| 「あ、千堂君」 出されたパイプ椅子に座ってジムの隅っこに居たが立ち上がってひらひらと千堂に手を振る。 「何しに来たんや」 『何しに』と言われても、千堂に会いに以外ないので困った。 「えーと、千堂君に会いに?」 首を傾げて言うにジムの中が「おお〜!」と沸く。 会長まで出てきて面白そうにその様子を眺めていたが、「何の用や」と千堂が冷たく突き放す。 またしてもは悩む。 特に用事と言うわけではない。 強いて言うなら、千堂の顔を見に来た、というだけだった。 「えーと」と悩んでいると「さっさと帰れや」と千堂が言う。 さすがにはきょとんとした。 「おい、千堂」と柳岡が窘めるが千堂は聞きそうにない。 「ごめんな、はん。最近千堂は、ちょっと調子が悪いねん」 「あ、そうなんですか。あー、じゃあ、お邪魔しました」 邪魔をしてはならないのだろう、とはかなり素直に納得した。 しかし、それが千堂にとっては益々面白くない。 「ほんま何しに来たんや」 「や。だから、千堂君に会いに?」 「木村さんに言うて来たんか?」 の頭にまた『?』がたくさん並ぶ。 でも、今回は千堂はそれを見て噴出す余裕はなかった。 「あー、うん。というか、此処の住所、木村さんに調べて教えてもらったから」 だから『言う』も何も... 「まあ、せいぜい仲良うせぇ」 そう言って千堂が背を向けてそのまま練習に入ろうとした。 サンドバッグに向かって構えたところで後頭部に何かが当たってそのまま前のめりになり、目の前のサンドバッグに頭をぶつけた。そして、その足元にボクシンググローブが転がっている。 「誰や!何すんねん!!」 怒鳴った千堂の目の前にはがいた。 「何勘違いして浸ってんねん!」 ドスの効いた声。 初めて聞いたその声に千堂は息を飲む。 「何処で聞いて、何を見てそう思ったか知らんけど。たしかに、最近木村さんにはえらいお世話になってるよ。何も知らんと千堂君の試合見に行って圧倒されてもうたから、次はそうならんようにと思ってとりあえずボクシングのいろはを教えてもろうとったし、何本かボクシングのビデオ借りたりしてたよ。木村さんはわたしが通ってる教室に花を届けに来てくれる人で、ボクサーだから一番頼みやすい先生やし。 あー、もう。ほんま何で態々大阪に来てまで腹立てんとあかんねん」 そう言ってはバッグをごそごそと漁って可愛らしいラッピングが施されたものを取り出して千堂に押し付けた。 「ほなね」 千堂にそう言い、柳岡には丁寧に礼を言ってジムを後にする。 呆然とした千堂に「アホが」と柳岡が呟いた。 物腰柔らかなお嬢さんだと思っていたジムの中のもの皆が圧倒された。 千堂に向かってグローブを投げつけたその瞬間から、何と言うか..年下であろう彼女に『姐さん』と言いたくなった者も少なくない。 押し付けられてそのまま呆然と受け取ってしまった彼女からのプレゼントらしきものを持ち直す。 何となくその包みを開けてみたら可愛らしいトラ猫の絵が描いてあるスポーツタオルだった。 ひらりと何かが落ちた。 拾い上げて見ると、几帳面で読みやすい字で『頑張って』と書いてある。 「どういうことや?」 「...おそらくお前が何らかの勘違いしてたんやな。はん、偉い怒ってはったなぁ」 他人事のように、柳岡が言う。まさに他人事なのでそうのんびりできるのだ。自分が当事者だったら慌てて追いかける。 「千堂、アドバイスや。追いかけぇ」 柳岡に言われて千堂ははっと我に返ったような表情を浮かべて駆け出した。 からもらったタオルはそっと握っている。 「アホやなぁ」 柳岡は苦笑して千堂を見送った。 彼の祖母が言っていたことはあながち間違いではなかったようだ。 勝手に失恋をして拗ねていただけ。 まだまだ子供だ。 「しっかし、まあ...おっかなかったなー」 柳岡の独り言にそれが耳に届いた者たちは皆深く頷いた。 |
桜風
10.8.7
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