふっと翳った。
「大丈夫?目が悪くなっちゃうよ?」
突然声を掛けられた。
「おい、変なのに声を掛けるなって」
「でも、泣いてるじゃないか。助けてって泣いてる子を放っておけないよ。少なくとも、俺の目にとまってしまったんだから、見て見ぬフリなんて出来ないって」
私と同じ歳か年下の男の子が3人の男の人と言い合っている。
不思議と、私は彼に見とれた。
「何?」
「いいえ、なんでもないわ。私のことは放っておいて」
そう言って立ち上がろうとしたけど、どうしても上手くいかない。
何日も飲まず食わずで過ごしたからもう、体が限界なのだろう。
「はい、あげるよ」
男の子がパンをくれた。
全ての過去が視える私はパンが小麦だったときまで視えてしまうのに何故かこのパンだけは視えない。
私は夢中でそれを口に運んだ。
「博幸(ひろゆき)。ひとつ聞くが、こいつどうするんだ?」
「えーと...どうしよう?困ったね...」
博幸と呼ばれた少年が困ったように言う。でも、口ぶりだけは一応困った感じだが、顔の表情は言ってるほど困ってない。
「ありがとう」
取りあえず栄養を摂取した私は動けるようになり、彼らの元を去っていこうとした。
「あ。ちょっと待って。君は何で泣いてるの?」
「あなたには分からないわ」
「うん、今の俺には分からない。だから、教えて」
屈託の無い笑顔でそう言われて、毒気を抜かれてしまった私は思わず
「私は、過去が視えるのよ。頭がおかしいって思うかもしれないけど、でも、本当のことなの」
答えてしまった。
「そうか...大変だったね。人は皆、過去を持って生きている。当然だよね、生き続けたら過去は必ずついて来る。だって過去は、その人の歴史だから。君は全ての生きている証を視ることが出来るんだね」
そんなすっとぼけたことを言う。
何にも分かっていない。
私の苦しみ、私の辛さ。
「あなたみたいにぬくぬくと育てられたお坊ちゃまには分かんないわよ!」
思わず叫んでいた。
「『ぬくぬくと』、ね...」
後ろに控えていたメガネをかけた長身の男が呟いた。
いかにも頭の切れる、冷静沈着といった雰囲気の男だ。
「お前こそ、コイツの苦労が分かってないだろう?」
もうひとりのサングラスをポケットに挿した長身の男がそういう。
こちらは私とほとんど年も変わらない感じの人だ。
髪の毛は茶色で派手なピアスもつけている。さっきの男に比べて軽い感じがした。
「...普通、そうだろう?人の気持ちなんて誰にだって分からない。分かったって思ってる人は、ただ分かったつもりでいるだけだよ。だから、分かってほしかったら少しでも話して伝えないと。言葉を伝えた分だけ、自分を知ってもらえる。君は、俺たちと来るかい?」
博幸という少年が言った。
何でもないことのように、彼は私にそう言った。
彼の近くにいたもう一人が私に手を差し出した。
「俺は、一度しか手は差し出さない」
そう言って私の目を見る。
どれくらいの時間、私はその手を見つめたのか分からない。
ほんのちょっとの時間だと思う。
でも、私にとってはとても長い時間で、きっとこの先の人生でもこれ以上に長い一瞬はないと思う。
「...行こう」
博幸少年がそう言った。
付き人の男の人が手を引こうとしたとき、思わず私はその手を掴んだ。
「腕が、疲れたぞ」
皮肉っぽく笑いながら彼は私を引き起こしてくれた。
博幸さんは笑って、「よろしく」と言った。
メガネのインテリアはそのまま行き先に向けて足を進めて行き、茶髪の彼は私に一瞥をくれて苦笑をしてメガネに続いた。
彼らについて歩いた。
歩いていく途中も色んなものの過去は視えたけど、何故か彼らの過去だけは視えなかった。
道すがら自己紹介をされた。
メガネのインテリは『加賀幸治(かがゆきはる)』。医者をしているらしい。
茶髪が『土井忍(どいしのぶ)』。大学生。
最後、私に手を差し伸べた人が『高橋俊也(たかはしとしや)』。職業は不明。
ちなみに、お坊ちゃまは『秋野博幸』と言うらしい。歳は15。中3だ。
彼らが足を止めたその先には、東京のど真ん中だと言うのにえらい大きな屋敷の前に立っていた。
(本当にお坊ちゃまなんだ...しかも、半端じゃないくらいの...)
