花の名は





「それは何という花だ?」

フラワーショップで花束を作っていると不意に声を掛けられ、は振り返る。

「え?」

「その花の名だ」

が手にしている花を指差して彼が言う。

「あ、えと...デイジー、です」

「よく聞く名前だな」と返されて、「そうですね」と頷いた。

彼はその場に立ったままの作業をじっと眺めている。

見られていると少し居心地が悪い。

変に緊張してしまったお陰でいつもよりも少しだけ時間が掛かった。

「上手いな」と感心したように彼の口から言葉が漏れる。

「一応、ここのショップのバイトは3ヶ月目ですから」

の言葉に彼は驚いたように眉を上げて「3ヶ月目でそんなに上手くなるのか?」と問い返された。

「じゃあ、師匠が良かったんです」とが返すと彼はクスリと笑って「なるほどな」と頷いた。

今になってやっとは彼を落ち着いて観察することが出来た。もちろん、本人に不快な思いをさせないためにこっそりと、だが。

着ている服の生地が良い。勿論センスも良くて感心してしまう。彼自身が纏っているその雰囲気もまた然り。

どこかのお坊ちゃまなのかもしれない。

「今度、入用があったら使わせてもらおう」

彼が言う。

「しかし、既に契約されているお店などがあるのでは?」

が思わず返してしまった。

店の奥で店長が咳払いをしている。

彼は再び驚いたように眉を上げ、「構わない」と苦笑した。

「俺のことを知っているのか?」と聞かれて焦った。

そんな風に聞くと言うことはよっぽどの有名人なのだろう。

「あ、ごめんなさい。その..お召し物だとか、雰囲気で...」

が正直に言うと彼は笑う。

「そうか。俺の名前は、イザーク・ジュールだ。名前を聞いても良いか?」

そう問われては「と言います」と自分の名前を口にした。

彼は少し驚いたようだった。ファミリーネームを口にしなかったので指摘されるかとも思ったが、それについては見逃してもらえたようだ。


イザークが帰った後に店長に聞かされては彼が『俺のことを知っているのか』と聞いた理由に合点がいった。

イザーク・ジュールとは、あのプラント最高評議会議員、エザリア・ジュールを母に持つ青年だったのだ。



それからイザークは何度か店に足を運び、に頼んで花束の注文をした。

どうやって自分のシフトを知っているのだろうとは不思議に思った。

店長に聞いてもが居ないときには彼は姿を見せないと言う。つまり、彼は店長以外の誰かから聞いていることになるのだろうが、皆目見当がつかない。

そんなある日、がいつものようにフラワーショップのバイトに向かっている途中、黒服を着た男達に囲まれた。

「あー...もー...」

面倒くさそうに呟いた彼女は溜息を吐いた途端、駆け出した。

さすがにそれは予想外だったらしく、黒服の男達は彼女を追いかけるスタートが遅れた。

人ごみを縫うように駆けたはドン、と誰かにぶつかった。

「ごめんなさい」と謝罪をして顔を上げると目を丸くして立っているのはイザークだった。

「あら」とが呟き、「か。どうしたんだ、そんなに慌てて」とイザークが問う。

「知らないお兄さん達に追いかけられているの」とが言うとイザークは彼女が駆けてきた方角に目を遣り、「...知り合いだろう」と溜息を吐く。

そしての手を掴んで逃げられないようにした。

「ちょっと!」

「実家から連絡が来ていただろう?」

溜息混じりにイザークが言う。

「何の?」とが問い返すと「今日、婚約者と会う、と」とイザークが言う。

「実家からの連絡は全部無視してるから初耳よ」とが返すとイザークは盛大な溜息を吐いた。

「お前の婚約者が、自分の20歳の誕生日までは婚約を待ってくれと言ったんだ。それで、両家の両親は辛抱強くお前の婚約者が20歳になるまで待っていたんだよ」

「それが、今日なの?」

「そうだ」とイザークが頷く。

「けど、イザークってば随分と詳しいわね」

がきょとんと見上げて聞くと「俺がその婚約者だ。詳しくて当然だ」とイザークが言い放った。

さすがのも暫し呆け、「本当に?」と問い返す。

「本当だ」と頷くイザークが嘘を吐いているようには見えない。


暫く沈黙したは「ちょっと時間もらえるかしら?」と聞いた。

「時間はまだある。だが、逃げるなよ」とイザークが言うと「じゃあ、監視についてきてよ」とが言った。

肩を竦めたイザークは「わかった」と返して、の後に続く。を追いかけていた黒服たちは彼女がイザークと一緒だと言うことに気付き、気を利かせたつもりなのか追いかけるのをやめたらしい。


が向かったのは自分のバイト先で、店長は驚いた様子だ。

「あ、ウチの親からやめるとか連絡があったんですか?」

が問うと店長は頷く。

肩を竦めたは「ほんのちょっとの期間ですが、お世話になりました」と頭を下げた後「ちょっと、スペース借りて良いですか?」と確認した。

店長の了承を得ては店内の花を抜き、花束を作り始める。

「おい」とイザークが声をかけた。何を始めるのだ、と。

それに返事をすることなくは作業を続け、立派な花束を完成させた。

「はい」とがイザークに差し出す。

「は?」

「誕生日なんでしょう?おめでとう」

「あ、ああ」と半ば呆然としながらイザークはそれを受け取った。

その花束は明らかにひとつの花を中心に作られている。あまり頻繁に目にするものではないと思う。

、この花の名は何と言うんだ?」

イザークが問うと、は悪戯っぽく笑い、「あとで辞典を見て調べてご覧なさいよ」と言う。



それから数時間後。

これまで全力で逃げていたは、嘘のように大人しく婚約者との対面を果たした。

あまりにも大人しいので彼女の両親とイザークは逆に何かあるのではないかと疑ってしまったほど大人しかった。

帰宅したイザークはに言われたとおりに彼女からもらった花束の中心に配置された花の名を調べた。

花の名は、フクシア。そして、ついでに載っていた花言葉はどれも前向きなもので、胸がくすぐったい。

それがきっとの今回の婚約に対する答えなのだ。

自然と笑みが漏れたイザークは「期待には応えよう」と呟いた。







桜風
11.7.9執筆


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