優しき灯 2





 翌朝、僕が目を覚ますと彼女は既に起きた後だった。

頭の中で全く何も整理できていないまま、僕は彼女の顔を見ることになる。

「おはようございます」

階段を下りてリビングに向かうと、置手紙があった。

今日は図書館の蔵書の整理日だから少し早く家を出ると書いてある。

子供を宿した体にそんな重労働は大丈夫なのだろうか、と心配になったが、それでも僕は何も出来ず、動けないでいた。

彼女が作ってくれた朝食は、美味しいはずなのに味がしない。


昨晩、寝室に向かう前に見た彼女の表情が瞼に焼き付いて離れない。

悲しそうに睫を伏せていた。そっと自分のお腹に手を添えて。

彼女との間に子供が生まれること自体、不思議ではない。致すことは致している。

世に言う『責任』というものだって僕は充分取ることができる。

だが、覚悟を問われると..まだだった。


インターホンを押すと「はい」と彼女が出てきた。

「おや、お帰り」

「お久しぶりです、夏凛さん」

僕は、叱ってほしいとき彼女を訪れる癖があるようだ。

今回も、無意識ではあったがそうなった。

玄関にある大きな靴に首を傾げる。

「あの、晴秋さんも?」

「あー、うん。あの馬鹿もいるよ。どうぞ」

彼女はそう言って僕に入るように促した。

「お邪魔します」

そう言って玄関に足を踏み入れた。

夏凛さんは、仕事を退職して小鳥遊さんと結婚し、住居を構えている。

僕も数ヶ月前に建てたばかりだ。

さすがに「早い!」と夏凛さんに言われたが、ピアノを存分に弾くために防音施設がしっかりしたスタジオが必要だと言えば「そりゃそうか」とすぐに納得された。

この家は、家を建てた後に新築祝いに来て以来だから、2年ぶりくらいかもしれない。さんはもっと頻繁に来ているとは言っていたけど...


リビングまで足を進めて僕は足を止めた。

「...趣味ですか?」

思わず問えば

「アホか」

と返された。

晴秋さんは、フローリングの上に正座している。膝の上には、漬物石。

「ああ、猛省させているところだから。それ、置物と思って」

夏凛さんが言う。

晴秋さんは、何をしでかしたのだろうか...

