めぐり逢ひて 漆
| 「行ってらっしゃいませ」 彼女が深く頭を下げて出陣と遠征を見送る。 その隣に立つ加州は肩を竦めた。 彼女は臣下である自分たちに対して凄く姿勢が低い。 主なのだからもっと偉そうにすればいいと思う。誰もそれを不愉快に思うはずがない。 寧ろ今の彼女の態度は不可解で、慣れるまで時間がかかりそうだ。 自分よりも先にこの城に来ていた大和守安定は、「僕も驚いたけど、いい子だし。すぐに慣れるよ」と言う。 彼とは旧知の中だった。 同じ人を主としていた。加州はその主との別れが早かった。激戦で傷つき、二度と彼の役に立つことはできなくなったのだ。 捨てられた、と彼は思った。 ちらと少し前に立っている今の主を見た。 彼女には捨てられたくない。 初めて見た時には冴えない子だなと思った。しかし、冴えていようと冴えてなかろうと彼女は主である。自分を愛してくれさえすればどんな子であっても構わない。 ふいに彼女が振り返る。 「加州さん、今日はよろしくお願いします」 「うん、よろしく」 近侍が出陣している間は誰かしら彼女のそばにいるようにしている。 彼女は足が不自由だ。 だが、城の中を見て歩くのが好きだという。だから、彼女を支えるために近侍が留守の間は誰かが側に付く。 これは最近できた仕組みだ。これまで彼女は皆の迷惑になるから、と基本的に部屋に閉じこもっていた。 部屋に閉じこもっていても非番のものが顔を覗きに来たり、庭に割いている花を持ってきてくれたりと暇を弄ぶことはなかったが、自分の目で見たいというのが本当の願いだった。 先日、この城が敵に襲われた。 それをきっかけに彼女の警護について再検討をし、寝ずの番をつけ、近侍が不在の場合は彼女の側に在るものを当番として決める。 近侍も同じく当番制となった。 「主、今日は何して過ごすの?」 「昨日書けなかった報告書を急いで書いて、それが終わったら庭に出たいです」 「うん、いいよー」 彼女の希望を聞いて加州は頷く。 まずは彼女の部屋を目指す。 ゆっくりと歩くのはどこかもどかしさもあるが、彼女は景色を見て色々と発見している。 とても楽しそうだ。 だが、彼女の髪は長く、その表情をはっきりとみることができない。 声が弾んでいる。どんな貌をしているのだろう。 ひょいと顔を覗きこんでみると彼女はびっくりしたように体を反った。 「な、なんですか?」 「ああ、うん。ごめんごめん」 軽い謝罪をした。 歌仙からの手習いの指導のおかげで彼女の筆跡は随分と美しくなった。 師匠が師匠だから、と彼女は笑う。 墨を磨って、筆を持ち、文字を綴る。時々手を止めて筆をおき、分厚い書物に手を伸ばしていた。 それは何かと聞けば“辞書”だという。 「辞書って何?」 「色々な言葉の定義が書いてあるんです。表現があっているか、確認して書くようにしています」 「見てもいい?」 「...いいですよ」 少し間を空けて彼女が言う。 受け取ったそれは、手あかがついて草臥れている。使い込まれているのが良くわかる。 ぱらぱらとめくってみた。味気のない文字が綴られている。 「加州さん」 「ん?終わった?」 「いえ。それ、ちょっと返してください」 「ああ、うん」 彼女に辞書を返す。ふと視界に入ったものに目が行った。 「主、それ何?」 指をさした。 彼女はその先を辿り、「ああ、写真です」と言って手に取る。 いつもは文机の抽斗に仕舞っているのだが、すっかり忘れていた。 「見せて」 「良いですよ」 そう言って彼女はそれを渡した。 木枠に硝子が嵌っている。その中に精緻な絵が入っているらしい。 「写真って何?」 「えっと、幕末にはあったと思います。坂本竜馬さんの写真とか、近藤さん、あと土方さんも写真が残ってるって見たことがありますから」 「へー、覚えてないな」 そう返しながら元主を想う。 「ねえ、これは誰?」 「わたしの両親とわたしですよ」 彼女が返す。 「え、これが主?」 「ずいぶん昔ですよ。たぶん、3歳とか4歳とかくらいじゃないのかな、体の大きさから考えて」 記憶は曖昧なので、視覚的情報から推測するしかない。 加州はその写真をじっと眺める。時々ちらと目の前で筆を滑らせている彼女を見てまた写真を見る。 (やっぱ、わかんないなー...) 写真の中の彼女はとても幸せそうに輝くような笑顔を浮かべている。 「こんのすけさん」 筆をおいて彼女が呼ぶと狐が現れる。 「これを。遅くなりましたが」 「かしこまりました」 彼女に報告書を預けられた狐はふっとその場から消えた。 報告書の作成が終わったので、次は庭だ。 「主、履物がない」 いつもおいてある、彼女の部屋に最も近い階の袂を見て加州が言う。 「え?...あ、昨日短刀のみんなで遊んだからどこか別のところに脱いでしまったのかもしれません」 「えー、仕方ないな。ちょっと探してくるから大人しく待っててよ」 「御手を煩わせて申し訳ないです」 「それ、嫌い」 そう言って加州は廊下を早足で去っていく。 「主君」 ふいに声を掛けられて彼女は振り返る。 「どうされましたか。今日は加州殿が一緒では?」 秋田藤四郎だった。 「はい。今、履物を探してくれています。昨日、皆さんと遊んでどこに置いたか...」 「それでしたら、今朝見かけました。こちらにお持ちすればよかったのに気が利きませんでしたね。取って参りましょう」 そう言って秋田が履物を取りに行こうとしたが彼女はそれを止めた。 