アイコトバ 56





スタッフが片づけをしている中、事務局にやってきた人が居た。

先ほど、クイズに全問正解したの母だった。それだけではなく、もうひとり来ていた。

「すみませーん、後藤さんもらいに来ました」

楽しげにそう言う。

「後藤はやれませーん」と返したのは達海だった。

「達海くん、久しぶりー。オッサンになったわねー」

ニコニコと笑いながら彼女が言う。

「俺、おばちゃんのこと覚えてないよ」

「いいのいいの。わたし、全部覚えてるから」

ちょっと怖い...

何となくそう思いながら達海はコーヒーを飲んでいた。

「旦那さん?」

後ろの人物を見て彼女に問う。

「ああ、うん。後藤くんがETUに入団したのを見て早まったって心から思ったわよー」

そんな妻の言葉に「酷いなー」と彼は笑っている。

、呼んで来ようか?」

「仕事中に呼び出したら怒られるわ」

そんな話をしていると後藤が入ってきた。

「こんにちは」との母が言う。

「こんにちは。お久しぶりですね」

「後藤、このおばちゃん知ってんの?」

「京都に移籍しても応援に来てくださっていたから」

「京都に引っ越したいとも思ったんですけど...娘に『縁を切る』って言われたらさすがに...」

言われなかったら引っ越していたのだろうか?

「お?さんじゃないか」

会長がやってきて声をかける。

「お久しぶりですね。お店のほうはどうですか?」

そう言っての母は話を始める。

「どういう関係?」

「有里ちゃんたちは小学校の学区が一緒だったって言うから、近所だったんじゃないのか?」

達海と後藤はこそこそと話をする。

「...ん?ああ!!」

副会長が声を上げての父を指差した。

「そういえば、ご主人のご職業って...」

促された彼は名刺を取り出して差し出した。

慌てて副会長も名刺を取り出して渡す。

の父親が差し出した名刺の社名は思ったとおり、大手の通信会社だった。

元はベンチャーだったが、その手腕で『大手』と呼ばれるところまで成長した会社である。

副会長は彼に座るように椅子を勧めた。

の母が一瞬ついと目を眇めたのを達海と後藤は目敏く見た。


「おばさん!」

入ってきたのは有里だ。

「お久しぶりね、有里ちゃん。あら?そういえば、ウチののほうが背が高くなっちゃった?」

笑いながら言うの母に有里はグッと詰まる。

「さて、さん」と副会長が話を始める。

廊下では選手達が興味津々に聞き耳を立てている。

「実は、わがクラブは資金が潤沢ではないんですよ。自治体の援助とスポンサー。それが資金です。あとは、グッズの売り上げや観客動員、放送権くらいのもので、正直、親会社がないこのチームは中々...」

「ええ、存じてます」

の父が頷く。

「ウチのスポンサーには幸いにも、と言いますか。通信業界の会社はないんです。よろしければ、スポンサーになっていただけませんか」

ズバリそう言う。

「そうですね。私もETUには頑張ってもらいたいと思っています。ですが、ひとつ問題があるんですよ」

「何でしょう?」

「娘です。あの子がこのチームのフロントにいる。それなのに、スポンサーをすることになったらはっきり言って縁故以外の何者でもない。そう思われるでしょう。株主だって黙っていない」

そこで言葉を切った。

「...つまり、君。君がこのチームに居なかったらスポンサーとしての協力をいただける、ということですか?」

「そのように動くことは可能ということで、確約は出来ません」

「なるほど」と副会長が言う。

「では、君にちょっと話してみましょう」


「ちょ...!」

廊下で声が上がった。

すぐに周りに口を塞がれてそれ以上の言葉はなかったが、口を塞がれた彼は盛大に文句を言いたくてたまらないといった感じだ。


「叔父さん!」

有里が声を上げた。

「今のウチの経営状態はそこまで余裕はないけど、それっておかしいよ。私、前に言ったよね。さんを首にした許さないって」

「首じゃない。自主退職だろう」

副会長が言う。

「おい!お前いい加減に...!!」

会長が声を上げた。

「んじゃ、スポンサーは要らなーい」

気の抜けた声がしてその場はシーンと静まった。

「何...?」

「監督の俺が経営に口を出すのはおかしいし、そのつもりじゃないけど。が切られるくらいなら、金は要らない。ウチがもっともっと勝てばそんな心配はなくなるんだろう?」

達海の言葉にの母はニコリと微笑んだ。

「第一、を此処で切ってみてよ。チーム全体のモチベーションが下がる。ダダ下がりだ。おっちゃんが居なくなってそこまでモチベーションが下がるかどうかはわかんないけど、はダメだ。
前におっちゃん言ってたじゃん。事務所、全員が空けてもが居たら大丈夫だって。そんだけ働ける人、の代わりに誰か連れてこれるの?」

達海の言葉に副会長は返す言葉が見つからない。

パチパチと手を叩いたのはの母でニコニコと笑っている。

「ありがとう、達海くん。一万歩譲ってのお婿さんになってもいいわよ?本命は後藤くんなんだけど」

「勘弁。は気が強すぎるから面倒くさそう」

達海の言葉にの母は笑う。

そして、副会長を見た。

「経営陣はともかく。周囲が娘を必要に思ってくれていて本当に安心しました。ま、酷い扱いを受けてても口出しは出来ませんけど、私は部外者なので」

軽い口調でそう言うが、その眸は副会長の言動を物凄く責めている。

そして、隣に座る夫に視線を向けて「帰りましょう」と言う。

「ああ、副会長さん。もうひとつ。さっき、監督が言いましたね。ウチとしてもそうです。勝っているチームのスポンサーに入るんだったら印象も良いし、いい宣伝になる。そうなれば、縁故だなんて言わせません。黙らせますよ、私が」

そう言って一礼をし、ドアに向かった。


廊下に出たら選手達が不自然にうろうろとしていた。

の母は笑う。

「じゃ、今年も頑張ってね。を心から喜ばせることが出来るのはあなた達だけだから」

の父は会釈をしてその場を去っていった。


「行かなくて良いのかい?」

建物の外、事務局の窓の下で座り込んでいるにジーノが声をかける。

膝を抱えて丸くなっているの頭を優しく撫でた。

「わたし、副会長に言われたら辞めると思う」

ポツリと呟くにジーノは苦笑した。

「ダメだよ。みんなが好きだから。フロントを売らなきゃいけないくらいダメなチームだってボクたちはそう思っちゃうよ。第一、そうなったら副会長が辞めてしまえばいい。彼の給料分浮くからね」

ジーノの言葉には噴出した。

「さあ、君はまだ片づけが残ってるんだろう?」

「うん、ありがとう。ねえ、ジーノ」

「何だい?」

「今日は楽しかった?」

「うん、楽しかったよ」

「ありがとう」

そう言っては事務局のドアを開けた。

〜、プリンまん食べたいー」

「知りませんよ!何ですか。そんなの食べるくらいなら砂糖をかけた茶碗蒸しを食べれば良いじゃないですか」

いつもどおりのに笑みを零してジーノはその場を離れた。









桜風
10.12.25


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