惚れたもんだから
繁忙期が落ち着き、久々に貴陽の黄区にある邸に帰ってみると机の上に文が置いてある。紋を見ると本家からで、ため息を吐きながら手を伸ばして内容を確認していると家の者が慌てたようにやってきた。
急の来客があったというのだ。
文の内容で来客に心当たりがあり、彼は仮面に手を伸ばして部屋を出た。
「やあやあ、鳳珠。久しぶりだね」
ひらひらと手を振る女、は親戚筋の者で年も近い。
「本家から文が来ていたぞ」
「はっや!」
揶揄するように彼女は言い、鳳珠はため息を吐く。
「家出だそうだな」
「あー、まあ。要約するとそうなる」
「また見合いを蹴ったらしいじゃないか」
呆れたように言う鳳珠にはため息を吐いた。
「だってさー、ウチの親の見る目のなさにもううんざりというか……戯れに娘に教養を身に着けさせるからだよ」
彼女の言葉に今度は鳳珠がため息を吐いた。
「教養はあって困るものではないだろう」
「相手に教養がなかった場合はあって困るものなのよ。ただし、流せるだけの心の広さというか懐の深さを備えていればまた話は別なのだろうけどね。私にはなかった」
胸を張って言うの言いたいことはわからなくもない。
この国の女性は男性とは対等ではない。
最近、やっと特例で国試受験資格を得た女性もあったが、男性とは違う条件が付されことからも、やはり対等とはいかないのだ。
「とりあえず避難させて」
「そうもいかない。捜索願が出ているんだ」
鳳珠の反応はまっとうなもので、は視線を彷徨わせ、突然詩を諳んじ始めた。
とても長いその詩の半分程度まで諳んじた彼女は鳳珠に視線を向ける。
それを受けて彼は続きを諳んじた。
「これよ!」
ダン、卓を叩いて立ち上がった彼女は鳳珠に詰め寄る。
「どれだ」
「私と師が同じだからっていう理由もあるんだろうけど。私が求めているのはこれだったのよ」
『これ』とは何だろうと鳳珠は少しだけ悩み、そしての言葉を待つ。
「お見合いでこの詩を諳んじてみたの」
ちょっと待てと鳳珠は思った。正直、この詩はあまり広く知られているものではなく、彼女が言ったとおり師が同じだから諳んじることができただけだ。師がこの師の作者の大ファンで国試には出ないだろうと前置きをして熱く語った。熱狂的なファンはいるものの、大衆受けするものではないため、知らない人の方が多い。それを諳んじろという方が無茶だと思う。
とはいえ、それを知らずに諳んじたわけでもないのだろうから断る良い理由としたのだろう。
「ともかく、今日は泊まれ」
これから黄州に帰すわけにはいかない。
本家には文を書いて所在を知らせて沙汰を待つことにする。
「ねえ、鳳珠」
「なんだ?」
「その仮面何?」
「今頃か!」
思わず突っ込んだ。
確かに、彼女に最後にあった時にはまだ素顔だった。
国試から色々と経て現在に至っているのだが、それを考えると彼女との再会はとても久しぶりだ。それなのに、昨日も顔を合わせたかのような気軽な空気に戸惑いを覚える。
「ねえ、それ付けてご飯食べられるの?」
「食べられる」と返して口の箇所が開閉する仕組みになっているのを見せた。
「なに、その懲りよう」
「寄越す馬鹿に言ってくれ」
「あ、自分の趣味じゃないんだ?」
「……まあな」
「でも、どうして仮面?」
彼女は無遠慮に手を伸ばしてその仮面を外す。
形容し難い絶世の美がそこにある。
しばらく沈黙していた鳳珠がぽそりと返した言葉には瞠目し、「ああ、そうか」と納得した。
彼女の手にある仮面を取り返して装着した鳳珠は「何がだ」と問う。
「昔から鳳珠は美人だと思ってたけど、人が遠慮するほどだったんだ」
『遠慮』と彼を慮った表現を用いた彼女は鳳珠は唸る。正直、彼女のこういうところは苦手だ。
確かに、故郷にいたときも鳳珠の美貌に頭をやられた人たちはたくさんいたような気がするが、彼自身、そんな周囲の様子を見ても仮面を被るほどのショックは受けていなかったと記憶しているは仮面越しに彼に視線を向けた。
「そっかー、辛かったか」
ぽつりと呟く彼女を一瞥して「昔のことだ」と鳳珠は返す。
彼女の声音には同情の色はあるが、憐憫はない。
「そうだ!」と彼女は名案が浮かんだように手を叩く。
そんな彼女の様子に鳳珠はため息を吐いた。彼女の名案は大して名案ではない。主に自分にとって。
「私が鳳珠のお嫁さんになればいいんだよ」
「は?」
「鳳珠は、私が求める教養のある男という条件を満たす。私は、鳳珠の隣に立つことができる。顔が良いのなんて昔からだし、今更隣に立てないなんて言わないわよ、私」
まさしく自分にとって名案ではないことを彼女は目を輝かせて口にする。
「バカなことを言ってないで黄州に戻れ。ひとまず、本家に返事をしておくからな」
「黄州に帰ることは吝かではないのだけど、親の見る目がなかったらまたここに来るけどいい?」
「ダメと言っても来るんだろう」
ため息交じりに鳳珠が言う。
「うん、来る。たぶん、一回じゃ口説き落とせそうにないし」
鳳珠はゆっくりと彼女に視線を向ける。
「まあ、覚悟なさいってね。何のためにあの詩を諳んじたと思っているの」
鳳珠は額に手を当ててため息を吐く。
あの詩は熱烈な恋文だ。珍しく女性が男性に宛てたものとされている。
この詩の作者は性別不詳であるが、時折こうして女性の心情を描いたのではないかという作品を目にすることがあると師から説明を受けたのを思い出す。
「えっと、今日返事を書いて全商連経由で出しても明日に届いて、明日また本家から指示があって……明後日くらいまでは滞在できるかな?」
宣戦布告ともとれる宣言を口にした彼女は、それはそれとしてこれからの自分の身の流れを算段し始めた。
「わかった」
鳳珠が口を開く。
「え? なに?」
「お前は当分うちで預かる」
「ん?」
「話が唐突過ぎるが、投げるのは俺の性に合わん」
鳳珠の言葉にきょとんとした彼女はやがてニッと笑う。歯を見せ笑う表情は幼いころの面影がある。
「よろしくおねがいしまーす」
斯くして、二人の駆け引きの日々が始まることとなった。
桜風
20.10.2
(20.9.26初出)
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