28. 僕を待つ灯火





空が狭いなぁ...

見上げて颯斗はそう思った。

高校時代を過ごしたあの学び舎、星月学園があった場所は片田舎と呼ばれて不便である代わりに星が良く見えた。

まあ、あの学校で星が見えなかったら意味が無いが...

颯斗が通っていた星月学園と言うのは、星座にまつわる知識を専門に教育する全寮制の学校で、専門的な学問の内容から求められる偏差値は高く、星詠み科、天文科、神話科、宇宙科、星座科、西洋占星術科の6つの専門分野に分かれ各々3年間学んでいた。

その中で、颯斗は神話科の生徒だった。

そして、ちょっと強引で傲慢で。けれども絶対的なカリスマ性で生徒達を引っ張っていた会長に捕まって生徒会執行部に身を置き、最終的には生徒会長も勤めた。

高校時代の3年間は後の人生に与える影響が強いと周囲の人たちが言っている。

その通りだと颯斗は思っていた。

あそこで、あの人たちに会わなかったら少なくとも今の自分はない。

「颯斗くん!」

驚いて振り返る。

さん」

駆け寄ってくる彼女を足を止めて待つ。



彼女と出会ったのも高校時代だった。

星月学園は元々男子校だったものの、女子の受け入れを始めたが、偏差値が高いとか立地条件が良くないだとかで結局中々女子が入らず、颯斗と同じ学年にたった2人だけ女子の入学があった。

よほど星が好きな変わり者なのだな、と周囲が囁き、彼女自身笑って「変人だー」と言っていた。

彼女は毎日ピアノを弾いていた。

音楽部とかそういうのは無いが、毎日ピアノの音色が放課後校舎に響く。

そして、颯斗は週に一度だけ金曜日に少し時間を見つけては音楽室の前にやって来ていた。

颯斗自身は音楽から離れたいと思っていたし、離れたと思っていた。しかし、彼女の奏でるピアノの音色を耳にして涙を流した。

だが、颯斗は彼女のピアノを聴きに行っても音楽室に入ることは無かった。

初めてその音を聞いた時、音楽室のドアの窓からそっと中を覗いて彼女の存在を知った。

女子が2人しかいないのですぐに名前もクラスも分かった。

、西洋占星術科だ。

彼女とはクラスは違ったものの、彼女が生徒会執行部の書記のもうひとりの女子、夜久月子と仲が良かったので時々顔を出しては仕事を手伝いに来ていたため、親しくなっていた。


ある日、颯斗がいつものように音楽室に向かった。

しかし、彼女の音色が聞こえない。

そっと音楽室入り口の窓から覗き込むとにょきっと下から彼女が生えてきて颯斗が覗き込んでいる窓の正面に立っていた。。

「わぁ!」

「あはは」と彼女が笑いながらドアを開ける。

「いつも来てくれてるね。えっと..金曜日に」

彼女が笑いながら言う。

「知っていたんですか?」

「まあねー」と笑いながら言って彼女はピアノの前に座る。

「せっかくだからさ、観客がいたほうが腕が鳴るってもんでしょう?何の曲が良い?」

「え?」

上着を脱いで彼女が言う。

「リクエスト。詳しいんでしょ、颯斗くん」

生徒会室に出入りをしている彼女は颯斗のことを名前で呼ぶ。

「えっと、そうですね。では、きらきら星は?」

「モーツァルトね、オッケー」

そう言って彼女はピアノを奏でる。

その表情は楽しそうで、表情の通り音も伸びやかで颯斗は羨ましくなる。

「颯斗くんはさ。ピアノ、好きだけど嫌いでしょう?」

何曲か弾いた彼女がそういった。

驚いた颯斗に彼女は苦笑する。

「わたしは、嫌いだけど、好き」

笑いながら彼女が言う。

「どういう...」

どう違うのかが分からない。

「わたしの場合、基本的に嫌い。でも、好き。颯斗くんはその逆。違う?」

やはりイマイチ違いが分からないし、自分の気持ちもやはり分からない。

「では、何故ピアノを弾かれるのですか?」

「喜んでくれる人がいたから」

「え?」

「神様はわたしにピアノの才能をくださいましたー。別に欲しくないけど。そしてピアノを弾きましたー。その人が喜びましたー。わたし、超調子に乗りましたー。だから神様からでっかい罰が下りましたー」

