海の見えるまち 1





 ひとり暮らしというものに憧れていた。

誰からも干渉されることがなく、全てが自分の時間。なんと素敵なことだろう、そんなことを思っていた時代もありました。



目覚ましに起こされて殆ど明いていない目で朝の身支度を済ませてドアを開けて初めて気づいた。

雨だ……

雨だと電車が混む。拙い。

借りているマンションが駅に近いとはいえ、傘を差して走って10分はかかる。

いつもの電車の一本前に乗れればベスト。

駅について傘を畳みながらふと思い出す。今日は会議があった。

資料の準備は連日の残業で何とかなっている。……はず。

残業していると本当に家族の、母親のありがたさが身に染みる。家に帰ってもご飯がない。風呂は自分で沸かすしかない。洗濯だって自分でやらなきゃ終わらない。

短大時代までこれを母親がやってくれていた。

高校卒業して大学は独り暮らしと思っていたのに、それを良しとされなかった。

当時はその親の判断に反発もしたが、今となればその言葉に甘えていた。

今更だ。

鞄から手帳を取り出して今日の予定を確認しながら改札に向かう。

会議は、午前十時から。

会社に着いて、資料の再確認をしてミスがあったら直して……。もうちょっと早く家を出なくてはいけなかったと反省するが、後の祭り。

改札が見えて鞄の中に入れているパスケースを取り出そうとして慌てる。

ない!ない!

昨日、帰ってきたときには間違いなく定期券を使った。鞄も替えていない。

だとしたら、この鞄の中にパスケースがないのはおかしい。

え、どうしよう。落とした?まだ使い始めてひと月経ってないのに?!これはダメージが大きいぞ?

どうしよう、とパニックに陥っていると「さん」と名前を呼ばれて振り返る。

知らない男の子だ。何故私の名前を?

というか、背が高い……何センチだろう?

さん?」

「え。あ、はい」

「さっき、鞄から落としましたよ?」

彼の手にあるのはパスケース。

受け取って確認すると、それは今行方を晦ませていた定期券。

「ありがとう!」

「いえ」

「え、と。お礼をしたいんだけど、今急いでるの。大学生?」

聞くと彼は元々丸い目をさらに丸くして「いいえ」と首を横に振る。

「そうなの?え、高校、生?」

いやいやないだろうと思いながらも聞いてみると「そうですよ」と頷かれた。

「学校の名前は?」

さんは県外の人ですか?」

「え、あ。まあ……」

言われてみれば制服らしきものを着ているけど、そんな特徴のあるものには思えない。地元の人が見れば一発で分かる学校なのかな?

「海南大附属高校です」

「かいなんだいふぞく」

繰り返すと彼は頷く。

「わかった、ありがとう!必ずこのお礼は!!」

言いながらか改札に向かって駆けていく。



結局いつもの電車。

そういえば、彼の名前を聞いていなかった。

海南大附属高校の場所も調べなきゃいけない。

まあ、学校の場所が分かれば、彼の名前を知らなくても大丈夫かな。スポーツバッグを持っていたからきっと運動部。

更にあの高身長だとバレー部かバスケ部。そのどちらでもなかった場合、あれだけ目立つんだから聞けば誰かが知っているだろう。

ひとまず、入社後初めての会議がこの後待っていることを思い出して緊張してきた。

ミスしないかな。ちゃんとできるかな。会議資料、間違いないかな。

いくらでも心配事がなくならない。







桜風
16.9.12


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