| 4月の終わりともなると風も温かくて気持ちいい。 空を見上げながら土手を歩いていると人とぶつかってしまった。 「ごめんなさい!」 「いや。ワイこそ気がつかんかった。怪我はないか?」 そう言って顔を覗き込んでくる。 怖いんだか、怖くないんだか分からない雰囲気を漂わせたこの目の前の彼の名前を後に知る。 千堂武士。 彼は大阪では凄く有名だったらしい。 私が知らなかったんだけど、友達も名前だけでも耳にしたことはあるというくらいの人物だ。 あの千堂さんとぶつかった次の日に学校へ行くと男子が雑誌を広げていた。 ふと目に止まったのが、拳を掲げている千堂武士という人物。 昨日私が目にしたその人だ。 「え、これ何?」 通りすがりの私に声を掛けられた男子は一瞬怯んだけど、 「ボクサーや。浪速のロッキーって渾名がついてんやで」 「強いの?」 「メチャクチャ強いし、迫力があって面白い試合なんや」 興奮気味にそう解説してくれるクラスメイトに「ふーん」、と言ってそこから離れた。 学校帰りにコンビニに寄って今日、男子が見ていたボクシング雑誌を手に取る。 買うのに凄く勇気が要るけど、立ち読みする方がもっと勇気が要る。 というコトで、少し悩んだ末に私はその雑誌を買って帰った。 家に帰ってさっき買って帰った雑誌を広げた。 千堂さんの写真に行き当たってページを捲る手を止める。試合の写真も載っていた。 近々試合をする日が決まったから特集を組まれたようだ。 そんな千堂さんの写真は、昨日ぶつかったときとは全然印象が違って見えた。 試合中の写真の千堂さんは、何だろう?ギラギラしてると言うか、獣の目?そんな印象だ。 でも、最後のページの右手を掲げた千堂さんは昨日ぶつかったあのときのそのまま。 凄く不思議な人だと思った。 そして、ジムの名前を見て驚く。 そこそこご近所さんだ。 ああ、だからウチの近くには少し強面の人が居るんだ... 千堂さんに関係ないことを納得。 そのまま家でじっとしてることなんて出来ずに私は家を出た。 向かうは勿論、なにわ拳闘会というボクシングジム。 ジムに来たまでは良かったけど、それからどうしたらいいのか分からない。 ただの好奇心から此処まで来てしまったのだ。 どうしよう、とウロウロしていると 「何しとんのや?」 と声を掛けられた。 「ひゃっ」と喉から声が漏れる。 振り返ると、 「あ!」 と私を指さす千堂さんがいた。 「うわ、千堂さん!!」 一歩あとずさってしまう。 「どないしたんや?昨日怪我したんか?!」 慌てて私の側にやって来た。 この人、凄くいい人。 「い、いえ。あの、違います」 「怪我やないんか?」 「はい。あの、昨日はごめんなさい。私がちゃんと前を見てなかったから。千堂さんは、お怪我はなかったですか?」 「当たり前や。女の子とぶつかったくらいで怪我をするような鍛え方してへん」 そう言って、ニッと笑う。 「良かった。今日、千堂さんがボクサーだって知って。それで、昨日ぶつかったけど大丈夫かなって思って」 意外とすらすらと言葉が出てきたぞ?潜在意識にそれがあったのかもしれない。都合よく解釈しておこう。 「何や、ワイのこと知らんかったんか。ワイもまだまだやな」 千堂さんは驚いた後に腕組みをしてウンウン、と頷いていた。 面白い人だ。 「そうや、ジブンの名前。何て言うんや?」 「です」 「やなくて、名前。何て言うん?」 「あ、です」 「、か。ええ名前貰ったな」 そう言って目を細めて笑う。 こんな静かな笑顔も持ってるんだって思うと、少し頬が熱くなる。 その日はその場で別れて私は家に帰った。 どうしたものかと悩んだ末に、私は一大決心をして花屋さんに向かう。 5月といえば、鈴蘭の季節。 5月1日にこの花束を贈る人には幸福が訪れるという話を聞いたことがある。 ヨーロッパかどこかのお話。 だから私は鈴蘭の花束を持っている。 空を見上げると雲ひとつない。 「空が好きなんか?」 突然声を掛けられて慌てて立ち上がると足が滑ってそのまま土手を下っていく。 はずだったけど、そうはならずに私の体には千堂さんの腕が支えてくれている。 「は危なっかしい子やなー」 と笑いながらそう言う。 「ごめんなさい」 「ええよ。怪我せんで済んだんやから」 と言って笑う。 私は自分の手を見た。偉い、私!! 「あの、千堂さん」 「ん?何や?」 「これ」と言って鈴蘭の花束を渡す。 「鈴蘭です。5月1日に鈴蘭の花束を贈る人には幸福が訪れるという話を聞いたことがあるんです。今度試合って聞きましたから。あの、千堂さんは強いから勝てると思うんですけど、あの、怪我とかないようにって思って」 きょとん、と私を見ていた千堂さんが破顔する。 「おおきに!こんな可愛らしい花、貰ったことないわ。みたいやな、この花」 そう言って軽く掲げる。 「ほなな」と言って走って行った。 あんな恥かしいはずのセリフをさらりと言って爽やかに走り去って行った。 千堂さんっていろんな意味で凄い人かも... ドキドキする胸を押さえながら何となくそう思った。 |