花泥棒 2





下校時刻のチャイムが鳴る。

もうそんな時間かと溜息を吐いた。椅子から立ち上がって伸びをする。

白衣を脱いでハンガーにかけてロッカーに仕舞い、代わりにスーツのジャケットを羽織る。

戸締りをして保健室を出れば、イヤな人物と会った。

先生、今お帰りですか?」

これはこれで鳥肌が立つな、と思いつつも「ええ、みんなは?」と返す。

バスケ部の2年が揃っていた。

外面大王め、と思いつつはいつもの物静かな保健医として対応をしている。

「俺たちはもう少し練習して帰ろうと思ってます。その申請をしに」

とにこやかに藤真が言った。

下校時刻を過ぎても校内に残る生徒はその申請をしなくてはならない。

藤真たちはそれをしに行くと言うのだ。

「そう、熱心ね。頑張って」

微笑を浮かべてそう言っては駐車場へと向かう。

先生、今日もクールだな...」

うっとりと見送るチームメイトの頭を叩いて「行くぞ」と言いながら藤真は職員の宿直室へと向かった。

一度振り返り、の消えた廊下の先を眺めて、八方美人め、と心の中で毒づいた。


今、自分が住んでいる家が近づいてくると段々気が重くなる。

だから、いつも下校時刻まで残っているようにしてるし、朝も早く家を出ている。

無意識にアクセルを踏む足の力が緩み、スピードが落ちてくる。

用も無いのにコンビニに寄って適当に時間をつぶして家に帰る。

あまり遅いと心配されるから、その調整にいつも悩む。

嫌々家に帰ると「お帰りなさいませ」と恭しく頭を下げながら迎え出る人たちがいた。

これがイヤなんだ...

気付かれないように溜息を吐いた。

「ただ今戻りました」

そう言って車の鍵を渡す。車庫には家の者が入れてくれる。

荷物を持ってくれる人、上着を脱がせてくれる人。

正直、要らないと思う。だが、この家ではそれが当たり前なのだ。

どうにか頼み込んで部屋には入ってこないでもらっている。これ以上、この家に染まりたくない。

「健司坊ちゃんは、ご一緒ではないのですか?」

自室に向かう廊下でそう聞かれてうんざりする。

何が嬉しくて天敵に等しいあの男と共に下校せねばならんのだ?

「いいえ、健司さんはまだ部活動の練習が有ると仰ってましたから」

笑顔を作って優雅に答えた。

「そうですか。せっかく、同じ学校にお通いになられているのですから、ご一緒に帰られれば宜しいのに」

と心底残念そうにメイドのひとりが言った。

何故、私があの男と自分の貴重な時間を共有せねばならんのだ...

そう思いつつも

「さすがに、学校には私たちのことは内緒にしておりますのでそうもいきませんわ」

と答えた。

丁度自室の前について「ありがとうございます」と荷物を受け取る。

メイドは頭を下げてが部屋に戻るのを見送った。


自室に入って深く溜息をつく。

やっと気を抜くことができる。

バッグを置いてベッドに腰掛けようとして思いとどまり、スーツを脱ぐ。

いっそのこと、心労でぶっ倒れたら楽になるかしら?

何度もそう思っているが、残念ながらの神経は思いの外太いようで、倒れるまでには至らない。


電気も点けずにベッドの上に座っているとドアをノックする音が聞こえた。顔を上げて壁に掛かっている時計を見て慌てた。

いつの間にか時間が進んでいる。少し座ったまま寝ていたようだ。

ガチャリとドアが開き、

「居るなら返事しろよ、

と顔を覗かせてきたのは藤真だった。

ああ、やっぱり...

項垂れるを鼻で笑う。

「愛しい婚約者様が部屋を訪ねてきたんだ。喜べよ」

「イヤよ」と言いながら深い溜息を漏らす。

藤真はチッと舌打ちをして「メシ」と一言残してドアを閉めた。


はいつも部屋を出る前に深呼吸をして気合を入れる。

そうしなければ何となく流されていきそうだから。

ドアを開けた途端に目に入ったものに驚いた。

さっき声を掛けてきた藤真で、とっくに食堂へと行ったと思っていたのだ。

「何で居るの?」

「別に。俺の家なんだから、俺が何処に居ても良いだろう?」

そう言ってポケットに手を突っ込んで先を歩く。

は肩を竦めてその後ろをついて歩いた。

藤真は時々がちゃんとついてきているか微かに振り返って確認する。

非常識なまでに広いこの家では何度も迷いそうになる。

だから、藤真はをつれて歩く。この先、自分の家になる家で迷子になられたらかなわない、と言いながら。


食堂に着けば、珍しく藤真の両親が揃っていた。

何かしらあって大抵一緒に食事を摂ることは無い。一瞬に緊張が走った。

それに気付いた藤真はにだけ聞こえる声で「いい加減慣れたら?」と言う。

「煩いですわよー。仕方ないでしょう。今の私の境遇を考えたら」

同じく口を殆ど動かさないまま小さな声でが返す。

「やあ、さん。さあ、お座りなさい」

胡散臭さは遺伝かと思うくらいの爽やかな笑みで藤真の父が着席を促した。

「失礼いたします」

と家の者が引いてくれた椅子に腰掛ける。

食事中も卒のない態度で会話を交わし、微笑をたたえ続けたはいい加減顔の筋肉が痙攣し始めたなぁと他人事のように思っていた。

食事を済ませて先に藤真の両親が席を立ち、続いて藤真が席を立ってが食堂を後にする。

自室以外では気が抜けない。

この家の中は敵だらけなのだ。

は背筋を伸ばし、足音を立てることなく自室へと向かう。

が向かった方向の反対の廊下でその背中を見送っていた藤真は少し、悲しげな瞳を揺らして溜息を吐いた。

壁に凭れて腕組みをする。

天井を見上げて舌打ちをした。凄く乾いた音に聞こえた。










桜風
09.6.17


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