第10話
| 彼女は鳳貴の実の母親だと明かす。 今、彼が『母』と呼んでいる人物は身分も金もある、所謂貴族の血筋だった。 身分を欲した彼の父親は彼女と結婚した。しかし、彼女は子が出来ない体だった。そこで、その家で働いていた空音が代わりに子を宿して産んだ。 そして、その手切れとしてこの屋敷の主人を紹介されて婚姻を結んだのだという。 「夫に不満はありませんでした。ですが、今度は夫が子を作れない体だったようで...」 だから、彼女はこの家での子が居ないのだとか。 「こういう、お金持ちの家同士は時々晩餐会を開いたりするの。そのときに、鳳貴様も見かけたことがあるわ。立派な青年になられていて、胸が詰まった。彼のことを教えていただけないかしら、と思ってご実家に声をかけると彼のお母様..当時のわたくしのご主人様に当たる方ですけどね、物凄く不愉快そうにされるの。だから、街で鳳貴様を見かけてもお声を掛けることが出来なかったわ」 「名乗ろうとは思っておられないのでしょう?」 飛翔が問う。 「もちろんよ」 子は居なくとも幸せだった。だから、もうそれで充分だと彼女は思っていると言う。 「少しだけ、お話がしたかっただけなの」 寂しげに笑う。 「飛翔さんのお教室にこちらをお貸ししたのも、きまぐれではあるけど、本心では少し寂しかったからなのよね、きっと」 今、この屋敷にはメイドと自分の2人だけ。大きすぎるこの屋敷は持て余し気味だったのだ。 「小さな子供もお教室に来ているでしょう?賑やかでいいわ」 空音は子供が好きなのだろうが、接する機会がなかったためどう接していいのかがわからないのだろう。 だから、子供達が屋敷に来たときも少し冷たい態度になるのだ。 「空音様は、失礼ですが礼儀作法は一流のものを身に着つけていらっしゃるようですが...」 「夫に恥をかかせてはいけないでしょう?それでなくとも、こんな大きな家に嫁げるような身分でもなかったのに。だから、必死だったわ。何か?」 見苦しい点があったのかと彼女は不安になって飛翔に問う。噂で飛翔の父親は炎の国の王族だと聞いたことがある。だから、礼儀作法は彼女のほうがしっかりしていると思っているのだ。 「では、お願いがあるのですが...」 飛翔が口にしたことを聞いた空音は驚き、首を横に振った。 「わたくしが人に何かを教えるなんて、無理よ」 「礼儀作法は、既に空音様の一部となっています。最近では歴史も学びたいといわれる方も居ますし、たぶん、今日の事がありましたから法を学びたいと仰る方が出てくると思います」 「飛翔さんはそれら全てに応じる気なの?」 目を丸くして彼女が問う。 「できる限り。この国の教育水準は、他国に比べて低いんです。女性が政治に加われないからそうなっています。ですが、同じく女性が政治に参加できない水の国も教育だけは男女の差別はありません」 飛翔の言葉に空音は眉を顰める。 「これまでは国同士が遠かった。しかし、今は数時間程度空を飛べば隣国に着きます。情報もこれまで以上に速く相手に伝わる。今は風の国が技術の先進国です。しかし、あっという間にそれは他国に抜かされます。極端な話、他国の知恵は、国民全てから出されます。この国は、半分しかその知恵が出てきません」 多少、貧富の差などで教育の差が出ている国もあるが、それも本人の努力である程度解消できそうなことだし、次代の国の代表がどうにかしようと考えて政策を採るはずの課題だ。 間違いなく、彼らならそうする。 そうなったとき、この国はどうだ? 帝は飛翔の考えている課題について検討するだろう。だが、実際に国を動かしているのは軍で、大多数がこの国が抱えている課題を課題と考えないはずだ。 飛翔の家族も考えは似たようなものだ。だが、彼らがそれを提案したとして、飛翔を国政に戻したいと言う一心でそんな政策を取ろうとしていると非難されかねない。 下手すれば、彼らが動く方が先に進めないのだ。だから、誰かが動いたときにサポートできるように密かに動いて準備はしておくかもしれないが、それ以上のことはせずにこの国の行く末を静観するのだろう。 それは国を裏切る行為になりかねないが、それ以外の選択肢は危険すぎると判断するのではないだろうか。 「そうなの...」 空音は呟く。 「わかったわ。勉学は正直そんなに得意ではないけれど、礼儀作法なら身に着けて長いからわたくしにも教えられると思うし。引き受けましょう」 空音の言葉に飛翔は頭を下げる。 「ありがとうございます。教室の場所の提供していただいている上に、お手伝いをお願いすることになって、申し訳ないと思うのですが...」 「構いませんわ。けれども、子供たちが怯えないかしら。ご夫人達も...」 自分が街の人たちからあまり好意的に見られていないことは知っている。 「僭越ですが...笑顔を」 飛翔が言う。 「笑顔?」 「空音様は、隙がないのです。私も、部下だった者たちによく言われました。『笑顔を見せりゃ、それだけでとっつきやすくなるのに』って。私の場合、気が抜けませんでしたから、笑うことはあまりしませんでしたが。敵ではないと言う意思表示にはなりますよ」 そういえば、自分も夫に恥をかかせてはいけないだとか、色々と気を張って過ごしていたから、敵を牽制するような笑顔は浮かべていたが、警戒心を解くような笑顔を見せることは殆どなかった。 「心がけてみるわ」 「ええ」と飛翔が頷く。 「お待たせしました、飛翔様」 皆を送り届けて戻ってきたハヤテが声を掛けてきた。 「片づけがまだのようですね」 部屋の中を見渡して彼が呟く。 「ああ。悪いが手伝ってくれ」 「了解しました」 「わたくしも」と腰を上げた空音に「空音様はごゆっくりなさってください。こちらの部屋を会場として借りているのだから、せめて片付けは私がしなくては」と飛翔が彼女を制して言う。 少し悩んだ彼女は「では、お言葉に甘えるわ」と言って浮かせた腰を下ろす。 気まぐれで貸した屋敷の一室が『教室』と呼ばれ、そこに人が集まる。 「飛翔さんは、台風の目ね...」 空音は呟く。 周りの風が集まってくるその中心。 「何か?」 振り返った飛翔が首を傾げて問う。 「何でもないわ」 にこりと微笑んで彼女はそう返した。 飛翔は驚いたように眉を上げ、そして「そうですか」と微笑む。 なるほど、笑顔って素敵なのね... 微笑んだ飛翔は、途端に柔らかな雰囲気になる。 飛翔のアドバイスに納得した空音はその日から早速笑顔の練習を始めたのだった。 |
桜風
12.3.25
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