4.「君しか要らないのに」





あなたがわたしの髪に触れるたびに心臓が跳ねる。

ひんやりとしたその指が時々首筋に当たってそれがくすぐったい。

するりするりと髪の流れる音がして、やがてその手の動きは止まる。

「ほら、出来たぞ」

楽しそうに彼が言う。

わたしもその声を聞くときが一番嬉しい。

でも、同じくらい残念な気持ちがある。

だって、わたしは彼が満足そうに「出来た」というわたし自身の結われた髪を見ることが出来ないのだから。



わたしは彼の顔を知らない。

幼い頃、わたしは高熱を出してしまい、そのまま光を失った。国中の大医を集めると母が言った。

それは間に合わなかったのか、それともそういう運命だったのか。

わたしは光を失い、命は永らえた。

でも、その方が良かったと周りの大人たちは言う。

見なくてもいいいやなことは世の中に沢山あるのだから、と。

彼も同じ事を言った。

「お前は見なくて良い」

その言葉が少し寂しい。

彼と同じものを見て、彼と同じ視線に立てたら...

噂は聞く。

女の子が彼と一緒に働いているって。

彼もその子の事を楽しそうに話してくれる。

そして、思い出したようにいつも言う。

「必ず、お前を認めさせてやる」

そのときの彼の声は底冷えする冬の夜のようで、わたしは少しだけ怖いと思う。

唯一、彼を怖いと思う瞬間だ。

けど、それ以外では彼は凄く優しい。

毎日もの凄く忙しいと聞いた。

だから、わたしのところに来るのなんてお休みしてくれていいのに。

必ず10日に1度はやってくる。

わたしは嬉しいけど、彼はどう思っているのだろうか。

相手の表情が見えないってのはこれほどまでに不安なのだろうか。




気配がしていたから彼が来たことは知っていた。

でも、大人しく室で彼を待った。

「清雅さん」

わたしが起き上がると彼の足音は少し早くなる。

「寝ていろ」とぶっきらぼうに言う。

「はい」と返事をしてまた椅子に腰を下ろす。

「調子はどうだ?」

「はい...まだ少し熱があるみたいです」

そう返すと短い溜息が聞こえた。

コツリとおでこに何かが当たった。その何かはわたしが推測するに、清雅さんのおでこ。熱を計っているみたい。

「そうだな、少し熱いか...さっき土産を家のものに渡した。体にいいと聞いたからな。ちゃんと食べて体力をつけろよ」

この間、清雅さんが来た翌日にわたしは風邪を引いてしまったらしい。

それが中々治らなくて結局今日、清雅さんが来るまでに治せなかった。

誰が言ったのか、清雅さんはそのことを知っていたみたい。

「そうそう。もうひとつ土産があるんだ」

そう言ってがさごそと清雅さんが何かを取り出してわたしにそれを握らせた。

「次に来たときには体を治しておけよ。今度はこれを挿してやるからな」

それはきっと髪飾り。

どんなのだろう。

手に握っているそれをゆっくりと優しく触って形を確かめる。

「どうだ?色は...」と清雅さんが話してくれる。

色は分かりやすく教えてくれる。秋の夕暮れの空の色や夏の川の水の色だとか。

小さい時の記憶はもしかしたら変わってしまったかもしれないから清雅さんが言っている色じゃないかもしれないけど、私は想像できて嬉しい。

、今度は何が欲しい?」

清雅さんは良くそう聞く。

でも、わたしは決まってその言葉には首を振る。

「全く、
は欲がないな。俺がこうやって何が欲しいかと聞く相手は だけなんだぞ?」

何だか少し拗ねたようにいう清雅さんはいつもの余裕綽々な清雅さんじゃなくて結構好きだったりする。

清雅さんは朝廷でもの凄く優秀で、出世街道まっしぐらだって聞いたことがある。

そんな優秀な清雅さんでもきっと私の欲しいものは分からない。


少しの間話をして彼は椅子から立つ。

今日は少し短い。

「また元気になったら顔を見に来るからな」

さらりとわたしの前髪を掻きあげてそう言った。

足音が遠ざかり、そのまま音は聞こえなくなった。

どんなに優秀でも、出世街道まっしぐらでも分からないことはあるらしい。

「わたしは、あなたしか要らないのに...」

呟いた声が胸を締め付けた。









桜風
08.6.1


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