そう思っていると、門の中に皆が入っていったので私も恐る恐る続く。
「おかえりなさいませ」
恭しく皆が博幸くんに頭を下げる。
「お前はこっち来い」
そう言われて高橋さんが私を別の場所に連れて行った。
「篠崎さん。コイツ、ヒロが拾ったんだ。綺麗にしてやって、頼みます」
そう言って一人の女性に引き渡された。
篠崎さんと呼ばれた人は私を見て眉を寄せた。
「あー、女の子がこんなになって!ほら、着いて来なさい。お風呂にお入りなさい!!」
手を引っ張られながら私は迷子になりそうな広い家の廊下をお風呂目指して歩いていった。
ひとりお風呂場に放り込まれて私は驚いた。
「温泉地...?」
とてつもなく広いお風呂だった。
分かりきっていたことだが、風呂が広けりゃ家も広い。
お風呂で置き去りにされた私は、置いてあった服を適当に着て、家の中を徘徊していた。
博幸くんは、高橋さんは何処に居るのだろう?
「お前か。高橋さんに連れてこられたヤツは」
突然廊下の角で声を掛けられた。
「アンタ、誰?」
私とほとんど歳の変わらない男の子が腕を組んで廊下の壁に寄りかかっている。
ついでに、何か『偉そう』だ...
「俺は、篠崎俊夫(しのざきとしお)だ」
「篠崎?って、さっき私をお風呂まで連れてきてくれた人?」
優しい、でも厳しいお母さんの感じがしたあの篠崎さんを思い出した。
「さあ、そうかもな。お袋はここで働いているし、今日は仕事の日だからな」
「そうかー。息子さんか。私は、能瀬佐代子(のせさよこ)」
彼を見てやっと気がついた。
私はこの建物の中に入ってから一度も、何の過去も見ていない。
力がなくなったはずは無い。
ここに来るのにずーっと何かしらの過去が見えてたんだし。
「ここは、知り合いの神職の人に結界を張ってもらっているから変な力は使えないんだよ」
心を読んだかのように篠崎俊夫が言った。
何で私が奇妙な力を持っているって知っているのだろう?
「何で、突然そんなことを言うの?!失礼じゃない」
私は恐怖のあまり語気が強くなった。
「高橋さんが拾ってきたなら、超能力者だよ。今までの経験からそう思ったんだ。けど、やっぱ図星か...」
そう言って彼が歩き出した。
道が分からないので思わず私も彼についていく。
「今までの経験って、どういうこと?」
「まあ、今まで高橋さんに、っつっても博幸坊ちゃんが勧誘するから『博幸坊ちゃんが連れてきた』って言った方が正確だろうけど。あの人が連れてきた人は何かしらの変な力を持ってるんだよ。坊ちゃんが何か感じるのかもしれないな。あの人は超能力みたいなのは持ってないって聞くけど、でも、何かは持ってるんじゃないか?」
そう話しながら彼は歩いた。
彼は私以外の超能力者を知っているらしい。
しかも、あの博幸くんは今までも私みたいな人を拾っていたらしい。
不思議な少年だと思った。
「こっから先は、どの部屋にも人が居る。誰かに道を聞いて行け」
そういって彼が背を向けた。
「トシ、久しぶりだな。居るなら居ると言えよ。それはそうと、お前同じ歳くらいの女の子見なかったか?篠崎さんに聞いたら『お風呂に置いてきちゃった』とか爽やかに言うから探してるのに見つからないんだ」
「コイツのこと?」
トシと呼ばれた彼が少し右にずれると私からも高橋さんが見えた。
「そう、その子のこと。良かったな、トシが見た目よりもずっと面倒見が良くて」
私にそう声をかけた高橋さんに、『トシ』は不服そうな声を上げる。
「『見た目よりも』って何スか?」
「言葉の通りだ。あ、紹介しとこう。コイツは」
「もう自己紹介したよ。で、そっちは能瀬佐代子だってな」
「そいや。俺らは自己紹介したけど、聞いてなかったな、名前。悪かったな。...それにしても、トシ。お前初対面でナンパかー」
