浅い春の夜 5






 除目を明日に控え、吏部の年2回の激務はひとまず終了した。

楸瑛と共にの出現を期待した日からずっと今日まで彼女に会うことがなかった。

それでも楸瑛が絳攸の言を疑わなかったことは正直嬉しかった。


「吏部侍郎さん」

そう声を掛けられる前に振り返った。

そこに居たのは、思ったとおりだったのだ。

「...久しぶりだな」

「あらー、比較的好意的な言葉ですわね」

彼女はにこりとほほ笑む。

「饅頭は持ってないぞ」

「あら。私が饅頭のためだけにあなたの元に現れていたと?」

「全否定できるか?」

「ちょっとだけ肯定しておきます」

肩を竦めて彼女が言う。

は..妖怪なのか?」

「失礼ですわね」

口元に手を当ててくすくすと笑う。

「お前からは、李の花の香りがする」

「そんなに匂います?」

そう言って自分の衣服の袖を顔に近づけている。

「ああ。最初、何の香かわからなかったが、大医署所管の庭園の前で気が付いた」

「確かに、あそこには李がありますわね」

は頷く。

「違うのか?」

「吏部侍郎さん。私があなたと最初に会ったとき、私は自分をどのように紹介しました?」

疲れによる集中力不足と突然現れた『女』に絳攸は彼女を目にした途端に拒絶していたので正直、初日の会話など覚えていない。

絳攸は正直に首を横に振った。

「あらあら」と彼女は愉快そうに笑う。

「精霊、と言ったら信じていただけますか?」

彼女が言う。

その言葉に既視感を覚え、そして、初めて会ったとき、正体を訪ねた時の彼女の返答を思い出した。

「精霊、なのか?」

「信じるも信じないも吏部侍郎さんの好きにしていただければよろしいですわ」

彼女はニコリと笑った。

「だが、この貴陽に妖怪の類は...」

「誰が妖怪だ、朴念仁」

真顔で言われた。

そして、口調も...

絳攸が少し戸惑っているとはクツクツと笑う。

「悪いな。容姿に合わせて口調を変えてみたのだが、やはり取り繕いきれなかったな」

「そっちが地なのか?」

「ああ、だから饅頭にも齧り付く」

にやりと笑う。

絳攸の疑問を見透かすようなそれに少しだけ居心地が悪くなった。

「さて、私は今日は挨拶に来た」

「挨拶?」

「ああ、そろそろ花の時期も終わりだ。また眠る」

「しかし、李は木だろう?」

いつでもそこにあるのではないかと絳攸が問う。

「私は『花』なのだよ、吏部侍郎」

苦笑していう彼女は以前よりも透けて見える気がして絳攸は手を伸ばして彼女の肩に触れる。

「どうした?」

「あ、いや。透けているように見えたから」

そう言うと彼女は点を指差す。

「そろそろ晦日だからな」

夜空に浮かぶ細い月は明日か明後日にも消える。

「...そうか」

絳攸は相槌を打った。そして彼女を見る。

「何故、俺に声をかけてきたんだ?あの時間なら、たぶんほかの部署でも残っている奴もいただろう?」

「その名に私を冠していたからな」

それこそ珍しい姓ではない。

「姓としてではなく、存在としてという意味だ。今わからなかったら..いつか分かればいい」

そう言った彼女に絳攸は首を傾げた。

そして問う。

「では、来年のこの時期にまた現れるのか?」

絳攸の問いに彼女は首を横に振った。

「こちらにもいろいろある。そうほいほいこちら側には来られない」

現実主義者の絳攸はこういう会話が少し苦手だ。

「そうか」

「あと、誤解されては敵わないから言っておくが、私はあの李ではないからな」

そう言って大医署管理の庭園の方角を指差した。

「知り合いではあるが」

と付け足す。

「じゃあ、どこだ?」

「秘密だ」

そう言って彼女は周囲を見渡した。

「饅頭は?」

「いつもあると思うな」

半眼になって言う絳攸に彼女は笑う。

「そうだな。次は吏部侍郎がもっと立派な椅子にふんぞり返るとうになったら、その頃には饅頭を食べに顔を覗かせよう。

この間食べた花街御用達の。あれがいい」

「知るか」

彼女の要望を即切った。

絳攸の反応を愉快そうに笑った彼女は、彼の目の前で景色に溶けていった。





*******************





吏部侍郎から色々な出来事を経て、今は所謂大きな椅子に座り、そして、王を支えている。

大切な出会いと別れを何度も経験した。

絳攸は、数年前に小ぢんまりとした質素な邸を構え、庭に李の木を植えた。

李を植えるにあたって詳しそうだからという理由で養母に当たる百合に相談すると彼女が用意してくれた。

何処から調達してきたのかよくわからないが、物凄くこの木を推すのと、彼女が言うのだからきっと健康な、育てやすいものなのだろうと信じてその木を譲り受けた。

毎年春先には花を咲かせ、甘い香りを漂わせる。

絳攸は、その香りに包まれながら少し夜更かしをしてその木を眺めながら茶を飲む。毎年春の風物詩だ。

大抵帰宅が遅いため、夜更かしが日課でもあるのだが、この時期は特に意識して夜更かしをしている。

饅頭を2個買い、湯呑も二脚。

「花街御用達のではないではないか」

不意に聞こえた声に絳攸は視線をめぐらせた。

そこには饅頭に少しだけ不機嫌そうに齧り付いているの姿があった。

「思った以上に大きな椅子に座ってるようだな」

もぐもぐと咀嚼をして嚥下した彼女が言う。

「忙しくて殆ど座れていないがな」

苦笑して絳攸が言う。

「久しぶりだな」

「ああ。大きな椅子に座って、と言った手前何処が適当と考えるべきかと悩んだものだ。これ以上ない大きな椅子に座ってくれて助かった」

ということは、もっと早くに再会できたはずだったのか?

そう言う思いを込めて彼女を見ると

「しかも、女の一人も連れ込まないとは...」

とため息交じりに言われた。

「ちょっと待て。お前、今どこにいる」

嫌な予感がすると思った。

彼女は目の前の李の木を指差す。

「人が眠っておるのに色々と声をかけて来て。そのせいで寝不足だ」

ふわ、と彼女はわざとらしく欠伸をした。

確かに、水をやるときに声を掛けたりしてはいたが...

絳攸は頭を抱えたくなった。

が、それをすれば彼女が愉快そうに笑い、もしかしたら調子に乗ってからかってくるかもしれない。

だから、それは何とか堪えた。

「まあ、何にせよ。よく頑張ったな」

そう言って絳攸の頭を撫でる。

ひんやりと冷たい手は、花弁の温度だ。

「うるさい」

そう返した絳攸だったが、大人しく撫でられる。

「多くの別れは、辛かったろう。仕方ないから、所帯を持つまで毎年会いに来よう、絳攸」

悪戯っぽく笑った彼女は、食べかけの饅頭に齧り付く。

「仕方ないから、話し相手になってやろう、

少し強がって言う絳攸には湯呑をずいと差出し、「茶を所望する」という。

彼女の言葉に眉間にしわを寄せた絳攸は立ち上がる。

「明日は要望通りの饅頭を用意してやる」

「それは楽しみだ」

にやりと笑った彼女は食べかけの饅頭に齧り付き、絳攸の茶を待った。









桜風
14.9.11


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