めぐり逢ひて 壱





 二畳ほどの暗い部屋が彼女の世界だった。


幼い頃、両親を火事で亡くし、自身も片足が焼け爛れ、障害を負った。

ただ、切り落とさずに済んだのは不幸中の幸いなのか...

彼女は多額の保険金を受け取ることができる権利を持っていた。彼女の両親が残したものだ。

だから、それを得ようと親戚が砂糖に群がる蟻の如く彼女に群がった。

最終的には彼女を引き取ったのは母親のいちばん上の兄だった。

母の兄、つまり彼女の伯父に当たる人間は浪費家だった。家が傾いてきたところに彼女の両親の死があった。渡りに船だと兄弟を強引に黙らせたのだ。

彼には妻と娘がいて、やはり2人供浪費家で、華美なものが大好きだった。

彼女の保険金は彼らによって食い尽くされた。

彼女は、地下の、本来なら物置になる二畳ほどの広さの部屋に軟禁されていた。

彼女には役場から障害者に対する補助金が払われていた。

それも彼らに搾取されていたのだが、それをもらい続けるためだけに生かされていた。

必要な書類は、知り合いの医師に適当に書かせていた。だから、本来受けなければならない治療を彼女は受けられなかった。

しかし、彼女はそれを不満に思わなかった。

なぜなら、彼女はその伯父に言われ続けていた。

「養ってもらえるだけでもありがたいと思え。お前みたいな役立たずはいつ捨てられてもおかしくない」

この家に引き取られた日から事あるごとに言われた。

そして、それが彼女の中の真実になっていたのだ。




地下だから光が届かない。今が何時で、日付もわからない。この部屋で何年過ごしただろうか。

以前渡された蛍光灯は明滅しているので殆どつけない。

食事は気が向いた時にだけ渡された。

次にいつ食事を摂れるかわからない彼女は、食事を大切に摂っていた。

保存の効きそうなものはこっそり隠す。

部屋の隅に穴が掘られていた。そこで用を足す。

水を与えられないこともあったので、自分の尿を飲んだこともあった。

そんな生活をしていたから、体は小さくやせ細り、骨が浮いていた。







ある日、彼女の世界に光が射した。

頭上がいつもよりも騒がしかった。

(何だろう...)