「『ナンパ』てのは初対面ですることだと思うんスけど?つか、誰がこの家の中でナンパするんスか。意味分かんねー」
「相変わらず口が悪いよな。ま、後で話聞いてやるよ。今は佐代子の話を聞かないといけないからな」
「ども」
突然呼び捨てにされたことに驚いたけど、それ以上に高橋さんと会話をしている『トシ』の表情が嬉しそうなことにも驚いた。
「行こう」と声を掛けられて高橋さんが歩いていく。
私は振り返って「ありがとう、俊夫さん」と言うと「トシ、でいい」と言ってトシはヒラヒラと手を振ってどこかへ行った。
「あの、彼は何か超能力を持ってるんですか?」
「トシのことか?まあ、そういうのは本人に聞いてくれ。悪いが、佐代子は身元不明なんで話を聞かせてもらうぞ。保護者、居ないんだろ?」
高橋さんに言われて驚いた。
「何で、私に保護者が居ないって知ってるんですか?」
「知ってるも何も。捜索願が出てないし、帰るところがあったら帰るだろ、普通」
歩きながら足を止めずに振り返って高橋さんがそう言った。
高橋さんの言葉に私もすんなり納得した。『捜索願』が出てないことも含めて。
ある部屋に行くと、そこには博幸君と、加賀さん、土井さんにあと年配の女性と厳しそうな中年の人が居た。
「博幸様。猫や犬みたいに簡単に人を拾ってくるのはおやめください」
溜息混じりに中年の男の人が私を睨みながらそう言う。
「俺は、猫や犬は拾ったことは無いよ。俺は自分の意思でここに来る人を連れてきてるんだ。無理やり連れてきてるわけでもない」
さっき、道で行き倒れている私に声を掛けたときとは全然違う目、鋭い目で博幸くんが答えた。
「さあ、佐代子。質問に答えてくれ」
高橋さんに椅子を勧められて私はそこに座った。
おじさんに尋問みたいに質問されたけど、高橋さん、そして何故か加賀さん、土井さんが私を庇うように口を挟む。
色々質問されてとりあえず、行くところが無いのでこの家に勤めている人たちの寮に数日入れてもらえることになった。
寮といっても敷地内だ。
部屋まで案内してくれる高橋さんにさっきの査問会(?)の事を聞いてみた。
「ねえ、高橋さん」
「あ?何だ?」
「さっき。おじさんが色々質問してきたのを加賀さんと、土井さんも私を援護してくれてたよね?何で?あの2人も反対していたと思っていたのに...」
「ま、反対って言ったら反対だろうな。俺はそこまで気にならないが、あの2人は少し細かいから。俺たち、特にボディーガードに入っている連中は自分が守っているものが全てなんだ。博幸が望むことを俺たちは邪魔しない。もし、佐代子が博幸を害す人間で、ここに潜り込んだとしても、博幸が置いててもいいというなら置いとくさ。ただし、博幸を害そうとした途端、お前の命は無いから。それだけは、覚えておいた方が良いぞ。俺たちは、そういう人間だ」
口調は軽いけど、背筋がゾッとした。
この人の本性はそこにあるのかもしれない。
面倒見がいいお兄さんタイプだと思っていたけど、それだけじゃなかった。
「あー、悪い。ビビらせたよな。お前が変なコトしなかったら俺らもちゃんと面倒を見てやるから。大丈夫だって」
それから、私はこの家で働きながら暮らした。
家の中は快適だった。全ての過去が視えない。安心した。自分が『普通』だと思えるから。
ただ、時々半ば無理やりに家の外に出された。
そんな時は大抵博幸くんたちと一緒だった。
少しでも過去を見る対象を減らす為の配慮だったのかもしれない。
そして、私は初めて彼の現実を目にした。
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