Rainy day





煙るような雨の中、彼は傘も差さずにしゃがみこんでいた。

『ナァ〜』と腕の中では小さな猫が震えながら鳴いている。

困ったな、と少し戸惑った。

家にはすでに猫がいる。

だからつれて帰ることはできない。

この強い雨のおかげでいつもあげている髪が降りてきて少々鬱陶しい。

容赦なく振り注いでいた雨が不意にやんだ。

否。

止んだのではない。

雨音は耳に届いているし、何より別の音がそれを証明している。

ふと振り仰ぐとそこには少女が自分の腕の中の子猫を覗き込んでいる。

少女、というには少し無理のある、自分より何歳か上といった印象のある女性だ。

「捨て猫?」

彼女が声をかけてくる。

「あー...まあ。ここで鳴いててかわいそうでサ。思わず抱き上げたら、手放せなくなって」

「...そう」

彼女はそういって曲げていた腰を伸ばした。

「じゃあ、これ」

そう言って彼女が自分のかさを差し出した。

「いいよ。オレもこうして濡れてるし。今更どうってことないってね」

彼はおどけたように言ったが、彼女は上手に彼の肩に傘のもち手を差し込んだ。

「そっちの方が人数、多いじゃない。貸してあげる」

ためらうことなく彼女はずぶ濡れになる方を選んだ。

「人数..って?」

見えない何かが見える方なのかと思って聞いてみる。

「1人と、1匹」といいながら自分と腕の中の子猫を指差した彼女は「性格には『人数』じゃないけど」と付け足して笑う。

「でも、」と言い募ろうとしたらそれをさえぎるように

「じゃあ、ね。嶺アラタくん」

と彼女は笑って言い、煙る雨の中を駆けていった。

彼女の肩にかけているバッグは彼女の体系にはあまり合っていない大き目のスポーツバッグだった。


ずぶ濡れで今更だけど、女の子の好意は受け取る主義のアラタは彼女が差してくれた傘を差して腕に子猫を抱いて帰宅する。

キャサリンに子猫の世話を頼んで自分はシャワーを浴びる。

しかし、なぜ彼女は自分のことを知っていたのだろうか...

なぜ、というのは少し語弊があるだろう。

なぜなら、彼女が肩から掛けていたスポーツバッグはテニスラケットの入っているそれだった。

テニスをしている人なら、少し年代が違っていても自分のことを知っていてもおかしくない。

彼女は自分が『嶺アラタ』だから声を掛けてきたのだろうか...

違う、と思いたい。

彼女は純粋な親切心で声を掛けて傘を貸してくれたのだろう。

そうでなくては、自分の名前を名乗らなかったことの説明がつかない。

なんとなく納得してアラタはバスルームを後にした。


キャサリンが彼女を探そうかといってくれたが、それは断った。

なんとなく予想がついていたからだ。



数日後、アラタは初めて訪れる聖帝学園中等部に足を向けた。

中等部といえどもさすが聖帝学園。施設は充実している。特に体育系の部活動の活動場所についてはかなり整っている。

テニスコートの場所を道行く生徒に聞きながらそこへと向かった。

思ったとおり、彼女がいた。

高等部のテニス部部長から聞いていたのだ。

今年度に入って中等部のテニス部が卒業生をコーチに迎えた、と。

名前までは知らないが、コーチに迎えるくらいだからそれなりに有名な選手なのだろう、と。

名前は本人に聞くつもりだから特に興味はなかったし、彼女がそこにいると分かれば十分だった。

「こんにちは」

不意に声を掛けられて彼女は目を丸くして振り返る。

「どーも。この間はTTA。とってもとってもありがとう」

アラタの言葉に彼女はきょとんとして、苦笑した。

「変な日本語ね」

「そうかな?ところで、傘を返そうと思ってるんだけど...」

そういうアラタの手には何もない。

彼女は首を傾げた。

「ああ、ここにいなかったら荷物だし、って思って。今度また持ってくる。その前に、あなたの名前、聞きたいな」

アラタに言われて彼女はやっと気がついたらしい。自分が自己紹介をしていなかったことを。

「ごめんなさい。です」

さん、ね。かわいい名前だね...ンフッ」

アラタの言葉には「あはは」と笑った。

アラタは不思議そうな表情を浮かべる。

「そういうことを軽く言える人の言葉は信じないことにしてるの」

「思ったことを口に出しただけなのになー。ちょちょっとシンガイだよ」

「これは失礼」と彼女は肩を竦めてまた笑う。

「でも、ま。これでさんの名前と居場所が分かったから今度また傘を返すことを口実に会いにくるよ」

そういってアラタはウィンクをした。

は苦笑して

「まあ、そんなまどろっこしい口実とか良いから」

と歓迎している風な口調で言葉を返す。

「...あ、さん。あの時、傘を差しかけてくれたのって、『オレ』だから?」

アラタの言葉には苦笑した。

「随分と天狗さんね。あなたじゃなくても同じコトしたわよ。だって、雨の中捨てられた子猫を抱いてる人に悪い人はいないもの」

の言葉にアラタはうれしそうに笑う。

「そうそう。あの子、うちでは飼えないから友達に引き取ってもらったよ」

「それはよかった」

嬉しそうに笑った彼女にアラタも同じ表情を返した。









桜風
09.6.1