コンコンとノックされたので彼女は思わず「はい」と返事をした。

また上が騒がしくなる。

地上への入り口が開いた。

眩しくて彼女は目を閉じた。

「これは...」

呆然と呟く声は初めて聞くものだった。

眩しさにやっと目が慣れて彼女は顔を上げた。

長い髪は伸ばしているというよりも手入れをされていない、放置されたそれだ。

「お嬢さん、これを触っていただけますか」

そう言って差し出された紙片。

彼女は恐る恐るそれに触れてみた。

眩く光ったそれは、すっと消えてなくなった。

大変なことをしてしまったと彼女は怯える。何かが消えてしまったのだ。

「ご、ごめ...」

声がうまく出ない。誰かと話をすることはない。

だから、彼女は言葉を話すのは苦手だ。返事は「はい」以外を許されていなかった。

しかし、この部屋に初めて来た男は彼女に傅いた。

「お迎えに上がりました、審神者様」

彼女は怯えた。

迎えに来るとはなんだ。“審神者”って誰の事だ。

伯父を見ると忌々しそうに舌打ちをされた。

彼女は肩を竦める。

「あ、あ...」

何といっていいのだろうか。

「一緒に来ていただけますね」

そう言われて困った。行くとはどこに行くのだろうか。

こんな役に立たない自分が置いてもらえるところなんてここしかないというのに。

「そいつを連れて行った場合、金はくれるのか」

伯父が言う。

「ええ、そうですね」

「年金?」

浮かれた声で伯母が言う。

「...いえ、一時金になります」

「一時金か...」

吐き捨てるように娘が言った。

「まあいい。それを養うのも一苦労だ。金はいくらもらえる」

伯父の言っている言葉の意味が分かった。

自分は売られてしまった。

「それは、地元の役所が対応します」

彼はそう言って、そして彼女に手を差し伸べた。

「ご一緒に来てください」

「わ、わたし...」

そう言って彼女は首を横に振る。

彼は彼女の足元を見た。

彼女は足を悪くしているようだ。

「失礼します」

そう言って彼が彼女を抱き上げる。

あまりの軽さに彼は伯父を睨んだ。しかし、彼は金の使い道を考えているようで、その視線には気づいていない。

急な階段を上がると、この地元の役所の職員が待っていた。

「審神者様です」

職員は目を丸くして彼女を見る。

その視線が怖くて彼女は逸らした。

「お荷物は後でお届けします」

職員が言う。

「お願いします」

彼はそう言って彼女を抱えたままこの家を出ようとした。

「あ、の...」

彼女が職員に向かって声を出した。職員は振り返る。

「しゃ..しん」

「写真、ですか。わかりました、探しておきます」

何の写真家は言わないが、多分わかると思う。彼女の持ち物と言ったらそれしかない。


彼女は何年かぶりに外の世界に出た。

日は暮れていた。見上げた空には月が浮かんでいた。

外で待っていた車に乗せられた。

とてもきれいな車だった。

自分が乗ると汚れてしまう。

彼女が抵抗すると、「大丈夫ですよ」と優しく言われた。彼女がなぜ車に乗りたがらないのか、彼は察したのだ。

だから、彼は毛布を彼女に巻いた。

「これ、が」

「大丈夫です。洗濯すればきれいになります」

彼はそう言って運転手に車を出すように告げた。

どれくらい走っていたのかわからない。

彼女は寝てしまっていた。

柔らかな毛布に包まれ、振動も少ない車に揺られて気持ちよくなってしまった。

「審神者様」

声を掛けられて彼女は目を明ける。

そして慌てた。寝てしまっていた。

「ごめ...」

「構いませんよ」

そう言って彼は微笑んだ。

彼女を抱き上げて車を降りた。

大きな門をくぐり、社殿のような建物に入る。

「審神者様です」

迎えに出ていた女にそう言った。

巫女装束のようなものを着ている彼女は「お待ちしておりました」と平伏する。

何故待たれていたのだろうか。

そもそも、なぜこんなに親切にされるのだろうか。

彼女は不思議で、不安だった。

男は彼女を風呂場に連れて行った。

巫女はそのあとを着いてくる。

「禊を」

そう言って男は居なくなった。

「さあ、お風呂に入りましょう」

