おでこと桃





廊下を歩いていると、風景がぐにゃりと歪んで回り始めた。


目を開けると、目の前に人の顔..と表現するには少々抵抗があるものがあった。

普段から見慣れているのに、起き抜けにそれは結構衝撃的だ。

「鳳珠様...」

じっと覗き込んでいた鳳珠は溜息を吐く。

「お前が倒れたと聞いて驚いたぞ」

あれ?と
は首を傾げた。

「何をきょとんとしている」

少し責めるような声音で鳳珠が言う。

「倒れた..んですか?」

カタリと面を外して鳳珠が素顔をさらす。


あまりの美しさにある意味公害となってしまうその鳳珠の素顔は、いつも友情という名の嫌がらせにより送りつけられている奇妙なお面で隠している。

いや、お面の送り主にとっては友情なのだろう。心からの、友情に違いない。

だが、受け取る側は嫌がらせと思っている。しかし、こちらは心からそれだとは思っていないだろう。

何せ、友情としてお面を送ってきているのが紅黎深だ。

彼は天才らしく、だからこそ、常識というか色々と何かが欠けていてずれているところがある。

それについては、鳳珠も承知しており、諦めの境地にも似た何かを悟っているらしい。

そういった経緯でいつも身に着けている面は殆どの機会で外すことはない。

邸の中でも同じだ。

邸で働いているものたちに悪いという気持ちがあるみたいで、古参のもの以外は彼の素顔を知らない。

例外として、この
だ。

うっかり彼女の前で面を取ってしまったが、「うわぁ...」の一言で終わった。

「うわぁ...」は何を意味して漏れた音なのか。

鳳珠は知りたいような知りたくないようなそんな葛藤を抱いていて、つい聞いたことがある。

あれは、どういう意味だ、と。

「鳳珠様、睫が長いんですね!」

局地的な感想だった。

だが、彼女が感銘を受けたのは鳳珠の睫だけだったらしい。

「そりゃ、綺麗だとは思いましたよ。それ以上もそれ以下もなかったんですけど...あったほうが良かったんですか?!え、ちょっとまってください!!」

少し蒼くなりながら
はそう言い、鳳珠はその表情に微笑んだ。

元々縁があって自分が引き取った子だから面倒を見続けるつもりで居たが、安心して手元に置いておけると思った。

そんなこともあって、
は鳳珠にとって大切な子だ。

どういう方向で大切かはよく分からない。

鳳珠の態度も、
の態度も。

邸に暮らす者たちは好奇心を隠すことなく、2人の様子をいつも見守っている。



「倒れたと、聞いた。廊下で派手な音を立てて倒れたらしいぞ。その派手な音のお陰で大げさなことになったらしいな」

鳳珠がそう応えた。

言われてみれば、廊下で記憶がぷっつり途切れている。

「あー、お騒がせしました。って、鳳珠様、お仕事は?!」

仕事の鬼、というかそうならざるを得ない部署の長官である鳳珠はいつも忙しそうにしている。

「すぐに戻る」

そうか、戻っちゃうのか...

それはそれで少し寂しいな、と思っていると鳳珠の顔が近付いてきた。

何だ?!何だ???

ぎゅっと目を瞑るとコツリとおでこが合わされたらしい。

そっと目を開くとやっぱりそれでも目の前に鳳珠の顔がある。

睫は相変わらず長い...

そして鳳珠のさらりと流れる絹糸のような漆黒の髪が
の頬にあたってくすぐったい。

「熱があるな」

「風邪ですか..ね」

「今、医師を呼んでいるそうだ。診てもらえ」

「はい」

仮面を装着して鳳珠が立ち上がった。

「では、
。大人しくしているんだぞ」

を見下ろして彼が言う。

「はい。お忙しいのに、ありがとうございました」

寂しいけど我慢だ。

そう思いながら
が言うと鳳珠は何やら小さく笑った。

少なくとも、
にはそんな風に感じられた。

「桃を買って帰ろう。好きだろう?」

「え?!」

「仕事も、少し早めに切り上げる」

そう言って鳳珠は
の室を出て行った。


「えへへ...」

は布団を被る。

鳳珠が聞いたら盛大に溜息を吐いて呆れた表情を見せるだろうが、こうやって甘やかしてくれるなら、時々は風邪を引いても良いなと思う。

桃のお土産よりも、仕事を早く切り上げてくれるといってくれたその言葉が嬉しかった。










桜風
09.11.1