「んで?何を叱って欲しいの?」

呆れたように夏凛さんが言う。

「え...?」

「僕落ち込んでまーすって顔してウチのインターホンを押すんじゃないよ!」

そう言って早速のデコピン。

「え、っと。まず。お土産をお渡ししていいですか?昨日まで師匠についてヨーロッパを回っていたので。ワインです。晴秋さんは、もう寮に送ってしまいましたけど」

「おー、いつも悪いなー」

晴秋さんが軽く手を上げて応じ、「今ぁ?!」と夏凛さんが声を上げる。

「え?あ、後でお渡しした方が?」

「じゃなくてー...」

「姉ちゃん、今妊婦さん。さすがに酒は控えてるんだってー」

からからと笑いながら晴秋さんが言う。

僕は思わず彼女のお腹を見た。

夏凛さんは既に今年3歳になる子供がいるから、今回は2人目。

「おめでとう..ございます」

1人目のときは、心から言えたその言葉が今は少し重い。

「ありがと。しかし、いつもお土産貰って悪いわね。ま、1年後に飲むわ」

「おっぱいあげてる間は飲んだらいけないんじゃねぇの?」

「1年半後に飲むわ」

晴秋さんの指摘に応じて夏凛さんが訂正する。

「んで?」

僕がここに来た、聞いていただきたいと思っている話を彼女が促した。

昨日、さんから聞いた話をした。

僕とさんの子供が出来た、と。

「おお!」

晴秋さんが歓声を上げる。

「んで、沈んでるんだ?」

「え?」

夏凛さんの指摘に驚くとまたデコピン。

「あんた、あたしのところに来るとき、若しくは電話をしてくるときは落ち込んでて叱ってほしいときでしょう?」

苦笑してそう言う。

「...たぶん」

「絶対、なのよ。んで、そんときどういったの?『やだ』って言っちゃった?」

「いいえ。何もいえませんでした...」

「何か言ってやれよー。嫌だったの?」

「いいえ、嫌と言うわけでは。嬉しいとは思いましたけど、それ以上に不安で...晴秋さんもご存知ですよね、僕の実家のこと」

「姉ちゃんや程情報通じゃねぇけど。ま、そこそこな」

晴秋さんが肩を竦める。

その後、脳天に凄い衝撃があった。

「か、夏凛さん?」

頭を抑えて見上げると鬼の形相だった。

「まず。おろせって話?」

「違います!」

反射で返す。そんなことは思っていない。

「ただ、僕が父親でいいのかな、と」

「なら、に別の男と交われと?」

「そう言う意味でもありません!というか、それは冗談でも言わないでください。凄く、不愉快です!!」

「だったら、何なのよー」

あー、もう面倒くさ...と彼女が呟く。

「僕には自信がないんです。子供を愛せる自信が。僕は、愛情を知らずに育ったので、子供に対して愛情を向けられるかどうか...」

「なに、を愛せている自信がないの?」

「夏凛さん!」

思わず睨む。何て不愉快なことを言う人なんだろう...

「なら、大丈夫でしょう。嫁も子供も『家族』だし」

「え?」

「第一、最初から合格をくれてやれる父親なんていないはずよー。大体落第から始まって、いつの間にか合格になるのよ。

女性は、自分が十月十日自分の子供を自身が守るからその間に母親としての自覚だとかが芽生え、さらには出産と言う更なる試練を乗り越えてその手に抱くから『母親』となるのは早いらしい。

それに対して、男は種付けしたら十月十日も嫁に任せっぱなしで、勝手に生まれて『あれ、これからどうしたらいいの?』で、そこから父親としての自覚が芽生えてくるんだって。勿論、颯斗も知ってる通りに例外があるよ。母親も父親も」

「そうなんですか?」

「昔ね、ウチの母さんが言ってたのよ。あたしが生まれたときの父さんの役立たずっぷりは酷かったって。それから、アキとが生まれて。でやっと合格あげても良いかなーって笑ってた。そんなもんよ。
けど颯斗。あんたは、今、父親だけでなく、夫としての役割も放棄しようとしてるじゃない?」

「夫も、ですか?」

「不安なら、不安でそう言いな。今のは、颯斗が子供を望んでいないと思ってる。今日、思い余っておろしにいってたらどうする?」

夏凛さんの言葉に僕は心臓が締め付けられた。それは...

「冗談。ごめん。命の重みをあの子はよく知ってる。それはない」

真顔で夏凛さんはそういった後、苦笑した。

「ウチの旦那も、1人目のときは『無理!』って言ったわ。蹴っ飛ばしてやったけどね。父親面しなくていいから、あたしに楽をさせろ、って。ストレスは良くないからね」

「ひでー」

晴秋さんが言う。

「それで、良いんですか?」

「あんたが父親としてどうこうってのは、子供が生まれてからで良いんじゃない?ただ、今はのケアを考えてあげて。それなら得意でしょう?
ああ、いや。颯斗。あんたは他の父親よりも早く子供のためにしてあげられることがあるよ」

「なんですか?」

夏凛さんがにやりと笑う。

「ピアノ。胎教にいいじゃない。もってこいよ。モーツァルトが良いらしいよ、弾けなくはないでしょう?」

「あ...」

「ずりーぞ、颯斗」

「あんたは黙ってな!」

夏凛さんが晴秋さんにぴしゃりと言う。

「そうか...」

凄くスッキリした。

「ありがとうございます」

「はいはい。手の掛かる弟が2人もいるからお姉ちゃん超大変」

笑って夏凛さんがそういった。









桜風
14.12.5


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