そう言って巫女は風呂に入るのを手伝ってくれた。

風呂はいつ入っただろうか。

垢で黒くなっている肌は、優しく洗われて白くなる。

ぼさぼさになっていた髪は丁寧に洗われて元の、まっすぐな髪に戻った。

どうしてか涙がこぼれた。

「お辛かったでしょう」

辛いなんてことは知らない。

でも、この優しさは、懐かしいもので。ずっとずっと求めていたそれだった。

「おかあさん」

呟いた。

どんなに呼んでも応えてくれない大好きな人だ。いつも優しく頭を撫でてくれた。褒めてくれた。時折叱られた。その時は、凄くこわかった。

この巫女の手は、母親のそれに似ていたのだ。

彼女は泣いた。声を出してわんわん泣いた。子供のように泣きじゃくった。

風呂に自分の泣き声が響く。

どれくらいぶりに泣いただろう。

どれくらい泣いただろう。

彼女は呼吸を整えた。

巫女はずっと彼女を抱きしめてくれていた。自分が濡れるのを構わず、ずっとだ。

「ごめんなさい」

彼女は謝罪した。

「いいえ、どうぞ吐き出してくださいませ。今まで、ずっと溜めておられた毒です。どうぞ」

そう言われて彼女はまた泣いた。

泣き終わるとすっかり体は冷えてしまった。

巫女が手伝って湯船に浸からせてくれた。

じわりとした温かさが体の芯を、心を温める。

「あの...」

「はい」

「さにわ、ってなんですか?」

彼女が問う。

「それは明日お話し致します。今日は、ゆっくりお休みになられませ」

彼女は頷く。

風呂を上がり、食事を用意されていた。

粥だ。白い米が食べられる。

彼女は味わうようにゆっくりと咀嚼した。腹に沁み渡る。

一緒に出された梅干はとてもおいしかった。少し甘く感じた。

「明日は、白米にしますからね」

巫女が言う。

長い間碌に食事を摂っていない様子の彼女を見て胃にやさしいものにしたのだ。

「そんな、わたしにもったいない...」

「いいえ。いいですか、審神者様。貴女は、今、体が非常に小さくていらっしゃいます。たくさんご飯を食べて、もっと丸くなってください。私のように」

そう言って巫女はぽんと自分の腹を叩く。

彼女は思わず笑った。

「ああ、お可愛らしい」

目を細めて巫女が言う。

彼女は俯く。

「明日、御髪..髪は切りますか?」

彼女は首を横に振った。

特に拘りはないが、迷惑を掛けないようにしたい。

前髪は顔を隠すような長さだ。ちょうどいい。


その日、彼女はふかふかの布団で眠り、あっという間に朝が来た。


昨日の男がやってきた。

彼は役人だという。あの巫女も同じく役人だとか。

彼は“審神者”について説明をしてくれた。

現在、歴史修正主義者という集団が現れ、過去の歴史に介入しようとしているらしい。

それを阻止するために、今の政府は対策を考えた。

歴史に介入する者たちの企てを阻止することを目的として“審神者”なるものを探し出しているのだ。

審神者とは、眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる技を持つ者のことをいう。

彼女は慌てた。

「わたしは、そんなこと、で、きません」

「いいえ、貴女にはその力がありました。昨日、あなたに触れていただいた札の事を覚えておいでですか?」

問われて彼女は頷く。あの紙片は札だったらしい。

「審神者の力を見るための札です。あれに触れて札が反応をすれば審神者たり得る力をお持ちという事になるのです。あなたはあの札に触れて、札が反応しました。まごう事なき審神者様です」

そう言われてもピンとこない。

自分の家族で霊感が強かったものはいなかったと思う。

――本当に居なかっただろうか。

ふと、自分の記憶に自信がなくなってきた。

分からないことがたくさん出てくる。母親の顔が思い出せない。父はどんな声だっただろうか。

きょうだいは居ただろうか。

曖昧な記憶に怯える。

「審神者様?」

「いえ、なんでもありません」

彼女は慌てて頭を振る。

「審神者様には、過去の時代で歴史修正主義者の企てを阻止していただきます。道を繋げるのに、少し時間がかかりますので、もう数日こちらに留まっていただくことになります」

