| の大学生活はあと1年は続くらしい。 取り敢えず、向こうの大学の単位も認められるが、必須科目を取りきれておらず、それは今年の後期には開講されないというのだ。 ついでに、ゼミも取らないといけないし卒論もまあ無理だな、と諦めた結果、来年も大学生をすることとした。 宮田が一人暮らしとなっている今、時々はふらりと宮田の家を訪れている。鍵を貰ったから宮田が居なくても家に入れるから困らない。 ふらりと立ち寄って何となくご飯を作って軽く掃除をしてバイトに行くこともある。 自身が気合を入れて宮田の世話を焼いているわけではないので、宮田も別に断らない。 義務感を持ってそういうことをされているのなら断ろうと思うのだが、何かのついで的な雰囲気での行動なので気にしなくても良いのかな、という気になる。 しかし、試合が近づくとそうも言っていられない。 にはそれを話しているし、彼女もそれには理解を示してくれているので、試合前は宮田の家には来ないようにしてくれる。 「来春、チャンピオンと試合をするんだ」 宮田の家にふらりと寄ると、宮田が居た。驚きもしたが、宮田の家なので彼が居ておかしいということはまずない。 最近の宮田は忙しそうだった。 先日試合があり、またしても勝ち星がついた宮田の人気はまたしても上昇し、そして同時にボクサーとしての評価も上がっている。いまや自他共に認めるジムの看板選手となり、大活躍だ。 「チャンピオン?この間の..えーと。誰だっけ?」 何を指しているのか少し宮田も悩んだが、あの色紙の事を言っているのかと当たりをつける。 「いや、世界チャンプじゃないよ」 「じゃあ、日本?」 日本にもタイトルがあるだろうから、それなのかと聞く。 「それも、違うな。OPBF、東洋太平洋」 つまりは、何処を指しているのだろう... が固まっていると「世界の一歩手前って言ったら分かりやすいかも」と宮田が付け加えた。 「あ!思い出した。おじさん!!」 何か聞いたことある単語だと思った。 の言葉に宮田が頷く。 父の手にしたベルトに自分が挑戦する。 「来春って、いつ?」 「まだ詳しい日程までは決まってないけどね」 「そっか」とは何かを思案している。 「じゃあ、試合の日取りが決まったら教えてね」というの言葉に頷いた。 彼女の場合は、試合に行くからという意味ではなく、この家に来るのをやめるから、と言う意味だ。 試合を前にして甘えは禁物だ。 に甘えているつもりはないが、それでもやっぱりこうやって落ち着くってコトはきっとどこか甘えているところがあるのだろう。 それに、自分の減量している姿は見せたくない。下手すると、益々ボクシングを敬遠されてしまいそうだから。 今は『ボクシング』と言うものに触れようという意思を見せてはいないものの、宮田のボクシングに対しては理解を示してくれているのだ。これ以上遠ざかられるとちょっと寂しいし、宮田としても辛い。 「まあ、わたしも来春辺りからは就職活動始めないといけないしね」 の言葉に「そうか」と今更ながら宮田も思い出す。 はもう来年には大学を卒業して、その先には社会人と位置づけられる者になるはずなんだ。 「じゃあ、俺のほうが先輩だな」 ちょっと嬉しく宮田は言う。 『社会人』ということだったら自分の方が先輩だ。 宮田の言葉に何だか釈然としないは「でも、わたしの方が人生経験豊富だもん」と負けずに返した。 の言う人生経験って何だろう、と少し考え込んでいる宮田には勝ち誇ったような笑みを向けた。 別に、何を言っているわけじゃない。ただ、宮田より長く生きているんだからその分色々と経験しているはずだから言ってみただけなのだ。 『来春』と宮田が表現したときにはそれはかなり先のように思えたが、意外と月日の流れは早いんだな、とは感心した。 連絡を取るのに便利だから、と宮田も携帯を購入した結果かなり頻繁に連絡を取り合うことが出来るようになった。 そして、宮田にその試合の日程を聞いてからはその携帯は宮田からの着信もメールも知らせることはない。 宮田にチケットをどうするかと聞かれて、そのときは決めあぐねていたから要らないと断った。 かなりの競争率らしく、本当に行きたい人が行くべきだと思ったのだ。 