| 辛抱強く宮田が宥めたお陰か、はたまた、いい加減涙も果ててしまったのかがやっと泣き止んだ。 「凄い顔になってるんだけど...」 ちょっと途方に暮れた声で宮田が目にしたその顔の事を言うと 「チロちゃんのバカ!」 さっきと違う『バカ』が返ってきた。 もう何だって良いや。 そう思いながら「ちょっと待ってて」と宮田は立ち上がり、タオルを水に濡らす。 この時期の水は普通に冷たいからこれで良いだろう。 「ほら」と言っての目の上にそれを当てる。 「あー、気持ちいい」 口元が綻んでいるのを確認して胸を撫で下ろした。 は自分でタオルを抑える気がないのか、宮田がタオルを抑えた状態のままになっている。 どうやらこの状態のままが続くようだ。 まあ、それでもいいやと思っていたら「ねえ、チロちゃん」と声を掛けられた。 「何?」 「ちゃんと、泣いた?」 の意外な言葉に宮田は目を丸くする。 「チロちゃん、泣けた?泣く場所あった??」 「その必要は、ないから。俺、ボクサーだし」 宮田はそう返した。 の言葉は意外で、そして誰よりも温かかった。 周囲の皆は宮田を気の毒がり、対戦相手を悪く言った。 悔しいとか、やっぱり勝ちたかったとか。沢山の感情がなかったわけではない。 だが、それを口に出来る状況も環境もなかった。ただ、力が足りなかった。そう言う以外の選択肢はなかったと思う。 それが当たり前だと思っていた。 「わたしはね。この雑誌を見ても何を言ってるのやらさっぱりわかんないんだ」 そう言っては自分の脇に置いている雑誌の上に手を載せる。 「強い人の名前が載ってるんでしょう?それを見ても『誰、それ?カッコイイの?』って状態だよ」 の言いたいことがさっぱり分からない。 「それで?」と宮田は続きを促した。 「本当だったら、ボクサーが言っちゃいけない言葉って知らないよ。タブーとかあるのかさえも分からない」 が何で退院したら会いに来るといったのか、今、分かった気がした。 「...本当は、勝ちたかったんだ」 宮田がポツリと呟く。 「そうだね」とは相槌を打った。 「約束してて。俺から口にした約束だったんだ」 「うん」とは呟く。 「悔しいよ」 は自分の目に当てているタオルを抑えている宮田の手に自分の手を重ねた。 「俺、まだまだ弱いんだ」 「じゃあ、まだ伸び代があるってことだね」 の言葉に宮田は苦笑した。 「うん。まだ強くなれるよ、俺」 強くなりたいと願った。それは幼い頃からずっと。 だから、「強くなりたい」という言葉は口にしたことがある。 けど、「強くなれる」という言葉は意外とあまり口にしていない気がする。 「強くなるよ、俺。ちゃんが、いつ試合を見に来ても勝った姿だけを見てもらえるように」 「うん、そうだね。いつ行くかわかんないもんね」 笑みを含んだ声でが言う。 「ねえチロちゃん」 そう言っては目に当てていたタオルを取った。 「わたしが、この間珍しく試合を見に行ったのはね、聞いてもらいたいことがあったからなんだ」 宮田はきょとんとした。 「何?」 「わたし、来年留学するの」 の言葉に宮田は暫く反応できなかったが、「丁度良かった」と呟く。 が、またしても自分の言葉によって慌てることとなった。 目の前のがとても悲しそうに眉を八の字にしているのだ。 「あ、いや。違うよ。ちゃんに会えないのが嬉しいとかそうじゃなくて...!」 何だってこうも誤解を招く言葉を口にするんだろう... 自分のボキャブラリーとタイミングの悪さに呆れながらもを宥め、理由を口にした。 「俺も、来年1年くらい海外に行こうと思っていたから」 宮田の言葉に今度はがきょとんとした。 「海外で、ボクシングの修行っていうか。実践を重ねて強くなろうって」 「海外って、何処?」 「今のところは東アジア、かな。東南アジアとか、韓国とか」 「行けるの?」 宮田は頷いた。 「そうか...いつから?」 「高校卒業したらすぐ。俺は、もっと早くても良いんだけど、せっかく高校も卒業できるっていう話しだし。準備もあるから。ちゃんは?」 「わたしは、向こうの大学の関係で9月から。やっぱり1年間」 の言葉に「ほら」と宮田は言う。 首を傾げるのしぐさは結構可愛いから好きだな、と思いながらも 「半年は少なくとも被るだろう?そうじゃなかったら2年間音信不通になるかもしれないけど、被るから1年半。半年は丁度良いと言うか...」 という。 上手く表現できないな... 「そっか。2年会えないところが1年半で済むのか。半年分お得だ」 とが言う。 どうやら自分の言いたいことは通じたらしい。 「そういうこと」 「うん、確かに丁度良いね」 が笑ったら何だか嬉しくなった。 この家に来てからはどこか硬い表情をしていていつものようには笑っていなかった。 こんな屈託のないの笑顔が好きだ。 半年分お得だといっても、やっぱり1年半見られないのは少し寂しい。 「俺、ちゃんの事好きだよ」 するりと出た自分の言葉に自分でびっくりした。 が、目の前ののほうがもっと驚いている。 出てしまったものは仕方ない。 そう思いながら宮田がを見ていると 「へへ、わたしもだ」 とは笑いながらそう言った。 いつもの、日常的な会話と同じトーンで。 そんないつもどおりというのが可笑しくて宮田は声を上げて笑った。 初めは見慣れない宮田の全開の笑顔と声に驚いていたは目を丸くしていたけど、やがて一緒になって声を上げて笑う。 暫く笑いあって、そしてキスをした。 触れるだけの、少し遠慮がちなそれはとても優しくてとても温かかった。 |
桜風
09.3.28
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