始まりの思い出





さん」

声を掛けられて振り返ったは少し気だるそうな表情を浮かべている。ちょっと無愛想だ。人のことは言えないが。

「何でしょう、店長」

こんな時間に店長が居るのも珍しい。

はその場から動かなかった。店長は苦笑して手招きをする。

「はい?」

「この子、面倒見てね」

そういわれては『この子』を見た。

「接客?」

人のことは言えないだろう、と彼は心の中で呟いた。そして、『接客?』と言われた意味もまたきちんと理解している。

「大丈夫。やればできる子だから!」

店長もそれなりに失礼なことを言っているのだが、本人には自覚がないらしく物凄く好意的な笑みを浮かべて彼を見る。

彼の心境を悟ったは「はいはい」と返して「こっち」と短く声を掛けて彼を店長から引き離した。


「宮田..何くん?」

作業をしながらは彼の顔を見ずに声を掛ける。

「名前まで要るんですか?」

「ないの?」

宮田の質問に答えず、は聞き返した。

「あります。一郎」

「長男?」

「そうですけど、何か?」

「これで次男とかだったら是非とも長男の名前を教えてもらおうと思って」

そう言ってそのままは作業を続ける。

彼女は余計な事を言わず黙々と作業をしている。

宮田も一々会話をしなくて済む彼女の性格に少しだけ感謝した。会話とかちょっと面倒くさいから。

その日のバイトの上がりは同じ時間だった。

着替え終わって裏口から出た。着替えと言っても上着的に着ていたコンビニの制服をロッカーに仕舞うだけなのでたいした着替えではない。ただ、まだ夜は冷えるからジャケットを着ていた。

少し遅れても出てきた。

「あら、お疲れ」

そう言ってそのままテクテクと歩き出す。

どうやら帰り道は自分と同じらしい。

何となく隣を歩くのは気が進まないというか、そこまで親しくないのに変だと思って数歩後ろを歩いていると先を歩いているが振り返った。

「後を付けられているようでイヤだから、隣を歩くか前を歩いてくれない?」

そういわれたら『絶対にに後ろがいいんです!』とまで思っていない宮田は頷いて隣に並んだ。

「バイトはここが初めて?」

「え?ああ、はい」

「そう」

会話はそれだけだった。

途中の交差点で「わたしはこっち」とは右手側を指差して「じゃあね」と曲がっていった。


それから上がりの時間が同じときはその交差点まで宮田はと一緒に帰っていた。

さんって..いくつですか?」

かなり落ち着いた性格だと思う。見た目は..自分よりもひとつふたつ上くらい。

「1000歳」

「ずいぶんとおばあさんですね」

「敬いなさいよ」

そう言ってはからからと笑った。

あれ?と宮田は首を傾げる。

が笑ったのってこれが初めてではないだろうか?

「何?」

さんって笑えたんですね」

「ああ、うん。笑うわよ。わたし、こう見えて人間だもの。それとも、他の何かに思えてたの?」

「さっき、自分で1000歳とか言っておきながら」

と宮田が突っ込むと「あいたたた」とぺちんとおでこを叩いて苦笑した。

「わたし、実は人見知りが激しくてね。警戒心むき出しになるの。中々直せなくてね、これがまた」

ああ、だから最初は愛想がなかったのか。

そして、仕事中はそれなりに愛想は良かった。仕事だから、なのかも知れないしそうでないかもしれない。

「君よりは年上よ。敬いなさい」

が言い、宮田は肩を竦めた。

「生意気ね」

笑っては言う。

「それはどーも」

宮田は意識してふてぶてしく返す。

そんな意外と素直な宮田の反応には笑う。

「じゃ、今日は寄り道するからここで。またね、一郎くん」

パチンとウィンクをしてはいつもの交差点より手前で曲がっていった。

思わず足を止めてしまった宮田は少しだけ悔しそうな表情を浮かべている。変なところで負けず嫌いの性格に火が点いた。

「たしか..『』さんだったよな」

自分の中にある彼女の名前に関するかすかな記憶を掘り起こして復習した。

後日、バイト先で「おはようございます、さん」と宮田が声を掛けることになるが、そのときは「おはよう、一郎くん」とは戸惑うことなくさらりと名前呼びで返す。


思えば、『始まり』はこのときだったのかもしれない...

そんな思い出話を2人ですることになるのは、ちょっと先の話である。








桜風
10.4.1