それに、あまり良い席を確保されてもきちんと試合を見れるか分からないのだから、やはり自分には似つかわしくないと思った。 は気合を入れてホールに入った。 競争率が高いとはいえ、何とか立ち見のチケットを確保することが出来たのだ。 座学なら、一応身につけているはずだ。 日本に帰ってからボクシング雑誌を見るようになったお陰もあってか、音がない静止画なら見ることが出来るようになった。 やはり痛そうだけど、取り敢えず、視界に入っても大丈夫だ。 いきなり、生のボクシング、しかもタイトルマッチは無謀かとも思ったが、それでも最初に見るなら宮田の試合と決めていたからこれを逃したらまた数ヶ月先になってしまう。 それに、このベルトはきっと宮田が目標にしていたひとつのはずだ。 宮田のボクシングに対する姿勢と覚悟に「わかるよ」なんて自分は言えない。それでも、それを否定することだって出来ない。それが、それでこそ宮田一郎なのだろうから。 いつの間にか大きくなって、大人になっていて。そして、譲れないものを抱いている。 人と比べることに意味も興味もないが、それでもやはり、自分はどうだろう、と思ってしまうのも事実だ。 だから、ひとつずつ苦手を克服していこうと思う。目を逸らすことなく『宮田一郎』を見ていこうと思う。 そう決心したものの、試合中は何度も目を瞑った。そのままホールから逃げ出したくなる自分を叱咤し、最後まで試合を見守った。 あのいつも感情を表さない宮田がガッツポーズを見せた。それを見たは我慢できずに泣いた。 壁に背を預けて床に座り込み、そして顔を覆った。 苦しかっただろう。痛かっただろう。怖いとも思ったかもしれない。 それでも、その全てを克服して彼はそれを手にした。 悔しいと思った。そして、同時にそんな彼を誇らしいとも思った。 暫くすると自分の中の何とも言えない感情が落ち着き、漸く泣き止むことが出来た。 ダメ元で控え室に向かってみる。 行けないだろう。会えないだろう。それでも、ほんの少しの可能性に賭けてみようと思った。 もう既に記者たちも引いたのか、がらんとしている廊下が不気味で怖かった。 ドン、と誰かにぶつかった。 「ごめんなさい」と言うと英語が返ってくる。 見上げると、先ほどまで宮田と戦っていた元チャンピオンだ。 <チャンピオンなら、たぶん控え室に向かっているよ> 何故自分が宮田に会いに来たとわかったのだろうか。 <わたし、初めてボクシングを見たんです。初めて見た試合があなたと宮田選手の試合で本当に良かったと思います> の言葉に元チャンピオンは微笑み、<ありがとう>と返して出口へと向かった。 まっすぐ廊下を駆けると見慣れた背中がある。 足音で気がついたのか、宮田が振り返り、目を丸くした。 はたまらなくなって宮田の胸に飛び込んだ。 宮田はそれを受け止め、はハッとする。 「ゴメン、痛くなった!?」 試合を終えたばかりの選手に何たるコトを!と自己嫌悪に陥っていると 「大丈夫。ちゃんなら大歓迎、ってところかな?」 と軽い口調で言われた。 「それより、どうしたんだよ」 「チャンピオン、おめでとう。一郎くん」 宮田は固まる。 「え、あの..見てた、ってこと?てか『一郎くん』って...」 宮田の問いにが頷いた。 「生の試合、最初に見るなら一郎くんの試合って決めてたから。チャンピオンに『チロくん』はないでしょう?」 の言葉に宮田は目を見開く。 が、自分の試合を見てくれていたというではないか。 「じゃあ、俺は約束を守れたってことかな?」 はきょとんとしたが、宮田の言っている『約束』が何を指しているのか思い出して満面の笑みで頷いた。 「じゃあ、次の試合も見てくれるってことだよな?」 嬉しそうにいう宮田には頷き、「でも」とつける。 「でも、遠くから。まずは遠くからね?ちょっとずつ慣れていこうと思うの。今日も立見席だったんだけど、ちょっときつかったから...」 申し訳なさそうに言うの言葉に宮田は微笑んで頷く。 「いいよ、ちょっとずつで良いから慣れてよ。ちゃんが間近でボクシング見られるようになるまで、俺は負けないから。ずっとチャンプだから」 そう言って宮田はのおでこにキスをした。 |
桜風
09.5.30
ブラウザバックでお戻りください