空が青いから 8





ドアをノックして声を掛けても返事がない。

寝ているのかと思いながら「先輩」と声をかけてドアを開けるともぬけの殻だった。

ただし、病室入り口には『』と表示してあるので、彼女はまだ入院中で間違いないだろう。

さん?」

看護師が部屋に入ってきた。

「あら、お見舞いですか?」

「ええ、トイレですかね?」

杉江がそう聞くと看護師はちょっと難しい顔をしている。

「何かあったんですか?」

「昨日、ご両親が来られたときに、どうやらちょっと...」

言葉を濁しているが、どうやら喧嘩をしたようだ。

「そうですか」と相槌を打って、杉江は見舞いの果物をテーブルに置き、屋上に向かってみた。


少し重いドアを開けると、屋上は庭園のようになっていて、入院患者の憩いの場になっていた。

そんな憩いの場に、はいた。

先輩」

声を掛けるとが「首に全く優しくない」と低い声で言う。

「すみません」と言って彼女が座っているベンチに腰掛けた。

「どうしたんですか?」

「あの子がユーイチ引き取りたいって」

「妹さんですか?」

「DNA鑑定して、相手に慰謝料だとか教育費をふんだくるって」

「はい?」

さすがにそれはどうだろう。

つまり、今まで面倒を見ていないのに、金のために子供を引き取りたいと言うのか。

その金が入ったとして、彼女が本当にユーイチの面倒を見るとは、悪いが思えない。

「それで、ご両親と喧嘩したんですか?」

杉江が問うとは驚いたように彼を見た。

「何で知ってるの?」

「看護師さんから聞きました。結構やりあったみたいですね」

苦笑して言う。

「あたしもさ、いい保護者じゃないとは思うのよ。あの子の気持ちをあまり汲めてない気がするし、適当なところがあるし。何度も妹に面倒ごとを押し付けて!って文句言いたかったし」

ちょっと意外だな、と思った。思ったが、彼女の犠牲にしてきたこれまでのことを考えればそれくらい思っても不思議ではない。

「けどさ、ユーイチが『利用』されるのは腹立つのよね。いっちょ前に母親面してって言われるかもしれないけど」

自嘲気味に笑うの頭を杉江はそっと撫でた。

「なに?!」と驚くに「先輩はちゃんと母親ですよ」と言う。

「ウチのフロントも、チームの奴らも『仲の良い親子だ』って言ってます」

「それはホントのことを知らないからでしょ?」

困ったように笑うに「だから、どちらにも肩入れしない、中立な見方で『親子』なんですよ」と杉江が言った。

「初めてユーイチの事を聞いたとき、先輩は少し寂しそうに笑ったんです」

「そう?」

いつだろう...

「ユーイチが幼稚園に通ってるって話をしたとき」

「ああ...」

思い当たることがあるらしくて彼女は頷いた。

「俺が行ったらダメですか?」

「なに?」

首を傾げて彼女が言う。

「日曜参観っていうんでしたっけ、今は。俺の子供のときは『父親参観』とかって名前だったと思うんですけど」

「なん..で?」

何故、自分が気になっていたことを杉江はわかったのだろうか。

「こればっかりは先輩でも無理ですよね。ユーイチはお母さんが居ないこと、お父さんがいないことの両方で幼稚園でからかわれているんじゃないかな。

昨日、先輩を病院に連れてくるときにユーイチが車の中で言ったんですよ。先輩がお母さんで、俺がお父さんだったらみんなに自慢できるって」

「あの子、なにスギくんにプロポーズしてんの?!」

肩を落としてが唸る。

「グッと来ましたけどね」

苦笑して杉江が返した。

「何か、ちょっと先回りされた気がしたんですけど」

そう言って杉江が空を見上げた。

さん」

「は?!」

呼ばれなれない名前で呼ばれては杉江を見た。

彼はじっと空を見上げている。

も空を見上げてみた。

「空が青いから、結婚しましょうか」

「はい?!」

さん、何だか放っておけないし。誰かを頼るのを恥ずかしいとか言うから。さすがに、夫なら恥ずかしくないでしょう」

「いやいや。何、この展開」

思わずベンチから立ち上がり、は杉江から距離を取る。

「俺、今年のシーズンが終わったら寮を出ようと思ってるし。結婚を前提に同棲しましょうか。ユーイチも一緒に」

「ユーイチは妹に...」

「何となく、大丈夫な気がしてます」

「何で?!」

「空が青いから」

「スギくん?!大丈夫、色々と!!」

こんなに動揺した彼女をこれまで見たことがなかった杉江は苦笑いを浮かべた。



翌々年のシーズンの開幕戦はホームでのゲームだった。

「とーちゃん!」

スタジアムでブンブンと手を振る少年に杉江は苦笑して手を振り返す。

2年前まで「杉江!」と彼を呼んでいた少年はなんの躊躇いもなく杉江のことを「とーちゃん」と呼ぶようになった。

そして、その少年の隣で、苦笑しながら彼を見下ろす母親は、杉江と目が合うと笑って空を指差す。

デイゲームの今日の空は青くて高い。

「空が青いから」

杉江はポツリと呟く。

「スギ...?」

同じポジションのチームメイトが空を見上げた。

「何かあんのか?」

「空が青いんだよ」

「...あー、そうだな」

だから何だ、と少しだけ言いたそうな彼は適当に相槌を打って、先にピッチに向かっていった。

空が青いと何でも出来る気がする。

愛する家族に軽く手を上げて杉江はピッチ中央に向かった。









桜風
12.2.18


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