壮大な物語を語るように大げさなジェスチャーをつけて彼女が言う。

「ねえ、颯斗くんも何か弾いてよ」

「ええ?!」

彼女はピアノの前から離れてどうぞと颯斗に椅子を譲る。

「僕は...」

「聞きたい」と強く言われて颯斗は弾き始める。

「颯斗くんらしい繊細で優しい音色だね」

目を細めて彼女が言う。

「僕は...」

「よし、颯斗くん。こうしたらどう?とことん逃げて、んで、逃げるのに飽きたらめっちゃ闘う」

の言葉に颯斗は目を見開く。

「嫌なときは少しくらい逃げたって良いわよ。文句が言いたい人は言わせちゃえ。疲れたら休めば良いし、頑張れるときにがむしゃらに頑張ればいいのよ」

笑って彼女が言う。

「でも、僕は..さんみたいに強くないです」

俯いて言う颯斗に「何言ってるのよ、わたしも現在絶賛逃亡中よ」と笑う。

「え?!」

「逃げ込んだの、この学校に。あの人は、諸手を挙げて喜んでくれたわ」

の話に颯斗は驚いたままだ。

「さっき、わたしがピアノを弾いたら喜んでくれる人がいるって言ったでしょう?あれ、ウチの親」

「だったら...」

「ピアニストなんだけどね、ウチの親。最初はわたしがピアノを弾くのを喜んだけど、自分より才能があるって知って..憎まれちゃった。ま、凄くプライドの高い人だったからね。片手間にピアノを弾いてこんなになっちゃったわたしが許せないみたい」

肩を竦めて彼女が言う。

「此処を卒業したら、わたしはピアノを封印するの。そのために、親から離れて、好きなだけピアノを弾ける環境に逃げてきた。音楽高校とかに行って御覧なさい。親が激怒よ」

全寮制で、実家からも遠くて、音楽部とか無くて...

親の目に、耳に自分のピアノが届かない環境に逃げたと彼女は言う。

「けれど、卒業したら親御さんの下に帰られるんでしょう?」

「うん、そのときには..1回骨折でもしてみるわ」

さらりと少し悲しげに目を伏せて彼女が言う。颯斗はぞっとした。

「なぜですか?!」

「指の動きが悪くなれば、それでいいのよ。今ほど弾けなかったらピアノを弾かせてもらえる。たぶんね」

「そんな!」と声を上げるが、「全く弾けないよりは弾けるだけマシ」と微笑む。

ああ、だからか...

颯斗は彼女の音色に感じていたものを理解した。

ピアノが弾ける喜びとその先に待つ絶望。

彼女はピアノの音色で泣いていたのだ。

さん、僕は...」

彼女の音色に惹かれていた。彼女の音色が流す涙に。

それにやっと気がついた。

気が付くと彼女を抱きしめていた。

「あの、颯斗くん」

「泣かないでください。いえ、さん。あなたは泣いても良いんです」

颯斗の言葉には困惑した。

「え、あの..別に泣いてないし、泣くことなんて...」

「いいえ、あなたのピアノの音色は、涙を流しています」

そう指摘されたは颯斗の胸に顔を埋める。ぎゅっと彼の服を握った。

声を殺して、彼女は自身の涙を流す。

颯斗は強く抱きしめて彼女の涙を受け止めた。



星月学園を卒業した彼女は実家に帰ることをしなかった。

ただし、音楽界に名を馳せることもない。彼女はただ、楽しくピアノが弾けたらよかっただけなのに、その才能に嫉妬した彼女の親がその喜びを奪おうとしていたのだ。

今、彼女は颯斗の帰る場所となっている。

颯斗は彼女の親とは同じ世界にいるので顔を合わせることがあり、彼にあからさまに嫌悪感を見せる。

「今回はどれくらいこっちにいるの?」

「そうですね、3ヶ月ですね」

「あら、短いなー...つっこちゃんがね、生徒会執行部の皆で会いたいって話してるみたい。一樹会長が言ってた」

「...なんでさんは一樹先輩が言っていたのを知っているのですか?」

ニコリと微笑む颯斗にはしまったと笑顔を凍らせる。

「あの、電話が家にありました」

「そうですか。一樹先輩に、僕に用事があるときには僕の携帯に連絡をくださいって話をしているんですけどね」

青空颯斗。

彼は高校時代から凄く優しくて繊細で気遣いの出来る人であるが、ひとつだけ、ちょっと困ったところがある。

非常に嫉妬深い。

まあ、悶々と勝手に嫉妬して色々とややこしくなるよりマシだろうが、これもまた大変だったりする。

「あの、颯斗くん?」

「何ですか?」

「電話越しの会話くらい...」

「何ですか?」

「...なんでもありません」

そう言っては困ったように笑った。仕方ない。

「さて、今日は久しぶりにさんに会えましたし、たっぷり充電させてもらわなくてはいけませんね」

ニコリと微笑んで颯斗がそう言う。

「お、お手柔らかに...」

そういう彼女の手を取って颯斗は心持ち足早に家に向かった。









桜風
11.3.1