| 川原。彼女は可愛いものが好きだ。 本人曰く、それはきっと自分と物凄く縁遠いものだから。 彼女の身長は170ちょっと手前。 骨格のお陰もあって結構しっかりした体をしているため、高校時代は女子高では良く見る光景といわれるだろうが、女の子たちからファンレターなるものを貰っていた。 声も、これまた骨格のお陰か少し低めで女の子たちにはかなりの人気を博していた。 本人は他人から寄せられる好意を疎ましくは思わないが、その投影してあるものを裏切れないというプレッシャーもあって高校時代は窮屈な学校生活を余儀なくされていた。 そして、最大の『可愛いものが縁遠い』理由。 それは彼女の家の家業だ。 大学からの帰り道、は看板を見上げて、ため息を吐いた。 『川原ボクシングジム』 彼女の家はボクシングジムを経営しているのだ。 父親がボクサーだった。 と、言っても自分の記憶には父のそんな姿はない。それなるに有名な選手だったと母から聞いているし、兄も父の選手としての姿を覚えているといっている。 「こんにちはー」 ジムのドアを開けて中に入る。 「おー、お嬢!久しぶり!」 「こんにちは。怪我はもう良いんですか?」 幼いころ、ジムの手伝いをしなければお小遣いがもらえなかった。 よって、ここにはほぼ毎日通って何かしらの手伝いをしていた。 それは高校を卒業するまで続き、大学に入ってからはお小遣いを貰うこともないのでジムの手伝いをやめようと思っていたらバイト代を出すから、と言って頼まれて仕方なく週2回のペースで通っている。 そんな経緯もあって、このジムでは彼女を知らない者は少ない。 つい先日移籍してきた選手も早々にの世話になった。 と、言っても。ジムの書類等についてはがまとめているのでそういった意味での『世話になった』なのだが... 「お疲れ様です」 先日移籍してきた選手、宮田一郎も既にジムにいた。 「お疲れ様」 と、言っても彼は移籍してきた当初はまたプロではなかった。まあ、すぐにプロになったことはなったが... そんなことを思いながらはジム奥の事務所へと足を向けた。 書類や会計を済ませるとそとは既に暗くなっていた。 今の時期は書類仕事が多くなるから仕方ないが、と思いつつも小さくため息を吐く。 ジムに居るであろう父の元へ仕事の報告とまだ出ていない書類についての話をしようと思って扉を開けるとそこには父の姿はなかった。 「あれ?」 「どうかしたんですか?」 首を傾げてドアの前に佇んでいるに宮田が背後から声を掛けた。練習を終えて帰るところらしい。 「会長は?」 「あれ?いませんか?」 そう言って宮田はのすぐ横からジムの中を覗き込んだ。 先ほどまでは居たらしい。 「まあ、いいや。今度のときにでも。まだ少し期限まで時間があるし」 はそう呟き、はたと気がついた。 宮田の声が近い。 驚いて振り返ってみると目の前が宮田の顔だ。 「ちょっと、何その睫の長さ」 がそうやって不服そうに呟き、宮田はその声の方へ視線を向けると目の前にの顔があった。 「遺伝です」 宮田はそう返す。 「可愛くなーい!」 不満たっぷりには言う。 「オレ、男ですから可愛いって言われても特に嬉しくないですから、それで良いです」 益々可愛くない。 はそのままぷいと振り返って事務所へと足を向ける。 「うわぁ!」 憤慨しながら事務室へ戻っていたため誰かが濡らしたままにしたらしい廊下でそれに気がつかずはこけた。 「...何してるんですか。案外鈍くさいですね」 「誰よ!もう!!」 宮田はため息をつきながら毒づいているに足を向けた。 「受身くらい取ったらどうですか?」 そういいながら宮田は自分の持っていたバッグをがさごそと漁って絆創膏を取り出した。 「うわ、乙女の必須アイテム!」 「さんは持ち歩いてなさそうですね...」 そう言いながらの右手を取って擦りむいている掌に貼った。 「持ち歩いているわよ。キャラクターものの。可愛いよ!」 「はいはい」 そう言って宮田は立ち上がった。 「あー、宮田君」 「はい?」 「ごめんね」 何がだろう、と少し考えてふと思い当たったことがあった。宮田はため息を吐く。 「さん。そういう時は『ありがとう』って言った方が可愛いですよ」 宮田の言葉には目を丸くして「そっか...」と呟く。 「宮田君、ありがとう!」 飛び切りの笑顔で言い直した。 素直に聞き入れると思っていなかった宮田は面くらい、視線を外す。 こういう素直なところは、可愛いと思う。 ふと過ぎった自分の思いを消すように頭を振った宮田は「じゃあ」とそっけなく声を掛けてジムを後にした。 「ごめんよりも、ありがとう」 先ほど宮田に習った『可愛い』を復唱しながらは事務所のドアを開けた。 |
桜風
09.5.1
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