| 明日から『春』となる。 その準備に宮廷内は勿論、後宮内も忙しくしており、女官たちが世話しなく回廊を行き交っていた。 ふと、顔を上げると向こうから『紫』の上質な衣を纏った青年が向かってきている。 彼女は慌てて道を譲り、頭を下げた。 ふと、その青年の足が自分の前で止まる。 「そなた」 視線を落としたまま周囲を見渡したが誰も居ない。 「わたくし、でしょうか」 頭を下げたままそう言った。 「ああ、そなただ。その..名は...」 申し訳なさそうに言う青年に多少なりとも恐縮しながら「 です」と答える。 「そうか、いい名だな。それで、 。そなたに頼みがあるのだ。ああ、顔を上げてほしい」 許しが出たので顔を上げる。 遠目でなら何度も見た青年はこの国の王、紫劉輝だ。 「頼み、でございますか?」 「ああ、そうだ。実はな...」 そう言って王の言葉に耳を傾げて聞き終わった は首も傾げた。 「頼めるか?」 「ええ、容易なことです。しかし、それを何に使われるのですか?」 「いいから。今は秘密だ。できればすぐに用意してほしい。できあがったら、余の部屋の前の庭院に持ってきてくれ」 「承知いたしました」 そう言った に満足したように王は微笑み、自室へと向かっていった。 やはり首を傾げながら は庖厨を目指した。 庖厨は大忙しだった。 それは当然予想できた。何せ明日から『春』だから、それの祝いの膳などが準備されているのだ。 そんな中、料理長から王に言われたものを分けてもらい、その場を後にする。 『料理』をするなら勿論庖厨を使わせてもらわなくてはいけないが、とりあえず、自分が頼まれたことはそんな大仰なことではない。 後宮にある簡易な庖厨に向かった は豆を炒った。 王に頼まれたのはそれだけだった。 何に使うのだろう、と思いつつも急いで王の待つ庭院に向かった。 「主上」 が声を掛けると嬉しそうに彼が振り返る。 「ああ、早かったな」 そういいつつ、いそいそと の元へとやってきて、彼女の持っている包みを覗き込んだ。 「これくらいあれば、よろしいでしょうか」 「うむ。霄太師と違って余はまだまだ若いからな!」 益々分からない。 何がしたいのだろう、と思いつつも聞くのも憚れて は口を閉ざした。 だが聞くまでもなく、この優しい王は自ら自身の行動について解説してくれた。 「実はな、霄太師に教えてもらったのだ」 「何をでしょうか」 「うむ。春になる日の前日に、炒った豆を自分の歳の数ほど埋めて、その豆から芽が出てまた豆ができるだろう?その豆を収穫して、愛する女性にその人の歳の数ほど豆を送ると思いが通じるというのだ。少し気の長い話だが、秀麗が振り向いてくれるなら、余は何だって頑張るのだ」 言うべきか言わざるべきか。 は物凄く悩んだ結果、王が豆を埋める前にそれを止めた。 「何故止めるのだ?」 きょとんと心底不思議そうに王が問う。 「その豆は炒っています。だから芽は出ません」 「な、何だと!?」 しゃがんでいた王は勢いよく立ち上がる。 「それは本当か、 !?」 「はい。芽は出ません...」 もう一度繰り返す。 ふるふると拳を振るわせる王に「あの...」と声を掛けると 「あんのくそ狸ジジイめーーー!」 王は天に向かって吼えた。 普段温厚で優しい王が吼えた。 驚いたが、それでも何だか可笑しくて思わず笑う。 「笑い事ではないぞ、 。余はせっかくここに豆を埋めようと穴を掘っていたのだ。これが無駄になるではないか」 拗ねたように言う王に は苦笑した。 「では、炒った豆ではなく種を植えましょう。美しい花が咲いたら、主上はそのお花を『秀麗』様に贈ればよろしいではありませんか。きっと喜ばれますよ」 秀麗が誰からは分からないが、それでも王がここまで一生懸命だったのだ。 だから、思わず応援したくなる。 「む、そうだな。では、何を植えよう。余でも花を咲かせることができるものが良いな」 自分で世話をするという王に少し驚いたが、豆を育てようとしていたのだからそれくらいするかもしれないと納得もする。 春に綺麗な花を咲かせるはずの種を植えている王の横顔に は小さく笑みを零しながら、少しだけ慣れない王の種まきを手伝った。 |
桜風
09.2.1
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