| 「はい、掃除」 にこりと微笑んでバケツやモップ、箒を持ったは目の前にいる体格のいい男たちに命じた。 その背後で額に手を当てて溜息を吐いているのはマネージャーの八木だ。 まあ、彼女が怒るのも無理からぬことだ。 このジムの中の惨状を見れば誰だって納得するだろう。 事の発端は数日前で、いつもの事ながら俺様我侭大王の鷹村の一言だった。 「節分の日にはこのジムで豆まきするぞ!」 「外でお願いします」 高らかに宣言した鷹村には即そう言ってストップを掛けた。 彼の言う『豆まき』は間違いなく自分たちの認識している普通のそれとは違う。直感と言うか、このジムでバイトをするようになって早半年。その短い期間の中での経験によってその答えはすぐさま浮かび上がった。 「何だと!?」 「そうでなければ、鷹村さんの家でしてください」 片づけを誰がすると思っているんだ... しかし、意外と『豆まき』というイベントに興味を示すいわく『裏切り者』が続出した。 「えー、いいじゃねぇかよ。な?」 大抵鷹村が企画した何かを実行すれば多少自業自得ではあるものの、最も被害を被るはずの青木が鷹村の企画に援護射撃をする。 「まあ、片付けとか気にしてんなら俺らでちゃんとするからさ」 気遣い人間なのは分かったが、それでも何故かやりたい様子を見せるのは木村で、「ボクも豆まきしたいです!」と素直に意見を述べたのはこのジムの中で一番若いプロボクサーの板垣だ。 「ね、先輩!」と話を振られて「そうだね。ちょっと、面白そうだよね」と言った一歩には溜息を吐いた。 彼らの言葉に答えることなく、は溜息を吐いて2階にある事務所へと向かっていった。 「どう思います?というか、どういう惨状が浮かびます??」 事務所で仕事をしていた八木に先ほどプロボクサーたちが提案した豆まきの話をした。の言い様に八木は苦笑しつつも「んー、でも。そういう息抜きも必要かな、とも思うよ」と、が予想していなかった方の答えを口にした。彼は鷹村の企画に賛成のようだ。 「八木さんがそういうなら、まあ...」 自分はバイトの身だから、とは諦めた。 そして2月3日。世の中は平日だ。 勿論、だって昼間は学校に通い、夕方ジムにやってきた。 ジムのドアを開けると見たことはあるが、それほど見慣れているわけではない人物が2人ほどいた。 「何しに来たの?暇なの??」 にこりと微笑むに「なんや」と少し不貞腐れて呟いたのは千堂だった。 「鷹村さんに誘われたんや。ジブンには関係ないやろ?」 まあ、そりゃそうだ。片付けも彼らがする、という話なのだから。 しかし、まあ... 不思議そうに自分を見上げるに「どうも」と会釈したのは宮田だった。 がバイトに入る随分前にはこのジムに所属していたと聞いたことがある。 「まあ、ジムは汚さないように。汚さない、というか破壊活動禁止及び、掃除はきちんとしてくださいね。わたしは事務所に居ますから」 そう言い置いては2階に上がっていった。 暫くするとどう考えても『豆まき』の物音以外の音が階下から響いてくる。 「八木さん?」 「ま、まあ...大丈夫だよ」 今日は会長が不在だ。 だからこそ、できるバカ騒ぎなのだろうが... 「八木さん...」 それにしたって羽目を外しすぎではないか? 既に豆まきではなくて別の行事になっているような気がする。 「ちょっと見てきましょうか?」 「そう..だね」 やはり留守を預かる身の八木としてはここまで大騒ぎされると色々と心配になる。 階下に降りてドアを開けるとの知らない『豆まき』の様子が視界に入った。 「これは、何?」 呟くに「さあ?」と既に壁際に避難して腕組みをしている宮田が他人事のように返事をした。 「最初は、ほんの5分くらいだけど。たぶん節分らしい豆まきだったと思うぜ?」 何故こうも床が水浸しなのだろうか。 何故、豆以外の何かが散乱しているのだろうか。 何故...自分はずぶ濡れになってしまったのだろうか。 「だ、大丈夫か?え、と...さん?」 宮田が顔を覗きこんでくる。 誰かが水がたっぷりしみこんだ、絞っていない雑巾を投げた。 宮田は避けたが、呆然としていたは避けそこなった。そして、顔面に雑巾がぶつけられてしまったのだ。 俯いてふるふると震えるから宮田は距離をとる。 これは、まずい。 の静かな、今にも爆発しそうな怒りと殺気を察して彼らは構えた。 「あはははははは!」 怒鳴るかと思ったは突然大爆笑を始めた。 「打ち所が悪かったのかぁ?」 鷹村が呟く。 「いやいや、雑巾に打ち所も何もねぇだろう」 青木が言った。 「おいこら、おっさんども」 唸るようにが呟いた。 『ども』って自分も入るのだろうか、と的外れなことを思う板垣はから最も距離をとっている。 「、『おっさん』って誰のことだ?」 ああ?と柄の悪い聞き方をする鷹村にも目を眇めて「この場で最年長はどなたかしら?」と返した。 とりあえず、八木はこの場に居ないので鷹村だ。 「破壊活動禁止と言ったわよね?覚えてますか、トリ頭?」 口元は薄く笑みを浮かべているが目が笑っていないのでその笑みが非常に怖い。 こうなると世界チャンプも思わず後ずさる。 「皆さん、綺麗に片付けてくださいね」 は満面の笑みでそう言って自分の足元にぺしゃりと落ちている雑巾を拾い、バケツの元まで歩いて絞る。 ちゃんばらでもしていたのか、箒やモップはそこら辺に転がっていた。 それらを全て拾って代表者、鷹村に向き直った。 の戻りが遅いことに心配した八木が降りてきてジムの惨状を目にして額に手を当てる。 「はい、掃除」 の殺気に飲まれそうになりながら鷹村は思わずそれらを受け取った。 「帰るな、宮田。千堂」 そうっとジムを後にしようとした2人に静かに必要以上に落ち着いた声で言う。 「ちょ、何でや!ワイは客や!」 「こんなのにしたのは主に鷹村さんだぜ!?」 「『客』言うな、千堂。『主犯』どうこうが問題じゃない、宮田。いいから、か・た・づ・け・ま・しょ・う・ね!」 腰に手を当ててプロボクサーたちの掃除を監視するの声は鋭く、「そこ、まだ汚れていますよ!」「隅まできちんとモップを掛けて!!」とその姿はさながら鬼教官だ。 「おい、本物の鬼がこんな近くに居たぞ」 ぼそりと呟く鷹村に同意をするかのように頷く6人。 は怒らせたらまずいらしい。今回のことでよく学習できた。 そして、その夜遅くまで鴨川ジムの大掃除は続いたという。 |
桜風
09.2.1
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