快活、勤勉





お使いを命じられては市に出た。

しかし、中々それが見つからず市の端から端までくまなく探したのだが、結局命じられたものは見つからずに終わってしまった。

邸に帰れば叱られてしまう。

そう思いながらとぼとぼと歩いていると前方から悲鳴が聞こえた。

顔を上げると猛然と向かってくる牛がいる。

そして、の前方には幼い子供が覚束ない足取りで歩いている。

は駆けた。そしてその子を抱えて視線を右に向ける。野菜が売られている屋台が出ていた。

「おっちゃん、ごめん!」

そう言っては野菜の中に子供を投げた。地面に放り出すよりもよほど衝撃が緩和されると思ったのだ。

そして、自分の目の前には暴れ牛。

あ、これでご主人様に叱られずに済む...

ふとそんなことを思った。

しかし、牛とは違う何かが別方向から飛び出してきた。視界の端でそれが目に入って、「え?」と呟いたは次の瞬間道端に居た。

どういうことだろう。

顔を上げるとへんな仮面をした人が自分を抱えている。

「あ、あの...」

「大丈夫か」

仮面越しにくぐもった声で言われた。

コクコクと頷くと彼はそっとを降ろした。

「あの、ありがとうございました」

深々とお辞儀をする。

「いや。怪我がないようなら、大丈夫だな」

そう言って彼はその場を去って行った。少しはなれたところに軒を停めていたようでそれに乗り込む。

黒い絹糸のような髪を靡かせて歩くその後姿に暫く呆然としてはその軒を見送った。

「態々降りてきてくれたんだ...」とはぽつりと呟いた。あんな軒に乗れるくらいの地位にあると、下々のことなんてどうでも良いとか思っている人だって少なくないとその身を持って知っていたから。


邸に帰った。

手ぶらのの姿に家人たちは気の毒そうな表情を浮かべている。何より、今の時期はそれが手に入りにくい。貴陽の城下町であっても市に出されること自体があまりないのだ。

主人に呼び出されたは手ぶらで帰ったことを知った主人に叱られた。案の定、夕飯は抜きだと仕置きされる。

肩を落として庭掃除をしていた。

ふと、家の中が騒がしくなる。

何だろう、と思って庭の木陰からその様子を見ると、先ほど見かけた軒が邸に入ってきた。

あれ?と首を傾げる。

そして、そのまま見守っているとを助けたあの変な仮面の人が降りてきた。

「お客様って...」

今日は客があるから市に行って買って来いと命じられた。あの人のためのものだったようだ。

ああ、残念だなぁとは俯く。

自分を助けてくれた人をもてなすためのものだったらしい。だから、それがあったらきっとお礼をした気持ちになれただろう。


ふと、その仮面の人と目が合った。

...ような気がする。

あの仮面の向こうの表情が見えないから気のせいかもしれない。

仮面の人は主人に何かを話した。彼は慌ててを下がらせる。

蔵に閉じ込められた。

うーん、あの人はこの薄汚い自分を抱えてしまったせいで服が汚れたといったのだろうか。

そうなんだろう。あれだけ立派な軒に乗っている人だ。お金持ちに違いないし。

助けてくれたことの方がきっと奇跡だったのだ。

そう思いながら真っ暗な蔵の中で大人しくしていたら重い音を立てて扉が開いた。

月の光を背に受けているその人は表情が分からないが、『誰』かは分かった。

「出て来い」と仮面の向こうで声を出した彼に促されては蔵から出た。蔵の外には蒼くなっている主人が居た。

不思議に思って仮面の人を見上げると「今日からうちに来るんだ」と彼に言われた。

うまく状況が飲み込めない誰か詳細説明をしてくれないだろうか。

唸りながら仮面の人の軒に乗ってそのまま仮面の人の邸に向かっているらしい。

「名前は、だな?」

「はい。あの..ごめんなさい。お名前を...」

彼にそう言うと「ああそうだったな」と彼は納得して「黄鳳珠」と名乗った。

「あの、何でわたしは鳳珠様のお邸に...?」

「見込みがあるからだ。お前は良く働くだろう。だから、だ」

そういわれてもピンとこない。

何処に居ても一生懸命に働くの自分の主義だ。

しかし、前の主人はどうなったのだろうか...

ふと、軒の窓から見えた風景には声を漏らす。

目の前に広がるその風景は緑の中に赤紫の花が咲いている。

「ああ、紫詰草だな」

鳳珠が呟く。

「お花にも詳しいのですか?」

「そうでもない」

そっけなく返した鳳珠が御者に声を掛けた。

軒が止まり、鳳珠が降りる。

ついて行った方がいいのかな、と悩んでいると鳳珠が戻ってきた。

「これが紫詰草だ。別名、赤詰草とも言う」

態々軒を降りて取ってきてくれたのだ。

もらった花をぼうと見つめては呟く。

「鳳珠様、変わってるって言われませんか?」

「この仮面を見たら普通誰でも言うだろう」

「いえ、そうではなくて。お金持ちの人らしくないです」

の言葉に鳳珠はクツクツと笑って「そうか」という。

「あの、鳳珠様。わたし、一生懸命働きます。何でも仰ってください!」

「そうか」と再び返した鳳珠の声は先ほどのそれよりも随分と柔らかかった。









桜風
10.6.1