月光 61





 颯斗の演奏が終わると、彼女は複雑な表情を浮かべていた。

それに気付いた颯斗は、気付かないふりをする。

『青空なのに』と思われている可能性が高い。

しかし、は嬉しそうに惜しみない拍手を颯斗に向けていた。

<あら、もうこんな時間>

彼女が呟く。

時計を見ると本当に遅い時間だ。

<ごめんなさい、楽しくてつい>

<いいえ。わたしも凄く楽しかったです。ご飯も、とても美味しくて、ついつい食べすぎちゃいました>

そう言って笑うの頭を彼女は思わず撫でて、慌てて手を引く。

<ごめんなさい>

<いいえ>

<さて、そろそろ帰ったほうが良いわね。じゃないと、夜の時間が短くなるわ>

からかうようにそう言って彼女は颯斗を見る。

颯斗は笑顔を浮かべている。仮面を貼り付けたような笑顔だ。

は颯斗の手にそっと触れた。冷たい。

<あの。今日は本当にありがとうございました>

改めては礼を言い、颯斗もそれに続いた。

玄関ポーチでたちを見送った彼女は肩を竦める。

<あと、ひと味何か足りない気がするわねぇ...>


「颯斗くん」

気遣うようにが彼の名を呼ぶ。

「はい」

「ピアノ弾くの嫌だった?ごめんね...」

そんなことを言われて颯斗は驚いた。

「いえ」

「だって、楽しくないのに笑ってる」

指摘されて颯斗の心臓が跳ねる。

「そんなことは」と言いかけて、言葉を飲んだ。

「そう、ですね。さんはご存じないのかもしれませんが、あの方は、こっちの世界では非常に有名な方なんです。まだ、僕の演奏を聞いていただくには早いと思うような、凄く自信に溢れた揺るぎない音を奏でる方です」

「そうだったんだ。ごめん...」

本当に、音楽方面では自分は颯斗の足を引っ張ってしまう。

彼が大切に思っているのは音楽でピアノで。それを助けることが出来ない自分はなんと無力だろう。


暫く会話のない帰り道を歩き、颯斗のマンションに辿り着いた。

彼に勧められて先に風呂に入らせてもらう。

風呂を上がってリビングに戻ると颯斗がハーブティを淹れてくれた。

「ありがとう」とカップを受け取って飲もうとしたを制して颯斗は彼女のカップを吹く。

「はい、火傷をしないように気をつけてくださいね」

そう言って改めてにカップを渡した。

先ほどの帰り道での重い空気を払拭しようとは努めて明るい声で話し、颯斗もそれに応じる。

少しして颯斗が風呂に入ると席を立った。

「どうやったら上手く行くのかな...」

颯斗を応援したい。助けたい。

そう思っているのに、何だか空回りだ。

終いには、芸術的才能が皆無だったらしい父親にまで八つ当たりをしたくなる。

今度墓参りの時には文句を言ってみよう。


「おや...」

風呂を上がった颯斗は苦笑した。

ソファでが丸くなって寝ている。

長時間の飛行機で疲れたのだろう。そういえば、はこれまで海外旅行をしたことがあるのだろうか...

少し期待していなくもなかった。久しぶりに、存分にに触れることができる、と。

しかし、こんな寝顔を見せられてしまえばそんな気は溶けてなくなり、代わりにじんわりと胸の中心が温かくなる。

とりあえず、ソファで寝ていると疲れも取れないし、と颯斗は彼女をベッドまで運んだ。

相変わらずの高い体温にホッとする。

ゆったり眠れるように、とセミダブルのベッドにしておいてよかった。

を寝かせてその隣で自分が寝てもさほど窮屈ではない。彼女自信のサイズが、本人は否定するが小さいからというのも理由のひとつではあるが。

「おやすみなさい」

チュッと彼女に口付け、颯斗の意識は沈んでいった。









桜風
13.3.22


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