| 差し入れの礼を言いに、左羽林軍を訪ねてみた。 意外と迷う事がなかったため、思ったよりも時間がかからずそこにたどり着いた絳攸は少し機嫌が良かった。 が、尋ね人の楸瑛が不在とのことで少しだけ機嫌が悪くなった。 とはいえ、約束をしていたのではないのだから楸瑛を悪く思うのは筋違いだ。 これくらいの分別はある。 そう思いながら吏部に帰ろうと悪戦苦闘をしていると「やあ、絳攸」と先ほど訪ねて行った先にいるはずだった人物が声をかけてくる。 「楸瑛」 「どうしたんだい?ここは吏部ではないよ」 からかうように彼が言う。 「昨晩の礼を言いに行ったが、お前がいなかったんだ」 睨みつけると「それはそれは」と楸瑛は肩を竦める。 「そうそう、絳攸」 さりげなく絳攸の向かう先を正しい吏部の方向に向けながら楸瑛が言う。 「昨日言っていたという方は後宮女官にいないそうだよ」 「そうなのか?」 「今確認してきた」 仕事をさぼって後宮に足を向けたと堂々と言い放つ友人に呆れつつ、「そうか」と相槌を打った。 絳攸が歩き出すと楸瑛も歩き出した。 しかし、自分が辿ってきた道ではない方角に向かっている彼に首を傾げ、「戻らないのか」と問う。 「邵可様に用事があってね」 つまり、府庫に向かうという。 途中まで同じ道のりだと納得して絳攸は楸瑛と並んで歩いた。 ふと漂ってきた香りに思わず絳攸は振り返った。 「どうしたんだい?」 「あ、いや」 ふと周囲を見渡す。 こんな昼間から後宮を抜け出してきたのかと思った。 「ああ、李だね」 「は?」 朝廷の一角。大医署の管轄する庭がある。薬草などを管理するためのものだ。 そこに白い花が咲いていた。 「スモモ?」 「知らないのかい?今綺麗に咲いているあの白い花は李の花だよ」 「スモモ...」 間違いなくこれは昨晩も一昨晩も触れたことのある香りで、既視感があったのはこのせいだったのかと納得した。 確かに屋内だし、夜中だから人が通らなければ風向きによってこの香りは吏部まで漂ってくるかもしれない。 「と名乗る女がやってくるとき、この香りがしたんだ」 ポツリとこぼしてしまった。 「?後宮の女官の、あの?」 自分が言葉をこぼしてしまっていたことに気づいた絳攸は少し慌てたが、観念して話す。 一昨日の差し入れを口にできなかったことについて、なんとなく謝罪をしなくてはならないとも思っていたのだ。 「猿と言っていたじゃないか」 驚いたように楸瑛が言う。そんな逢瀬を猿との遭遇のように言うとは、流石というか何というか... 「李の花の香りに似た香を焚いていたのかもしれないね、その方は」 楸瑛はそう言った。 曰く、流石に吏部となればここから距離があり、風向きの問題ももちろんあるがそもそもそんなにはっきりと香りが届くことはないだろうと。 「だけど、珠翠殿はそんな女官はいないと言っていたしねぇ」 はて、不思議な... 「物の怪の類かと思ったのだが」 「貴陽の、さらにど真ん中のここにかい?難しいと思うね」 楸瑛も昨晩の自分と同じことを思ったらしい。 「そうだな」 「夜な夜な忍び込んでいる女盗賊かな?」 「それなら、お前の仕事だな」 「私の仕事は王を守ることで、女盗賊の捕縛は違うよ。だけど、そうだね。気になるし。また饅頭を用意したら出てくるかな?」 「確証はないが、可能性は否定できないな」 「それはぜひともお近づきになりたいものだね。今日も遅いのかい?」 乗り気の楸瑛にため息を吐きながら、「そうなるだろうな」と絳攸は頷いた。 「では、私も殿に会ってみたいし、付き合うよ。と言っても、この時期の吏部は部外者立ち入り禁止だったね。邵可様に頼んで府庫を開けておいてもらおうか」 何やら勝手に算段し始めた楸瑛にため息を吐きながら、その一方で府庫でのんびり過ごすと言っている彼に若干の苛立ちを覚えながら絳攸は少しだけ歩調を速めた。 夜中、昨晩と同じくらいの時間に仕事を終えて扉を開ける。 だが、そこに何者の気配もなく、周囲を見渡してもその影がない。 少しだけ物足りなさを感じつつも、楸瑛が待っているであろう府庫に向かった。 「おや、姫君は?」 そう言って楸瑛は視線を落としていた書物を卓の上に置いて立ち上がる。 「居なかった」 絳攸の言葉に首を傾げ、「饅頭をお供えしてなかったからかな?」と楸瑛が言う。 饅頭はここに置いてある。仕事が終わって一息ついて帰宅しようと楸瑛が提案した。 ここ数日、楸瑛の気遣いのおかげでその状況になっていた絳攸は断るはずもなく、賛成したのだ。 そして、楸瑛は終業後に一度饅頭を調達しに街に向かい、府庫に戻ってきた。 茶を淹れる楸瑛の姿を眺めながら (そうかもしれないな...) と絳攸は同意した。 そしてふと「俺の言葉を信じているのか?」と今更に驚く。 「嘘を吐いていたのかい?」 楸瑛はきょとんと問い返した。 「いや、嘘ではない」 「だろうね。君が苦手な女性の話で態々嘘を吐くとは思えないし。貴陽に妖怪の類は侵入できないかもしれないけど、不思議なことはたくさんあるからね。要は、ワルイモノでなければ大丈夫なんだろうと思うよ」 確かに、アレはワルイモノではないと思う。 人の夜食を横取りする意地汚い者ではあったが、言葉を交わして嫌な感じはなかった。 「は私の姿に照れて出て来れなかったのかな?」 絳攸の前に湯呑を置きながら楸瑛がのたまう。 「そうなんだろうな、きっと」 面倒くさいので適当に同意の言葉を口にすると、ちょうど茶に口をつけていた楸瑛が吹いた。 そんな楸瑛を半眼で眺めながら絳攸は彼の差し入れの饅頭に手を伸ばし、ありがたくいただくことにした。 |
桜風
14.9.4
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