アイコトバ 22





『旅人になってきます』という書置きを残して突然達海は姿を消した。

翌日はキャンプに出発だ。そのタイミングで姿を消した達海の行動に副会長は彼を解任すると騒ぎ始める。

何かと彼の解任を口にする副会長にはこれ見よがしに盛大な溜息を吐いた。

いい加減、我慢の限界だ。

「じゃあ、達海さんを解任した次は誰ですか」

がまさかこんなことを言うとは思っていなかった副会長が目を丸くした。勿論、室内に居た全員が似たような表情を浮かべている。

ちゃん?」

聞き間違いかな、と思って確認するように副会長がを呼ぶ。

「このクラブはもう達海さんに賭けたんですよ。後藤さんが呼びに行った。けど、結局クラブとして会長も副会長も認められました。もう、逃げられません。副会長もそろそろお覚悟を決めてください」

「誰に口を聞いているのか分かってるのか?!」

つばを吐き散らす勢いで副会長が言う。

「お前なんぞすぐに首を切れるんだぞ!!」

はついと目を細めた。挑発的に。

ちゃん、やめろ。副会長も落ち着いてください。達海が帰ってこないとまだ決まったわけではありません」

は短く息を吐いて「ちょっと連れ戻してきます」と言って部屋を後にする。

「え?!ちゃん??!!」

後藤が呼び止めようとしたが、は聞かずにそのまま廊下を歩いて外に向かっていった。

「ああ、そうか」と有里が頷く。

「どうした?」

「これ、『あ』なんですよ。『な』じゃなくて」

つまり、『旅人にあってきます』ということらしい。

達海が『旅人』というのは笠野のことだ。達海は笠野に会いに行ったようだ。はその書置きを見たときからそれに気づいていたのだろう。

「叔父さん、さっきさんを解雇するみたいなことを言ってたけど、そんなことをしたらクラブにとって大ダメージですからね」

有里がキッと睨みながらそう言う。

「い、いや..それは...」

さんみたいに複数言語が堪能な人なんてほかのクラブでも欲しいっていうのに、こんな小さなクラブが良いって言ってるんですからね!今、外国人選手を獲得してもさんが通訳をしてくれるし、その交渉に行くのだってさんがいれば随分と楽になることくらい分かるでしょう」

「しかし、昨シーズンの...」

言い返そうとする副会長に「もういい加減にしろ」と会長が遮った。

「通訳がいても文化に馴染めない人は居る。それでだけの問題にするのはおかしいことだ」


「それに、」と有里は先日の話を始める。


練習の見学に来ていた人で何か困った様子の女性が居た。色紙を大切そうに胸に抱いていたので誰かのサインが欲しいというのは分かった。

有里が声をかけてみたが反応がイマイチつかめなかった。

通りかかったがすぐに反応した。

手話で話し始めたのだ。

その女性も手話で返す。

「な、何?」

有里が問うと

「緑川さんのファンなんですって。サインが欲しいらしいけど、今は練習中だから待ってもらったの」

と返す。

「手話も出来るの?」

「まあ、こんなこともあろうかと思って勉強したの」

なんでもないことのように返した。

はいつも言う。自分は語学力を買われてETUに入っているのだから、身に着けられる語学は可能な限り身に着けたい。

手話も彼女にとってはそうだったみたいだ。たくさんの人とコミュニケーションを取れるように。このクラブのことをたくさんの人に紹介できるようにといつも思っているのだ。

それについてはの口からは聞いていないが、たぶん、間違いないと思う。

練習が終わってすぐには緑川を呼びに行った。

事情を話すと緑川も快諾してやってきてくれてそのファンの女性にサインをして、握手をした。

彼女は何度も何度もに礼を言っていた。

手話は分からないが、表情を見たら分かる。


「お父さんや叔父さんはフロントとしてこのチームをずっと見てきて支えてきたかもしれない。けどね、さんだって、小さなときからサポーターとしてこのチームを応援してきて、今はフロントとして支えているの。叔父さん、次にさんにあんなことを言ったら、私本気で怒るから!」

そう高らかに宣言をして有里は部屋を出て行った。

明日からの合宿の準備がまだ済んでいない。

監督は出発までにが連れ戻してくる。

だから、自分は準備を怠らないようにしなくてはならない。

有里が出て行ったドアを呆然と眺めていた副会長は呟く。

「最近の女の子は怒ったら怖いなぁ...」

言うことはそれだけか!

心の中で全員が盛大に突っ込んだ。









桜風
10.9.4


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