| 少女は真っ白い箱の中に閉じ込められていた。自分の持ち物は母の形見のスカーフだ。それだけが自分の心の拠り所だった。 箱の中はベッドと部屋の中央に蛍光灯だけがある。それ以外、窓も何もない。 ガチャン、と鍵を開ける音がした。彼女はコンピューターで制御されているものだったら大抵のロックは解除できる。 だから、前時代的な南京錠がその扉の鍵になっていた。 そして分厚いドアが重々しくゆっくりと開く。 ギィ、と言う音と共に白衣の男が入ってきた。 彼は微笑を貼り付けた顔をしている。 利き手には液体の入った注射器を持っていた。 少女はやだ、と呟く。 しかし、男は構わず少女の腕を取った。 恐怖で少女は暴れ、「煩い!」と男に頭を殴られた。 軽い脳震盪を起こしてしまったらしく、視線が定まらない。 ふと、その視界に老人の姿が入る。 彼は少女を汚らわしいものを見るかのような表情を浮かべていた。 全ての液体が少女の体の中に染み渡る。 途端に彼女の体は大きく痙攣を始めた。 何度も嫌だと叫んだ。 何度も助けてと祈った。 しかし、彼女の声は誰の耳にも届かない。 彼女は声を失っている。 違う。 彼女の声は奪われた。 薬を投与され、苦しくて、痛くて、誰かに助けて欲しくて彼女はいつも泣きながら叫んでいた。 そして、あるとき。 薬を投与されて目を覚ますと声を奪われていた。 喉の辺りを触ると何か、いつもと違う。 「五月蠅いネコだ」 老人が冷たい目をして少女に言った。 老人はナチュラルだが、その息子はコーディネーターだった。 老人は息子を使って沢山のものを手に入れる予定だった。 地位、名誉。そして、金。 ありとあらゆるものが手に入ると思っていた。 しかし、息子は恋に落ちた。 相手は平凡なナチュラルだ。同じ職場で偶然一緒に仕事をしていた。それだけのはずだった。 老人は勿論2人の結婚に反対したが、2人は姿を晦ませ、それきりになった。 息子の死を知らせたのはニュースだ。 ブルーコスモスに殺されたという。 あいつが悪い。あの女が息子を誑かしたのが悪い。あの女のせいで人生が狂った。 そう思っている矢先に息子に子供が居ることを知らされた。 少女はまだ成人年齢に達しておらず、後見人に、と政府が言ってきた。 少女を見て思った。 ああ、チャンスだ。こいつで復讐してやれば良い。 少女は母親の面影を継いでおり、そして、希少な存在だ。 だから、売ってやった。 コーディネーターでもない、ナチュラルでもない少女を庇護しようとするものは少ない。同胞を庇うのはよくあるが、彼女はどちらの同胞にもなれない。 むしろ、その希少な存在は商品として需要が高い。 少女を使って老人は富を手に入れた。 そして、少女の苦しむ様を見てその母親に復讐をしているのだと思いこんでいた。そうすれば、自分の心が少しばかり晴れる。 「これはもう使えません」 白衣を着た男が言った。 「何故だ?まだ生きているぞ」 老人が返す。 「薬を投与しすぎて正確なデータが取れなくなりました」 「何だ、ゴミか」 老人は吐き捨てるように言う。 「まあ、そういうことです。どうします?処分した方が安全ですよ。我々は」 男が言うと 「まだ使い道はあるだろう?好きに使え」 感慨もなく冷たく言って老人は部屋を出た。 残された少女は呆然と部屋の中に居た。 殺されるんだ、と理解した。納得しなくても、きっとその通りになるのだから諦めるしかない。 ガチャリ、と鍵が開く。 ああ、終わるのか。 しかし、入ってきたのは知らない青年だった。 「」 少女の名を呼ぶ。 少女はこの青年が何者かを知らない。 「逃げよう」 そう言った。 逃げる...? どこへ? 何故? 「生きなきゃ。君は、..いや。この世に殺されて当然な人なんて居ない」 彼はそう言っての腕を引いて部屋を出た。 長い間あの部屋に閉じ込められていたは少しの運動でも息が上がる。 それでも青年はの手を離さず、も青年の手を強く握った。 生きたい、と初めて思った。 銃声が聞こえて隣を走っていたはずの青年が倒れていく。 「逃げろ」 振り返ると白衣を着た男がいつもと同じ笑顔を貼り付けた顔でこちらに照準を合わせた。 「ごめん...」 微かな謝罪の言葉が耳に届く。 何を謝っているのだろう。 「あーあー。全く、本当にお前は愚かだな。せっかくナチュラルの生態にも興味があったから拾ってやったのに、この私を裏切ったのだから」 男がそう言った。 青年はきっとこの男の助手か何かだったのだろう。 を傷つけてばかりいたこの男の右腕として研究に携わっていたのだ。 は地面を蹴った。 此処がどこかなんて知らない。 逃げ切れるかなんて分からない。 ただ、青年の言葉が耳に響く。「逃げろ」と彼の声がまだ頭の中でこだまする。 彼女を売った老人はナチュラルだ。 そして、母と彼女を助けた青年もナチュラル。 彼女を傷つけた男はコーディネーター。 そして、彼女を愛してくれた父親もコーディネーターだった。 何を信じていいのか分からない。 自分は誰なのか、何なのか。 ただ、は思った。 独りで生きることができたら、きっとこんな想いをしなくて済んだのだ。 だから誓う。独りで生きると。 誰も傷つけず、誰にも傷つけられずに生きていく、と。 |
桜風
08.12.1
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