そう言われて彼女は頷いた。


昨日世話をしてくれた巫女が、そのままここに滞在する期間中は世話役として彼女についてくれると知った。

彼女の教育は火事のあの日で止まっていた。

だから、少ない時間でも彼女はその巫女に教えを乞うた。

自分に光を与えてくれたここの人たちの期待に応えたいと思った。

巫女は優しく教えてくれた。

まず、彼女は言葉をずいぶんと忘れていた。

話す相手がいないのだから当然だ。本を読める環境でもない。

教えてもらったは、辞書の引き方だ。

過去の時代にさかのぼるのだから、現代の物は持っていかない方がいいだろうと彼女は思った。

だが、言葉を知らなくてはコミュニケーションを取れない。

だから、書物は許してもらいたいと思ったのだ。知らないことを知るにはそれがいちばんだと思った。

審神者は刀剣の付喪神を地上に降ろすのが一番の役割だと聞いた。

彼女の声に応え、付喪神が刀剣に宿る。刀剣に宿った付喪神は“刀剣男士”と呼ばれるらしい。

付喪神と聞いていたので順序としては逆のような気もしたが、打ちあがった刀は最初はなんでもないただの刀らしい。

だが、彼女が呼びかけてそれに応じる者、想いが宿れば名のある刀になるとか。

やってみればわかると言われたが、不安で仕方ない。

何せ、自分は役に立たない人間だ。

その日の晩に彼女宛てに荷物が届いた。

小さな小包だった。

開けて彼女は目を輝かせた。写真が入っていた。あの職員はちゃんと見つけて届けてくれた。

「お父様とお母様ですか?」

巫女が問う。

「はい」

弾んだ声を出した。

母の顔は、自分の記憶と一致した。良かったとほっとする。


彼女はそこで過ごしている間、温かなふかふかの布団で眠り、毎日風呂に入って、食事を定期的に摂ることができた。

少し健康的な表情になったころ、彼女は過去へと旅立つ。

巫女と役人が見送ってくれた。

彼女は足が不自由で一人で歩けない。太陽の光が届かない部屋で、しかも運動のできる環境になかった。

筋力が衰えていたのだ。

だから、役人が女の式神を付けてくれた。彼女を支えて歩くために。

また、付喪神は今のところすべて男だから彼女の身の回りの世話をすることができる者が必要だと思ったのだ。

審神者と人ではない者しか通ることができない道の前で彼女はいったん止まって振りかえった。

「ありがとうございました」

深く頭を下げる。

「これから、きっとあなたには大変ご苦労をかけてしまうと思います。どうか、ご無事で。何かありましたら、ご連絡ください。できるだけお助けいたします」

役人が頭を下げた。

「もっと丸くなってくださいませ」

巫女がそう言った。

「はい」

彼女は頷き、長い長い鳥居道を歩く。

ゆっくりと暗くなり、あたりが全く見えなくなった。

それでも式神に支えられながら足を進める。

遠くに光が見えた。

きっとそこが自分の配属された時代の入り口なのだろう。


辿り着いた先は、何故か暗かった。あの光は何だったのだろうか。

手探りで歩き、扉らしきものに辿り着いた。

押してもびくともしない扉は式神が開けてくれた。

眩しさで目を瞑る。

「審神者様、お待ちしておりました」

そう声を掛けられて彼女は周囲を見渡す。

「足元にございます」

そう言われて見下ろした。

なんだか不思議な動物がいた。なんとなく狐っぽい。

彼は“こんのすけ”と名乗った。彼女をサポートするために付けられた式神のようなものだという。

「早速ですが、審神者様。最初の一振りを選んでください」

「選ぶ、ですか?」

彼女は首を傾げる。

最初は、何でもない刀だと聞いた。

「最初の一振りだけは、すでに魂の宿ったものになります。この者が、審神者様の身の回りのお世話をし、最も近くでお守りする近侍となります」

最初だけは違うという事らしい。

彼女は頷き、そして目の前にある刀を見た。

どれも同じに見えて、何をどう選んでいいのかわからない。

「どなたでも、変わりません」

こんのすけが言う。

だから、彼女はえいやと手を伸ばした。

彼女が触れた途端、その刀は輝き始めた。眩しくて目を瞑った彼女が目を明けると人が立っていた。

「僕は歌仙兼定」

彼が自己紹介をする。

しかし、彼女はそれを聞き終わることはできなかった。

「え?」

歌仙は呆然とした。

目の前の、自分の主になる者が倒れたのだ。

「...どういうことだい?」

誰に聞いていいかわからず、人の形を取っている式神に聞いてみたが、彼女は話せないらしく首を横に振る。

「おそらく、緊張と疲れで気を失われたのでしょう」

狐のような生き物がそう言った。

「僕はどうすればいいのかな」

人の形を取ったのは初めてで、勝手がわからない。

「まずは、審神者様をお部屋に運んでください」

やれやれと彼は首を振り、彼女を抱き上げる。

「人間のおなごというのは、小さくて細いんだね」

「その方は特別小さくて細いだけです」

狐のような生き物がそう言った。

「そう。まあ、とにかくこの子が僕の主という事だね」

歌仙はそう言って彼女を見降ろした。

(なんだかなぁ...)

自分はハズレを引いたかもしれないと何となくそう思った。









桜風
15.6.7


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