彼女の逆鱗に触れちゃった ―後編―




「じゃあ、試合始めるぞ。お互い、セコンドの準備もいいか?」

鷹村さんがそう声を掛けた。

「俺がセコンドしようか?」

「んー...1Rで終わらせたいとは思ってるんですけど」

そう言いながらも嫌といわなかったから俺は彼女のコーナーについた。

「よーし、いいな。始めるぞ」

そう言って鷹村さんがゴング係の板垣を見た。

ちゃんは練習不足だとか言ってたのが嘘のように軽やかな足捌きでヒットアンドアウェイを繰り返す。

男は最初ちゃんの動きに面食らっていたけど徐々に足を動かす。

「流石だな...」

「あの人、強そうなんですか?」

青コーナー側に居た俺の傍にちゃんはやってきてシャッターを押す。

ちゃんのほう。あの足捌き。プロでもトップレベルだぜ?」

「木村さんとどっちが上ですか?同じアウトボクサーってのなんですよね?」

「...あえて俺って言っとく」

「失礼」

男のパンチはひとつもちゃんに当たらない。

それに焦れたのか、段々あいつのパンチが雑になり、動きが大きくなる。

そろそろ、と思ったらいい音が部屋に響いた。

あいつの右ストレートにちゃんが綺麗にカウンターをあわせた。

鷹村さんがカウントしていき、誰も疑うことなく、ちゃんの勝利が決まった。彼女の言ったとおり、1Rで試合は終わった。

「おい、バケツ」

鷹村さんがそう声を掛けると用意のいいことに青木が傍に置いていた水がたっぷり入ったバケツを持ってリングに上がった。

ちゃんのカウンターで気絶していた男は驚いたように飛び起きた。

「今の...」

「宮田のボクシングで1Rで沈むのはあなただったね」

ニコリと微笑むちゃん。

「ちょっと待て。この人たちに協力してもらって練習したんだろう。お前、卑怯だ」

「はあ?!」

鷹村さんがもの凄い表情でそう声を漏らした。

「誰に見てもらっても本人の努力がなけりゃ、結果はでねぇよ。というか、お前。のろまなアウトボクサーだな。かと言ってインファイターにゃ向いてねぇ。公式戦負けなしって嘘だな」

鷹村さんの気迫に押されたのか、男は黙った。

「いえ、公式戦負けなしは本当です。けど、勝ちもない。聞いたことあります。練習試合で自分よりも格下と対戦して勝ち数を稼いでる奴がいたって。さんから名前を聞いたときには思い出せませんでしたけど、今日顔を見て、ボクシングを見て思いだしました。ボクも、大学で一度だけ目にしましたから。ボクは指名してもらえませんでしたけど」

男は青ざめる。

「ああ、何だ。嘘は吐いてなかったんだ?宮田とだって試合をしたことがなかったから、勝てるかもしれないしね。でもね」

ちゃんはそう言って言葉を区切ってリングに膝を突いて男と視線を合わせる。

「一郎はあなたと違って今までかませ犬なんかと戦ったことは一度もない。そんなせこい勝ち数の稼ぎ方、私..ううん。一郎のプライドが、ボクシングが許さない」

低くそう言った。

そして、男はやっと自分の失言に気づいたようだ。

「と、言うわけだから。バイバイ」

ちゃんはそう言って立ち上がり、リングから降りた。

カッコイイ!」と言いながらちゃんがバシバシとカメラのシャッターを切っていく。

「着替えてくる」と言ってちゃんは部屋を後にした。

ちゃんのさっきの一言でこの試合の発端を察した鷹村さんと青木が深い溜息を吐く。

板垣は宮田家のことはそんなに詳しくないが、何となくは分かったのかもしれない。

男は逃げるように荷物を纏めて出て行った。



「ねえ、ちゃん」

「はいはい。何でしょう?」

そう言って俺にレンズを向けて1回パシャリ。

ちゃんはどれに怒ったのかな?」

宮田を貶めたこと。

宮田のボクシングを貶めたこと。

「さあ?でも、何と言うか。の逆鱗に触れちゃったらどうなるかってのは彼が身を持って私たちに教えてくれたので、そこは感謝しておいた方がいいかと...」

確かに。

龍の逆鱗は1枚だって聞いたことはあるけど、ちゃんにはまだあるのだろうか。

とりあえず、彼女は怒らせると怖い。

以前宮田が言ってたけど、きっとそのときとは違う怒り方だよな、今回のは。

少しだけ、背筋に冷たいものが走ったけど、それは気づかないフリをしておくことにした。




ヒロインのの逆鱗に触れちゃったらどうなるか。
こうなるのです。
それこそ、ヒロインだってご幼少の砌からボクシングと言うものを見てきましたからね。
とりあえず、ヒロインを怒らせたら怖いんだぞって話はこれにて終了。


桜風
08.9.20


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