あと3センチ





仰げば尊しを歌いながらその歌の意味って何だっけ?などと考えながらあっという間にこの制服を着られる最後の学校行事が終わった。

とりあえず荷物もあることだし、「着替えてから集合ね」と友人たちと話し、クラスメイトとの別れを済ませて家に向かった。

高校生活は結構楽しかった。

楽しかったけど、ひとつだけやり残したことがある。

それはわたしがどう頑張っても出来るものではない。

ただ、運が悪かっただけだ...


ふと、家の門の前に人影がある。

何だろう...

親は仕事だし、誰だろう...

不安に思いながらゆっくりと近づくとそこには物凄く久しぶりに目にする人物が居た。

「お兄ちゃん!」

思わずそう声を上げて慌てて両手で口をふさぐ。

『お兄ちゃん』と言っても本当の兄ではない。

ただ、近所のひとつ上のお兄ちゃん。愛想はあまりないけど、意外と面倒見が良いのだ。

彼は苦笑しながら軽く手を上げた。

「ど、どうしたの??」

駆けて彼の元へと向かう。

昨年までは同じ学校に通っていて、ちょっと見た目おっかないけどクールでカッコいいと結構人気があった宮田一郎がそこにいた。

を待っていたんだよ」

苦笑しながらそう言った。

今日はジャージじゃない。どうしたんだろう。

いや、それ以前に...

「いつ帰ってきたの?!」

プロボクサーの彼は昨年の今の時期から強くなるために海外遠征に出ていたのだ。

そして、それを機にあの家も引き払った。

わたしの家の斜向かいのブロックには集合住宅が建設中だ。

「この間。2月の半ば..だったかな?」

「えー!そんな前?」

「そうでもないだろう。と、言うか...も卒業か」

感慨深そうにそう呟く。

「んー、まあ。そうなんだよね。あっという間だった」

「進路は?」

「一応決まってるよ。本命はまだ結果出てないけど」

わたしが答えると「ふーん」と相槌を打つ。

「そうじゃなくて。お兄ちゃ..宮田さんは何でここに?」

「学校じゃないんだから、『お兄ちゃん』でも良いんだぜ?」

苦笑しながら彼が言う。

彼とは中学は勿論、高校も一緒だった。

中学のとき、入学したてのときは『お兄ちゃん』って学校でも呼んでいたけど、誰か..確か男子だったと思うけどからかわれて。お兄ちゃんまでからかわれていたから『宮田さん』って呼ぶようにした。

初めて『宮田さん』って呼んだとき、ちょっと自分が大人になった様な気がした。

けど、それと同時に喪失感も覚えた。わたしにとって『お兄ちゃん』という存在は特別だったのだ。甘えても良い、という免罪符のようなものだった。

わたしが『宮田さん』って呼ぶようになって最初の頃はお兄ちゃんも何か居心地が悪そうな表情を何回か浮かべていたけど、付き合ってくれた。彼は学校では『先輩の宮田さん』で居てくれた。


「ほら」そう言ってお兄ちゃんは紙袋をわたしの前に差し出す。

「何?」

「いいから、受け取る」

言われたとおりそれを受け取った。

中身を覗くと可愛らしいブーケが入っていた。

「どうしたの?!」

「今日都内の高校の多くが卒業式だってニュースで言ってたから。も卒業式だったんじゃないかなって」

「わたしに?!」

「誰にだと思ってたんだよ」

苦笑しながら言う。

「その制服も今日で見納めだな」

「せ、制服コスチュームが好きだったの?」

わたしが言うとお兄ちゃんはおでこを小突く。

おでこをさすって見上げると「そんなわけないだろう」と言われた。

「じゃあな」

そう言って背中を向けたから思わず「待って」と声を掛けた。


『チャ〜ラ、チャッチャチャーラララチャチャチャ』

わたしの頭の中で時々響く音楽。オクラホマミキサー。

届きそうで届かなかった。

わたしが高校生活で唯一心残りだったあの事件。

お兄ちゃんは「何だ?」と振り返った。

「握手、して」

「は?!」

驚いたように目を丸くした。

「握手」

繰り返すと肩を竦めて『仕方ないなー』と言った感じで手を差し伸べてくれた。

その手を掴もうとわたしも手を伸ばすと「あ、」とお兄ちゃんが呟く。

思わず手を止めるとお兄ちゃんの手まであと3センチ。

は覚えてるかな。去年..じゃなくて俺が高3のときの体育祭」

それだ!わたしの心残りの事件があったのは。

頷くと「フォークダンス覚えてるか?」と更にわたしの心残りの核心を突いた。

男子の方が人数が多いから、と生徒会の女子が借り出された。

わたしは当時生徒会に入ったばかりのひよこだったが、借り出される対象となっていて、そのままお兄ちゃんの居る輪の中に入れられた。

次、お兄ちゃんだ!

ドキドキしながら手を伸ばすと音楽が途切れた。

お兄ちゃんも手を出していてわたしたちの手が重なるまであと3センチだった。お兄ちゃんと目が合い、彼は苦笑していた。そして、わたしはと言うと、物凄く悔しかったから回れ右をして背中を向けたのだ。

「あとちょっと音楽が続いてたらともフォークダンスできたのにな」

「お..覚えてたの!?」

「というか、今思い出した。あのときのの顔をな」

あれ?顔を思い出したって言われても鏡を見てないからわたしは分からないんだけど...

「物凄く悲しそうな目をしたからさ、正直焦った」

泣き出されたらどうしようって思ったよ、と続けられて慌てる。

確かに泣きそうだったけど。でも、それに気づかれたくなくて背中を向けたのに...!

「手ぐらい、いつでも繋いでやるのにって思ったよ」

それって、どういう意味だろう。

いや、深読みをしてはならん。ぬか喜びは大怪我の元だ!!

じっと見ているとお兄ちゃんはわたしの宙に浮いている手を握った。

「はい、握手終了」

「あ!」

しまった!

悔しがっているとぽん、と頭に手を置かれる。

「手ぐらい、いつでも繋いでやるから」

「どういう意味ですか?」

これはもう直接的に聞こう!自分で突っ走ってこける方が、色々と覚悟が出来て良い。

お兄ちゃんは面白そうに目を細める。

「手」

いわれて反射的に右手を出す。

その手の上にひんやりとしたものが載った。

「こういう意味、かな?」

そう言ってお兄ちゃんは今度こそ背を向けて去っていく。少し足早に。

わたしもそのお兄ちゃんの背中を追いかけることは出来なかった。

こ、これは...!!

手の上に載ったのは家の鍵。

でも、でも...!!

この鍵が合うドアはどこにあるのでしょうか?!


後日、仕方がないのでお兄ちゃんの所属しているジムまで押しかけて住所を聞き出すことになったのはなんとも間抜けな話で、これにはおじさんも苦笑していた。











桜風
09.7.25執筆


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