アイコトバ 26





ふと、こちらに駆けて来る人影を見た。そのスピードは目を瞠るものがある。

『ぐんぐん』近付いてきたその人物に達海は首を傾げる。

は亀だ。まず、あのスピードはありえない。椿がを負ぶって帰ってきたとする。その場合、椿だってこんなにスピードは出ない。

つまり、椿が一人で駆けて戻ってきたと言うことだ。

は?!」

戻ってきた椿に達海が問う。

「え?!...あ!!」

「走って」と言われた。反射で駆け出して、のことをすっかり忘れていた。

彼女は物凄く足が遅い。

そして、懐中電灯は自分が持っている。つまり、彼女を薄暗い中に置いてけぼりにしてしまったと言うことだ。

上手く説明できない椿に皆が焦れて居る中、駆け出した者が居る。

ジーノが椿の手から懐中電灯を取って「ザッキー」と声をかけて懐中電灯を投げた。

受け取った赤崎はそのまま駆けて椿が戻ってきた方角へと向かった。

を忘れるなんて、酷いな。バッキー」

目を眇めてジーノが言う。

「まあ、そう言ってやるな。ひとりなら大丈夫だ。薄暗いのがちょっと心許ないところはあるだろうが...」

そう言って請け負ったのは笠野だった。

「笠さん。自信があるみたいだけど、理由は?」

「あの子は賢いし、強いからね。そんじょそこらの女の子とは一味も二味も違うよ」

いや、それは本人から聞いたかけど...

そう思いながら達海は暫し悩む。

選手を危険な目に遭わせる訳にはいかないし、かといってフットワークの軽い後藤が今この場に居ない。

彼が居たら見に行ってもらったのだが...

「監督、俺たちも行きますか?」

村越が声をかけてきたが

「いーや。は黒帯らしいし、様子を見よう。あいつが赤崎..選手を危険な目に遭わせることもないだろうし。それに、此処、都内だよ?」

の心配は、しないんスか?」

少し癇に障ったかのように村越が問う。

少し沈黙した後、「しないよ」と達海は返してとことこと歩き、その場からふらりと消えた。


何だか猛烈な勢いでこちらに向かってくる気配があり、は困惑した。

さん!!」

自分の名前を呼ばれて誰が来たかが分かる。

「赤崎くん?!」

の声が聞こえた赤崎はそちらに懐中電灯を向けた。

の顔に光が当たり、眩しそうに彼女は手をかざした。彼女は一応街灯の下に立っていた。

「あ、すんません」

向けていた懐中電灯を彼女の足元に向ける。

「何で赤崎くん?」

が問う。

「...誰だったら良かったんスか」

少し不満そうに言う赤崎に、

「選手ではない誰か」

は答えた。

監督のことを言ってるのか?

そう思いつつも「何で椿だけ帰したんスか」と声をかけた。

「んー、何か付けられていたから。ちょっと不気味だったからね。椿くんの場合は逃げた方が確実でしょう。
けど、わたしたちがオリエンテーリングな肝試しをしてたのが逆に不審者に思われたみたい」

肩を竦めてそう言うに赤崎はこれみよがしな盛大な溜息を吐いた。

「あんたは自分の心配はしないのかよ」

不機嫌になると赤崎は敬語を口にしない。わかりやすくていい、とは思っている。

「うーん、まあ。何とか走る以外の逃げ方をあれこれシュミレートしてたし」

が言う。

赤崎は溜息と共にその場にしゃがんだ。

「あのさ、さん。さんがオレたち選手を大切にしてくれるのって凄く嬉しいし、有難いけど。あんた、もうちょっと自分を大切にしてくれよ」

そう言ってそのままに背を向けた。ちょうど『おんぶ』を促す格好になる。

「イヤだ」と返すにこれまた盛大な溜息を吐いた。

この合宿中、は人一倍働いた。比喩ではなく、間違いなく言葉通りの事実だ。自分達みたいに普段から鍛えているのならまだマシだったろうが、彼女はアスリートをやめて久しいので、動き通しだったこの合宿はかなり体に負担をかけているに違いない。

「じゃあ」と立ち上がって赤崎は手を差し出す。

「危なっかしいから」と付け加える。

先ほど、皆がくじの結果を楽しみにしているときは少しうつらうつらしていた。それよりも前に何でもないところで躓いていたし、体力的に本当に限界を迎えているはずなのだ。

「大丈夫よ」と言うの手を取って、「さんの『大丈夫』は当てになんないスから」と言い、皆の待つところへと足を向けた。









桜風
10.9.25


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