| 「やあ、宮田くん」 先日、OPBFタイトルマッチで見事に勝利を収めた宮田が川原ジムで練習をしていると声を掛けてきた人物が居た。 月刊ボクシングファンの記者、藤井だ。 「こんにちは」 宮田はペコリと頭を下げる。 「これ、明日発売の最新号だ。お陰様で結構良い記事が書けたと思うよ」 タイトルマッチの試合の模様やその後のインタビュー記事が載っているものだ。 「ありがとうございます」と受け取って、ふと思い出した。 「...藤井さんのところ」 「ん?」 「今年、新入社員が入ったんですよね?」 宮田の言葉に藤井は目を丸くした。 「ああ、ひとりな。よく知ってるね」 「あ、いえ。、さん..ですよね?」 「何だ、知り合いかい?」 結局あの会話以来と会話をすることが出来なかった。 理由は、色々だ。 あの時、試合前でピリピリしていたから余計に反応してしまった彼女の言葉。 しかし、それについて自分がとやかく言うことではないというのは、冷静になったとき思った。 思ったが、その後会うこともないし、隣だからインターホンを押せば話は出来たかもしれないのだが、少し気まずい気がして、何となく放置して結局今の今まで彼女の顔すら見ていない。 「知り合い..みたいなものです。随分、顔を見てませんけど」 「今、一生懸命だからなー。時間があったら会社の資料室に籠もってるし、家に帰る時はビデオを何本か持って帰って。ああ、試合も結構見に行ってるみたいなんだ。 最初は、もボクシングに馴染みがなくてウチを受けたのもおじいさんの顔を立てて、って所だったらしいんだけど。中々どうして。向学心のある子でね、拾い物って感じだよ。今は飯村が面倒を見てるんだが...どうかしたかい?」 何だか、宮田が妙な表情を浮かべているように見える。 「あ、いえ...」 ふと、思い至ったことがあった。 幕ノ内の取材にはついていったは宮田の取材には行きたくないと言った。 ああ、何かあったのかな。知り合いだって言うし... 「今度来るとき、面白いものを持ってくるよ」 藤井はそう言って川原ジムを後にした。 藤井が去っていった数日後、予告どおり彼は『面白いもの』を持ってきた。 「何ですか、これ」 「没になった記事だよ。まあ、荒削りだけどね」 渡された原稿を読む。 自分の試合の記事だ。 たしかに、クオリティは低い..ような気がする。 文章とかそういうのを偉そうに言えるほど自分にスキルがあるとは言わないが、ボクシング雑誌は昔から結構読んでたし、自分の得意分野のことを書かれているものだから、やっぱり違和感というか足りないなと思うところはある。 「これが?」 「が初めて書いた原稿だ」 宮田は目を丸くした。 全く馴染みがなかたっと言っていたはずだ。 けれども、全く馴染みがなかった割には、書けている方じゃないだろうか。 「びっくりしたよ。毎日必死に勉強したのがよく分かる。まだまだ未熟だけど、面白いものを持ってるなって思った。飯村がこれをみて余計に張り切ってね。今、は大変だろうけど、今頑張ればもっと伸びると思う。 あの子は、ずっと親の期待通りの子供を演じていたそうなんだ。楽な方を選んだと言っていたが、中々楽な道じゃなかったはずだよ。あの子の通っていた大学、知ってるかい?」 藤井の言葉に宮田は首を振る。 「今年卒業した、ということくらいしか」 藤井は苦笑して大学名を口にした。 「結構名門なんだ。学部によっては本当に難関で。その難関の学部には、がちょっと前まで在籍していたよ」 「何が、言いたいんですか?」 「誰にでも最初はあるし、その時期は人によって違う。これから、って所なんだよ。あの子に足りないのは、経験だ。これから、飯村について取材をさせてもらうことがあると思うけど、少し長い目で見てくれると嬉しい、って話かな? ああ、もちろん迷惑だったら『迷惑』と言ってくれ」 そう言って、藤井は川原ジムを後にする。 「藤井さん、これ!」 手渡されていた記事を掲げて声を掛けた。 「君にプレゼントだ」 そう言って藤井は足を止めずにジムから遠ざかっていく。 プレゼント、といわれても... 貰って困ったが、悪い気はしなかった。 やっぱり、には謝るべきだろうか... 彼女は日常の何の気ない会話をしていただけなのに、自分が勝手に敏感になってあんな事を言ってしまったのだから。 「けど、謝るってどうやって...」 生まれてこの方、あまり『謝る』という行為をしたことがない。 したことがない、というか意識して謝ったことがない。 困った、と思ったがとりあえず練習をするのが先決と思い、藤井から貰ったが書いた初めての原稿を仕舞うべくロッカーに向かった。 |
桜風
09.12.26
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