| 「久しぶりね、永田。ついでに、翼」 彼女は悠然と微笑んでそう言った。 声をかけられた永田は少し驚いたようだが、いつものポーカーフェイスで「お久しぶりです、様」と恭しく頭を垂れた。 そして『ついで』呼ばわりされた翼は眉を吊り上げて「Shit!」と毒づいている。 翼が世界で一番苦手な人間がこの目の前にいる姉の真壁だった。 「で?何をしに来たんだ?」 「日本に遊びに来たの。ああ、ここに滞在するからそのつもりで」 「はあ?!」 不満を隠すことなく翼が声を上げた。 その声を聞いてはじっと翼を見る。 「何か?」 「...いや、何でもない」 視線を逸らして翼が言う。 そんな弟の様子をは目を細めて眺め、満足そうに頷いた。 「ところで、翼。あんたホントに先生なるものをやってるの?」 「当然だ。この俺に出来ないことはない!!」 胸を張って「ハーハッハッハ」と笑ってからそういった。 「生徒が気の毒」 真顔でが言う。その言葉に翼はグッと詰まった。 「翼様、お時間です」 真壁姉弟のそんな様子はかなり見慣れている永田は特に気にすることなく翼に声をかける。 「わかった。おい、」 「『お姉様』が抜けているわよ?」 「家を散らかすなよ」 の言葉を黙殺して翼はそう言い、出かける準備を始める。 「あら?何処に行くの?」 「と違って俺は忙しいんだ。大人しくしてろよ」 「外に出るときはどうしたらいいの?鍵、貸しなさい」 「はあ?帰ってこなかったらいいだろう。寧ろ、帰ってくるな」 翼が冷たくそういった。 「ふーん」とは目を眇めて「じゃ、ワールドワイドなネットワークに真壁財閥次期総帥の翼のあんな過去やそんな過去を垂れ流しにしてあげるわ。家に居ても暇だし」と言って自身の持ってきたノートパソコンを開いた。 「永田!」 切羽詰った声で翼が永田の名を呼ぶ。 「承知しております、翼様。様、後ほどスペアキーをお持ちします。暫くご不便かと思いますが、ご容赦いただきとうございます」 恭しく言う永田をじっと見たは「ふーん」と言ってパソコンを閉じた。 その動作を見て翼は息を吐く。 「じゃあな」 「様、留守中お出かけされても結構です。この家はオートロックですし、早々にキーをお渡しできると思います」 永田はそう言って翼に付き従って家を出て行った。 「つまんないのー」 は拗ねたように呟いた。 家でじっとしていても面白くない。 仕方ないのでは外に出ることにした。翼みたいに秘書を連れて歩くことはしない。 元々は独りで行動するのが好きなのだ。 「好き..なのかな?」 自分のことなのに時々分からない。 「何がでございましょうか?」 不意に聞こえた声には口の中で小さく悲鳴をあげた。 「これは、大変失礼致しました」 不意に声をかけてきたのは永田で、これまた特に心が籠もっていない謝罪をされた。 「永田の心って何処にあるのかしら?」 真顔でが聞くと「さて、どこでしょうか」と返されて益々面白くない。 「翼は?」 「講師の仕事に行かれました。学校の中ですと特に大きな問題もありませんので、下がらせていただきました。様は日本にいらっしゃるのは久しぶりですし、よろしければご案内させていただこうかと思いまして...」 そんなことを言う永田に目を眇め、暫く彼をじっと見ていたが、その表情は変わらない。 「ま、いいわ。荷物持ちにちょうど良いし、お願いしましょう」 の言葉に「かしこまりました」と永田は応えた。 「翼って、ホントに先生をやっていけてるの?銀児さんの代わりだなんだって聞いたけど」 ウィンドウショッピングをしながらが言う。 「ええ、翼様も一生懸命講師の仕事をこなされていますよ」 「まあ、本業の先生がいるところに顔を突っ込んでるんだもんね」 そう言っては苦笑した。 暫く買い物を続けていたが「帰る」とが言ったため、永田も付き従った。 帰宅して徐に自分のバッグの中からエプロンを取り出す。 「何を?」 「嫌がらせに夕食作るの」 「嫌がらせで、ございますか?」 からかうようにいう永田に「そうよ」とツンと澄ましては答える。 あの真壁の姫だというのに料理が出来る。そして、意外と美味しいものが作れる。つまり、は少し変わっているのだ。 「翼のところに戻らなくても良いの?」 フライパンを巧みに扱いながら永田に声をかけた。 「ええ、本日は翼様は外食をなさいますので」 永田の言葉には手を止めた。 「何故、私を止めなかったの?」 無駄なことをしてしまったじゃないか。 「楽しそうにされておられたので、中々口にしづらかったのでございます」 嘘吐きめ、と思った。 無駄になるのを知っていて声をかけないのは意地悪以外の何ものでもない。 文句を言おうと改めて振り返るとパチッと音がした。次いで手の甲に小さな痛みを感じる。 油がはねたんだ、と理解したときには自分の腕は掴まれていて、シンクに差し出している形になった。はねた油が散った場所には流水が掛かっている。 「あの、永田?」 「すぐに冷やせば痕はつきません」 「この程度の火傷くらいで痕は残らないわよ」 呆れたようにが言う。 暫く永田の好きにさせていたが、少し患部周辺が冷やしすぎて痛くなってきた。 が手を引こうとすると永田はそれを阻止することなく、濡れている部分をタオルでそっと拭く。 「ありがとう」と言ったはピシリと音を立てて固まった。 「...永田?」 「おまじないでございます」 しれっと言った。 少し赤くなっているの手の甲に唇を落としたのだ。それを『おまじない』としれっと言うものだからたちの悪いことこの上ない。 「悪い大人ね」 が溜息混じりに言うと永田は微笑む。いつもの誰にでも見せる『秘書』としてのそれではない、永田智也の笑顔だ。 悪い顔。 はそう思った。 「私が悪い大人、ですか?...今更です」 挑発するよな笑みでそんなことを言われても黙っていられない。 「そうだったわね」 言い終わった途端、永田に口を塞がれる。 「これは何のおまじない?」 重ねた唇が離れて挑発するようにが言う。 「そんな生ぬるいものではございません」 そう答えた永田には再び言葉を奪われた。 |
桜風
10.5.1