| 本家からやってきた女性。 兄からの文には「粗相の無いように」の一言。 これはあまりではないか、と思って使いの者に抗議してみたが「ご当主がお決めになったことです」とあっさり返されて続ける言葉が出なかった。 まあ、使いのものが言うように兄の命令は絶対なので楸瑛は肩を落として諦めた。 やってきた彼女は『』というらしい。 とりあえず貴陽の楸瑛の邸宅で過ごしてもらうように手配しているため挨拶に向かった。 「初めまして、殿」 俯いている彼女の表情は分からない。 「私はこの邸の主の藍楸瑛と申します。兄から粗相の無いように、と申し付けられております。何か不自由なことがございましたらご遠慮なさらずお申し付けください」 やっと顔を上げた彼女の瞳の色に思わず目を瞠った。 そんな楸瑛の反応に彼女は少し寂しそうに睫を伏せ「厄介ごとを押し付けられましたね」と自嘲気味に笑う。 「ああ、いえ。そんなことはございません」 楸瑛はいつもの、女性達がうっとりとするような笑顔を浮かべて返したが、彼女はその笑顔につられることなく「よろしくお願いします」と負目深と頭を下げた。 中々の強敵だ、と彼女の室から辞去して自室に戻る途中にそう思った。 彼女の瞳は左右の色が違っていた。 とりあえず、どういう経緯で彼女が本家とのかかわりがあるのかだけでも教えてもらえないだろうかと思い、文を出すことにした。 文を出した返事は、要約すると「さあ?」としらばっくれているのかそれとも教える気が無いのか良く分からないものだった。 ただ、全く無関係の人間に対して『粗相の無いように』と兄が言うはずがないのでおそらくは何らかのそれなりに深い関係のある人物であるとは思う。 あまたの女性との浮名を流している楸瑛も、彼女が中々難しい人物だと言うことは分かった。 寧ろ、あまたの女性との浮名を流しているこれまでの経験からの判断ではあるのだが... 「と、言うわけなんだよ」 「俺が知るか!」 出仕して王の側近としての相方、李絳攸に事情を話したらそう一蹴された。 「...だよね」 ガクリと肩を落とす。 「黎深様が君に無理難題を言いつけているときは愉快だったけど、自分がそれをされると、少し気持ちがわかるね」 「楸瑛、貴様。愉快に思っていたのか、この俺が黎深様に無理難題を言いつけられているときに!」 友人の怒声。 これが何となく心地良いとか思い始めている自分は少し拙い気もするが、いつもと変わらない日常は非常に嬉しいものである。 楸瑛は帰宅すると必ずに会いに行く。 「今日はどうでしたか」と声を掛けると「皆様、良くしてくださっています」と彼女は言う。 この会話は毎日のことだ。 そして、楸瑛は何か気の聞いた話を、と巷で人気のあれやこれやの話をする。 女官と話をすると彼女達が喜ぶ内容の話であるが、彼女の表情はこれまた変わらない。 何だか自信がなくなってきた。 彼女の部屋を後にしようとしたところでふと思い出す。 「そうだ、殿」 「はい」 「明日、出かけませんか?」 「お出かけ、ですか?ですが...」 彼女は外見が他の者とは少し違う。 だから、これまでそういったことで苦労したのだということはわかる。だから、この戸惑いも。 「ええ、軒で。まだ貴陽の街もご覧になってないでしょう?」 『軒』と聞いて少し安心したのか、彼女はほっと息を吐き「わかりました」と頷いた。 翌日、軒に乗ってと共に貴陽の街並みを眺めた。 いつもは徒歩でふらりと歩くことが多い楸瑛だが、こうやって軒から街並みを眺めるのも新鮮で良いと思う。 何より、の表情が少し明るく思えた。 やはり、家の中でじっとしているのは窮屈だろう。 ガタンと軒が停まった。 「どうした?」 声を掛けてみると「申し訳ございません、人ごみで...」と御者が言う。 軒だから後退することも出来ないので、少しこの場から動けないと言うことだ。 「今日は、市か何かですか?」 「貴陽の街はいつもこんな感じですよ。一応、王都ですからね」 楸瑛の言葉に彼女は驚き、また物珍しそうに外を眺めていた。 「藍将軍?」 声を掛けられて楸瑛はそっと外を覗いた。 「ああ、秀麗殿」 「どうされたんですか、軒だなんて。珍しいですね」 「まあ、たまにはね。秀麗殿は買い物かい?」 「ええ、お夕飯の材料を...ってごめんなさい」 ちらと軒の中が見えた秀麗は慌てた。 どうやら楸瑛は女性と一緒に軒に乗っているらしい。 「いえ、どうぞお続けになって」 彼女が言う。 「彼女は殿。藍州からこちらにいらっしゃった方なんだ。まだ街をご案内していなかったからね」 「そうだったんですか。あの、これよろしかったら...」 そう言って秀麗は提げた袋から何かを取り出した。 果物だ。 「どうしたんだい、これは」 「おまけでもらったんです。美味しいですよ。よろしかったらどうぞ」 楸瑛に預けて秀麗はに声を掛ける。 期待に満ちた瞳で見つめられればもこの場で食べなくてはならないだろう。 楸瑛は彼女が食べやすいようにして渡した。 「いただきます」と秀麗に声をかけて彼女はぱくりとそれを口にする。 「美味しい!」 「でしょう?今が旬なんです。藍将軍にお願いしたらたくさん買っていただけると思いますよ」 悪戯っぽく笑って秀麗が言う。 その笑顔につられて彼女も「ふふふ」と口元を隠して笑った。 「あ!」と秀麗が声を上げる。 ずっと俯き加減で話をしていた彼女が笑った拍子に顔を上げたのだ。 しまった、と楸瑛は思った。 しかし、「綺麗な瞳ですね。青空と夕焼けが一緒だなんて」と秀麗が心からの素直な言葉を口にした。 彼女は目を丸くして「気味悪くないの?」と問う。 秀麗は首を傾げて「ええ」と何でもないことのように言った。 「ありがとう、秀麗様。わたくし、そんなことを言われたのは初めてです」 そう言って彼女は微笑む。 「様。今度、藍将軍と一緒に遊びに来てくださいね」 「ありがとう」 夕飯の支度があるから、と秀麗は慌ててその場を去っていった。 「秀麗殿もああ言ってくださってるし、今度も一緒に秀麗殿のお邸に行きましょう。彼女の作る菜は、とても美味しいですから」 「それは楽しみです」 そう言った彼女は先ほどのように俯いて話をするのではなく、顔を上げてふわりと微笑んだ。 |
桜風
11.5.3
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