| 庭に出てみると、空は快晴だった。 外の天気など気にしたことがない颯斗は陽射しの眩しさに目が痛くなる。 「はやちゃんは、ピアノ弾けるの?」 「え?」 ふいの問いを颯斗は思わず聞き返した。 「パパがね。はやちゃんの家はみんなピアノが弾けるんだよって言ってたの」 「僕は...」 そう言って颯斗は俯く。 「今度聞かせて」 颯斗の両手を取って彼女が笑顔で言う。 嫌だとは言えなかった。 自分が誰かに何かを求められることがなく、それは颯斗にとっての憧憬に近いものなのだ。 「いつか...」 颯斗は俯いてそう言う。 その時の颯斗の精一杯の返事だった。 「はやちゃん、見て!ひこうきぐもが出てるよ」 そう言って彼女は空を指差した。 釣られて颯斗も空を見上げる。 青い空に白い雲が伸びていた。 「あれ、“ひこうきぐも”っていうんだよ。ひこうきが、空に絵を描いてるんだって」 少し自慢げに彼女が言う。 「それでね、空は、広くてね色んなところにつながっているんだって」 父親か母親か。それとも姉だろうか。 彼女は自分の知っていることを颯斗に楽しげに話をした。 それが颯斗にとっては、羨ましく、そして同時に悔しくなって颯斗も話をする。 本を読んで知った星座の話。 青い空の下で夜空の話をする。 ひとつ神話を話し終わり、彼女を見ると彼女は目を輝かせていた。 「すごいね、はやちゃん!!」 「え...」 「ほかには?まだお話して!」 そうせがまれて少し困った。 颯斗もさほど知っているわけではない。 たまたま知っていた物語を話したのだ。 「え、と...」 「!」 「ちゃん!!」 遠くから大人の声が聞こえた。彼女の父親と、そして自分の父親。 他人だというのに、自分の父親に名前を呼んでもらえている彼女を少し羨ましく思った。 「はやちゃん、パパたちが探してるから行こう」 そう言って彼女は庭に出るときと同じく颯斗の手を取って歩きだす。 「パパ!」 玄関先に居た父親を見つけて彼女は声をかけた。 「こら、うろちょろしない。颯斗君も困ってるだろう」 「颯斗。お客様、しかも女の子を連れまわすな」 父親から叱責されて颯斗の肩が震えた。 「違うの。私がはやちゃんにお庭に行きたいってお願いしたのよ」 颯斗の前に立って彼をかばうようにが訴えた。 流石によその子にきつく言えず、颯斗の父親は「そっか」と返した。 「ほら、。颯斗君に迷惑を掛けちゃいけないでしょ」 の姉がに向けた声の温度は自分に向けられる家族のそれに似ていた。 「ごめんなさい」 笑って言う彼女の表情は少し悲しそうで、颯斗は胸が痛くなる。 一家を見送ると、家族には自分が見えなくなったかのように見向きもされなくなった。 だが、颯斗は勇気を出して父に声をかけた。 「またちゃんたち、来ますか?」 そう言われて父親は颯斗を見下ろし、 「まあ、出国前にあと数回来るだろうな」 と答えてくれた。 その日から、颯斗は神話の本を読んだ。 難しい言葉がたくさんあって大変だったが、次にが来るまでになるべくたくさん覚えようとしたのだ。 またきっと笑ってくれると思って。 父の言ったとおり、彼女はまたやってきた。 その日は土砂降りの雨で、外に出ることはできなかった。 しかし、親たちのいる部屋は息苦しくて、出ていきたい気もする。 家族と一緒にいられるからうれしいと思う反面、彼は息苦しく思ってしまう。 颯斗がそわそわしていると「パパ、探検してもいい?」と彼女が父親に言う。 「こら、ダメだろう。よそ様のおうちでそんな行儀の悪い」 そう叱られて彼女がしゅんとなったが 「別にかまわない。いいよ、ちゃん」 と颯斗の父親が言った。 「颯斗、案内してあげなさい」 そう言われて颯斗は頷いた。 「行こう」と手を取ると彼女は「うん!」と満面の笑みで頷いた。 彼女を連れて行ったのは、ピアノのある部屋だった。 窓が広くて部屋が明るいのだ。 自分の部屋は、あまり明るくない。 「ピアノだ。はやちゃんが弾いてくれるの?」 「僕は、弾けない...」 自分がピアノのを弾くと親が落胆するのを知っている。 だから、親のいるところでピアノは弾かなくなった。 「そっか」 「ちょっと待ってて」 そう言って颯斗は部屋を出ていく。 颯斗を待っている間、彼女は背伸びをして窓のふちに手を当てて空を見上げた。 雨が降っている。 「ひこうきぐも...」 「お待たせ」 息を切らせて颯斗が戻ってきた。 「なに、それ」 振り返った彼女が颯斗を見ていう。 彼の手には本があった。 「ご本?何のお話?」 興味津々に彼女が問う。 「神話だよ」 そう返した颯斗はペタンと床に座って床の上に本を広げた。ギリシャ神話の話だが、この本はイラストも多い。 その隣に彼女もぺたんと座る。 「わー、きれい。お星さまだね」 口絵の部分には星空の写真があった。 「うん」と颯斗は頷き、彼女に星の物語を読む。 難しい言葉が多くて少したどたどしい音読となったが、彼女はその物語に引き込まれて行った。 やっとひとつ読み終わったころに彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。 「あ、今日はもう帰る時間なんだね」 颯斗が本を閉じた。 「ううん、もうばいばいなんだよ」 彼女が言う。 「ん?」と颯斗は首を傾げた。 「えっと、じゃあ。次はいつ来るの?」 颯斗の問いに彼女は首を横に振る。 「もうばいばいなんだよ」 先ほどと同じ言葉を繰りかえす。 「あのね、とおい外国に行くんだよ。だから、今日はパパがはやちゃんのパパにさよならって言いに来ただけなの」 そんな話は聞いていない。 颯斗は目を丸くした。何とか自分の中で消化しようとして、中々できずに、気が付いたら泣いていた。 「はやちゃん、泣かないで」 そう言った彼女もわんわん泣き始めた。 彼女の泣き声で親たちは自分たちの所在に気づき、迎えに来た。 「颯斗!」 父親が叱る。 彼女を泣かせたのは颯斗だと思ったのだ。 「パパ、外国行きたくない」 ぐずぐずと泣きながら彼女が言う。 「ちゃん、これあげる」 颯斗は先ほど読み聞かせた本をに渡した。 「前に僕に教えてくれたよね。空ってずーっと続いてるんだって。たぶん、外国にも続いてるよ。だから、きっと寂しくないよ。またいつか会えるよ」 颯斗がなだめると彼女はじっと颯斗を見て 「いつかって?」 と問うた。 「大人になったら...」 その場しのぎの嘘を吐いてしまった。 だが、その言葉で彼女はぐしっと涙を拭った。 「ホントに?」 「うん...」 「じゃあ、外国行く」 彼女はそう言って頷いた。 |
桜風
15.4.9
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