不思議そうに秋田が彼女を見た。 「せっかく加州さんが探してくださっているんです」 「分かりました。では、加州殿がお戻りになるまで僕が主君のお側にお仕えしますね」 秋田は彼女の隣に座る。 「何だよ、アレ」 彼女の履物は短刀の部屋の側にあった。昨日短刀と遊んだと言っていたので、おそらくそこだろうとあたりをつけて向かってみたら正解だったのだ。 庭を回って加州が戻ると彼女は秋田と楽しげに話をしている。 加州は大股で彼女に近づいた。 「主」 声を掛けられて彼女は秋田との会話を中断して加州に視線を向ける。 どうやら、彼は何やら苛立ちを覚えているようだ。 「では、主君。加州殿がお戻りになられましたから」 そう挨拶をして秋田がいなくなった。 「ほら、これ。短刀の部屋の側にあったよ」 そう言って彼女の履物を階の袂に置いた。 「ありがとうございます」 彼女は素直に礼を言って彼の持ってきた履物を履く。 加州に手を引かれながら庭を歩いた。 彼女はたびたび足を止める。 庭の手入れの行きとどいた草木だけではなく、雑草と言ってもおかしくない小さな花も愛でる。 つくづく変わった人だと思う。 変わった人だと思うが、加州は気に入っている。 分け隔てなく大切だと言っているのは少し面白くないが、自分を愛してくれているのはわかる。 ガクンと彼女が崩れそうになった。 加州は慌てて彼女を抱き寄せる。 「じゃあ、今日の散歩はお終い」 「え、まだ...」 「駄目。疲れてるんだろう?今、足がもつれて倒れそうになった。今日はお終い。明日にしなよ」 そう言いながら加州は彼女をひょいと抱えて先ほどの階に戻っていく。 履き物を脱がせて自分のも乱暴に脱ぎ捨てる。 そして彼女を抱えたまま部屋に向かった。 「ねえ、主」 「はい」 加州が彼女をおろし、顔を覗きこむ。 「俺のお願い聞いてくんない?」 突然そう言われた。 「お願いって何ですか?聞いてみないと了承できません」 「髪、切らせて」 「髪ですか?何か不快な思いをさせていますか?」 彼女は少し青くなっていう。 「不快じゃないけど、そうだな...」 そう言って彼女の前髪を掻き上げた。 「こっちの方が可愛いと思う」 「か..かわいい」 彼女はびっくりして加州の言葉を繰り返した。 「うん、可愛い。主、審神者は顔を隠さなきゃいけない掟とかあるの?」 「いいえ、聞いていません。向こうでも、髪は切りますかって聞かれましたし、多分問題ないんだと思います」 「んじゃ、切らせて。俺も主の目を見て話をしたい。ちょっと待ってな」 そう言って加州が部屋を後にした。 「え、良いとは...」 良いとは言っていないが、確かに目を見て話をするというのは人と人のコミュニケーションの初歩だ。と、思う。 髪はまた伸びる。 取り敢えず、今回のが嫌だったらまた伸ばせばいいのではないかと思った。 加州は厨から台を持ってきた。棚の上の方から物を取り出すためにおいてある。 鋏は道具箱の中に有るのを見たことがある。最悪、自分の本体でも着れるのではないかと思ったが、流石に主に刃を向けるのは気が引けるので見つけられてよかった。 大きな布を2枚拝借して加州は彼女の部屋に戻る。 「さ、主」 大きな布を1枚敷き、その真ん中に台を置いて彼女を座らせた。 もう1枚の大きな布は彼女に巻きつける。服に髪が付かないためだ。 「あの、先に確認させてもらってもいいですか」 「うん、なに?」 「鋏を使った経験は?」 「ん?初めてだよ。大丈夫。鋏だって刃物なんだから、刀剣の俺が使えないはずがないって」 根拠のない自信を口にした加州に彼女はそっとため息を吐き、そして腹を括る。 「わかりました。どうぞ」 「取り敢えず、前髪だけにしておくから、安心してよ」 シャキンシャキンと音が部屋の中に響く。彼女は目を瞑ってその音に身を委ねた。 その鋏を操っている加州は鼻歌交じりだ。 「よっし、出来た」 その声に彼女は目を明ける。 「ほら」と鏡を差し出された。 眉より上に切られている。ここまで切られているとは思わなかったので彼女は顔を赤くした。 「大将、ここか?」 廊下から声が聞こえて彼女は返事をする。 ひょいと顔を覗かせてきたのは薬研だった。 「ああ、髪を切ったのか。可愛いな。第二部隊、遠征から帰還した。獲得した資材とか、蔵に持っていっておくから後で確認しておいてくれ」 言うだけ言って薬研がいなくなる。 (はあ?!なんでひょっこりやってきたお前が主に可愛いって一番に言うんだよ) 加州は彼女の背後でわなわなと震えていた。美味しいところを取られた。 現に彼女はさらに顔を赤くしている。褒められて満更でもないのだろう。 「加州さん」 「何?」 薬研への怒りで彼女に対する返事が冷たくなる。ハッとなった加州は慌てた。 (こんな態度取っちゃったら主に捨てられてしまう) 何とか言い繕おうとしたが咄嗟の言葉が出ない。 彼女が振り仰いできた。 彼女はニコリと笑っている。 「ちょっと子供っぽくないですか?」 そう言った彼女に加州は肩を竦めた。 「可愛いからいいんだよ」 「...わかりました」 そう言った彼女は膝の上に置いている鏡を眺める。 鏡越しに見えた彼女の表情は、満更でもないようで、加州は知らず笑みを零していた。 |
桜風
15.7.4
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