| クラブハウスの屋上から練習場を見下ろした。 「はぁ...」 漏れる溜息は白く、もう季節が随分と移ろいだのだと今更ながらに思う。 なにより、座っているお尻が非常に冷たい。 ギィと音がしてドアが開き、ガチャガチャと立て掛けていた脚立を上ってくる音が聞こえる。 ああ、達海かなと思っていた。 「寒くないんスか?」 しかし、現れたのは赤崎で、は小さく息を飲む。まさか、ここにくるとは思っていなかった。 赤崎の問いに「ちょっとね」とは苦笑していつもどおりの自分を見せる。 まだ逃げられるのだろうか... まさか、こんな物理的にも逃げ場のないところで顔をあわせるなんて思っていなかった。 ここ数日の赤崎の視線は、いつものそれと少し違っていた。 の考えを読んだかのように、赤崎が「さん」と名を呼ぶ。 「何かしら?」 「オレ、さんが好きです」 は瞑目した。 若手の、自分より年下の選手達に意外と慕われていることは自覚がある。あの世良とか、清川とか。彼らにとっては姉のような存在だ。 だが、そうではない感情を自分に向けている人物が居るのも知っていた。何度もその視線から逃げていた。赤崎の視線から。その視線が自分に向ける感情がここ数日、特に露になってきていた。何かあったのか、なかったのかは分からない。 でも、もう逃げられない。彼がそれを許さないといっている。 「そう」とが返す。 「それだけ..スか?」 の眸が揺れる。 「さん、知ってたでしょ?」 詰め寄る赤崎の言葉は鋭く、でも、彼には言う権利があるとはその鋭い言葉から逃げることだけはしないと決めている。 「オレじゃ、ダメっスか?」 は息を吸った。 「わたしの初恋はね、達海さんだったの」 いつか、村越と緑川に話したことを繰り返す。 静かに聴いていた赤崎は「それって、今も?」と返した。 「今はあの人はムカつくオッサンだよ」 は苦笑する。 時々、昔をフラッシュバックしてしまうけど、そこらへんは比較的冷静な性格のお陰で血迷うことはない。 「じゃあ..例えばオレがずっとETUにいるって言ったら?」 そうすれば応えてもらえるのかと赤崎が問う。しかし、答えは違った。 「怒る」と簡潔にが言う。 赤崎は不思議そうにを見た。 「赤崎くんはプロでしょう?プロって、その体ひとつが商売道具で、その価値をより高く評価してくれる人が居るならそっちに行く方がいい。少なくとも、その選択肢を最初から消すなんて、それはプロじゃないでしょう。わたしはそう思う」 赤崎を睨むように見てそういったがふっと目元を緩める。 「フロントの、スタッフのわたしが言うのも何だけど。赤崎くんはこんなちっさいクラブで終わるような器じゃないでしょう。世界に行けるならそのチャンスに目を背けるなんて馬鹿げてるわ」 の言葉を受けて赤崎は空を仰いだ。 「ETUが、リーグかカップで優勝」 ポツリと呟く。 「ん?」 「ETUが、そのどっちか実現させたら、少しは考えてみてください。今みたいに、最初からサッカー選手だからダメだって言うんじゃなくて、オレを見て考えてください」 首を傾げるに赤崎はそういった。 「聞いてもいいかしら?」 「はい」 「何で、『自分が代表スタメン』とか言わないのかな、と思って」 の言葉に赤崎は苦笑した。 「だって、さんはオレが代表でスタメンになるよりも、ETUが優勝した方が嬉しいでしょう?」 躊躇いがちに頷くに「だからっスよ」と返す。 「どうせ何かするなら、やっぱ喜んでもらえる方がいい」 そう言って不敵に笑った。 「あ、でも。赤崎くんが代表に選ばれても嬉しいよ?」 「いいっスよ。そういうフォロー」 フォローではないのだが... 嬉しいといえば嬉しい。だが、より嬉しいのはどっちかと聞かれたら、自分が人生を捧げているETUの優勝だ。 「でも、考えてみるけど。出来るって言う約束は出来ないと思う..んだけど」とが言う。 「いいっスよ。そん時は、また考えます」 「...意外と気が長いのね」 目を丸くして言うに「内容によるってことで」と赤崎が返した。 なんだか、随分と赤崎は余裕があるように見える。 「全然ないっスよ。余裕があるはずないでしょう。今、こうやって一生懸命『ゼロ』って可能性を消してる」 の表情からその考えを察して赤崎が言う。 「さん」と言ってに向かって手を伸ばした。 全くのノーマークだったはそのまま引き寄せられて抱きしめられる。 「あのー、赤崎くん?」 「好きです、さん」 まずい、とは内心慌てる。これは非常に拙い。 しかし、思ったよりもあっさり赤崎の腕が解かれた。 「じゃあ、オレもう帰ります。あと、今度から遠慮とかそう言うのなしでガンガン当たっていくんで、覚悟してください」 そう言って赤崎は屋上を後にした。 赤崎の気配がなくなったのを確認しては膝を抱え込む。 自分の心臓に手を当てて額を膝につけた。ドクドクと心臓が早鐘を打っている。 危うくうっかり流されるところだった。普段の自分ならまずありえない。だから、気づかないようにしていたそれに気づいてしまった。 自分も赤崎が好きなのだ、おそらく。 それでも、過去の..達海のお陰でただビビッているだけなのだ。 「どうしよう...」 泣きそうな声を漏らしてはそのまま暫くその姿勢で頭を冷やしていた。 頭が冷えて、ついでに体も冷やしたはなんだか脱力しながら屋上から降りてクラブハウスに入る。 「あれ?村越さん」 こんな時間まで残っていたのか、とは不思議そうに名前を呼ぶ。 振り返った村越は少し驚いた表情を浮かべてに足を向ける。 「どうした?」 「へ?」 「鼻の頭が赤い。外にいたのか?」 「あー、ええ。色々とこう..ね?頭を冷やすのに丁度いい気温でしたよ」 「風邪引くなよ」 そう言って村越はに背を向ける。はそう思っていた。しかし、村越はその場に留まった。 「何かあったのか?」 は目を丸くする。 「あ、いや。...若いって怖いですね」 の言葉に村越は何かを察したようで、ぽんとの頭に手を置く。 「は、ひとつ見落としてることがある。お前はもう子供じゃない。今のお前は自分の意思で何処にでもいけるんだ。10年前とは違う」 それだけの能力をはこの10年で培ってきた。言葉の壁は大抵乗り越えられると思う。だったら、本当に彼女は自由に世界を歩ける。 村越にそういわれたは目を丸くした。 彼は何でもお見通しなのか... そう思った。そして、村越が口にしたことは自分には盲点だった。 「じゃあな」 苦笑して村越は玄関に向かっていく。 「お疲れ様でした」というの言葉を背に受けながら以前緑川に言われた言葉がよみがえる。 「面白くないもんだな...」 優しい表情を浮かべてそう呟いた。 |
桜風
10.11.27
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