飛行機雲 1





 青空颯斗は、一度実家から逃げた。

逃げた先は、自分の好きな星空のある場所。

そこでいろんな出会いと経験を経て、再び戻ってきた。

“家”という、彼を狭い世界に閉じ込める檻の中へ。


“青空”という名前はこの道ではかなり大きなもので。戻って来れば色々と大変だろうとは思っていた。

元々家族ともあまりうまくいっていなかった。

音楽は好きだが、好きになりきれない部分もあり。それは、きっと家族に愛された記憶がないのが原因かもしれない。

彼らは音楽を愛している。

そして、音楽の才能のある家族を。

家族だから愛しているのではなく、音楽の才能があるから愛しているのだ。

そして、技術の伸びが少し遅かった颯斗にはその愛が向くことがなかった。

それはとても悲しく、辛い思い出だ。

その悲しくて辛かった自分を慰めてくれたのは星空で、神話で。

だから、彼は高校を音楽専門の学校ではなく、星空の専門の学校に進んだ。

何か言われるかと思ったが、両親からは何も言われなかった。

そのことが、尚更彼を音楽から遠ざける結果にもなった。



日本とは全く違う街並みに最近は慣れてきた。

高校を卒業し、ウィーンにやってきたのが10日ほど前。

もう遅いと周囲が言っていたが、それでも確認ができて、これは自分の偽りのない気持ちだ。

自分は音楽が好きだ。

曲を作ったり、演奏をしたり。

自分の演奏を笑顔で聞いてくれる人がいた。

喜び、時には涙を流し。色んな表情を見せてくれる人たちに出会えた。

だから、また音楽と向き合いたいと思った。

日課としている散歩を終わらせて帰宅の途についていると丁度曲がり角で人にぶつかってしまった。

「きゃっ」と短い悲鳴が耳に届き、颯斗は少し慌てる。

相手は女性だ。

「すみません」

咄嗟に出たのは日本語で

「いえ、大丈夫です」

相手も日本語で返してきた。

ホームシックになっているわけではないが、母国語を耳にすると安心するものだ。

そんな、今現在どうでもいいことを思いながら「手を」と言って差し出した。

「ありがとうございます」と彼女が顔を上げる。

くりくりとした瞳は、小動物を連想するそれだった。

が、その瞳が驚いたように見開かれている。

「あの...」

差し出した手を下ろすタイミングがないため、できれば取ってもらいたい。

「はやちゃん」

「はい?」

ポツリと呟いた彼女の声が耳に届く。

どこか懐かしい気もする。

「あ、いえ。な、何でもないです」

そう言って彼女はぴょこんと立ち上がった。

颯斗の差し出している手を取ることなく。

行き場をなくしたその手を少しバツが悪く思いながらも降ろした颯斗は「大丈夫ですか」と確認してみた。

「あ、はい。大丈夫です」

「けがは...」

「大丈夫ですよ」

にこりと笑った彼女はその場で2回跳ねる。

「こちらこそ、ぶつかってしまってごめんなさい。服を汚してしまったとかないですか?」

「え、あ。大丈夫ですよ」

反対に心配されるとは思っていなかった颯斗は一瞬面食らい、そして柔和に微笑む。

「よかった。よそ見しちゃってて...」

「よそ見、ですか。こちらに来られて日が浅いんですか?」

だとしたら、自分と同じだなと思いながら颯斗が問うと

「こっちにいる期間は、そこそこ長いです」

そう言って彼女は空を指差した。

颯斗はつられて空を見上げる。

「飛行機雲が出てたから、見ながら歩いちゃってて。ごめんなさい」

彼女はそう言って時計を見て慌てた。

「ごめんなさい、急ぐので」

「いえ、こちらこそ。気をつけてください」

彼女の言葉に颯斗はそう返した。

あっという間に小さくなった彼女の背中を見送り、颯斗は再び空を見上げた。

青く澄みきった空に一筋の白い飛行機雲が伸びている。

『ひこうきぐもがでてるよ』

(誰が、言ったんでしょうか...)

ふいに脳裏に蘇った声に颯斗は首を傾げた。









桜風
15.3.19


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