めぐり逢ひて 玖





手習いの練習をしていると門のあたりがざわめいていた。

「遠征部隊が戻ってきたようですな」

部屋で控えている蜻蛉切が言う。

「そうですね、お迎えに行きましょう」

そう言って立ち上がろうとした彼女を支えるため蜻蛉切が立ち上がる。

「あーるじ!」

ひょっこり顔を覗かせてきたのは今しがた遠征から戻ってきた加州だった。

「おかえりなさい」

「うん、ただいま。見て見て。これ、可愛くない?」

そう言って彼は首に巻いているストールをひらひらとと振った。

「あ。新しい。何処かで見つけたんですか?きれいな色ですね」

「うん、遠征先でね。これ、一目惚れしちゃったからさー。勢いで買っちゃった」

「そうですか」と頷き、はたと気づく。

「これまで使われていたのはどうされたのですか?」

「ああ、それを質に入れてこれを買ったの。だって、俺たち金持ってないもん。遠征の報酬は主のもんだし」

そう言われて彼女は目を丸くして立ちつくし、「主?」と加州が声を掛けると「大変!」と声を上げて走り始める。

走ると言っても彼女の場合、転びそうになるのを何とか堪えるように足を出すことで走るような状態になっているのであり、非常に危ない。

「主!お待ちください」

慌てて蜻蛉切が彼女の後を追った。

「あれ...これ、かわいくなかったのかな」

とても気に入ったのに。主も可愛いと褒めてくれると思ったのに。

そんなことを思いながら加州は彼女の部屋を後にした。


いよいよ転びそうになったのを何とか蜻蛉切が間に合った。

「主、よろしければ自分がお連れ致しますから」

彼女が怪我でもしたら大変だ。

「えっと、じゃあ。太刀の部屋にお願いします」

「かしこまりました」

彼女をひょいと抱き上げて蜻蛉切は大股で歩き始めた。

太刀の部屋まで来て彼女を下ろす。

「燭台切さんはいらっしゃいますか」

部屋の中に向かって彼女が声を掛けた。

「主、燭台切殿に御用でしたか」

「燭台切殿なら、本日は出陣をされていますよ」

すっと障子が開き、中から一期が出てきた。

「主、燭台切殿にいかような御用でしたか?もし、太刀の力が必要という事なら、私がお力になれると思いますが...」

一期に言われて彼女は言い淀む。

「私では力になれませんか?」

「もし、わかったら教えてください」

彼女が言うと「何なりと」と一期が返した。

「このお城でひと月に使われる食費と、光熱費..灯りの油とかそういう必ず必要になる金額ってわかりますか?それと、収入。収入は遠征の成功の度合いによって変わってくるかもしれないので、先月分。
燭台切さんが以前市井にも買い物に出ていると仰っていたので、燭台切さんに聞いたらわかるのかと思って訪ねてみました」

彼女が言うと一期は頷く。

「確かに基本的に管理をされているのは、主の御考えのとおり燭台切殿です。ですが、彼が長期の遠征などでこの城を留守にした場合も主が快適に生活ができなければなりません。そのため、他にも情報を共有しております。
私でお力になれますよ」

「でしたら、先ほどのわかりますか?」

「はい、お答えできます」

そう言って一期は食費、油代、紙代などを諳んじる。

「...紙にメモ..数字を書いてください」

指を折っていた彼女は項垂れた。

「畏まりました。少しお時間をいただくことになりますので、お部屋にお持ちします」

そう言われて彼女は頷き、「お邪魔しました」と頭を下げて自分の部屋に戻る。

「主、お待ちください」

慌てて蜻蛉切が彼女の後を追った。

「...何があったのだろうか」



一期一振は、この城に来てから日が浅い。

主である彼女の事はあまりわからない。

だが、弟たちは彼女の事を慕っている。弟たちに彼女の事を聞くと全員が肯定的なことしか言わなかった。

だが、薬研だけは「色々と抱え込む性質だからな、見てて危なっかしい」と苦笑しながら答えた。

確かに、そうかもしれないと思う。

太刀仲間に聞くと概ね薬研寄りの意見だった。

今回は何を考えているのだろうと思いながら彼女の要望どおりのものを作成して部屋に向かった。

「主、一期一振にございます。よろしいでしょうか」

「はい、どうぞ」

障子は開いているが、その手前で一期が声を掛け、彼女が応じる。

「失礼いたします」

そう言って部屋に入ると蜻蛉切が彼女の文机の側に座っていた。何かを指導しているようだ。

彼女は手習いを歌仙に指導してもらっていると聞いた。その練習を見ているのかもしれない。

「主?」

「はい、すみません。お忙しいのに」

「いいえ、今日は非番ですので」

蜻蛉切が自分の座っていた場所を空けてくれたので、そこに腰を下ろす。

「こちらになります」

そう言って紙を広げて見せた。

「大変だぁ...」

彼女がポツリと呟く。

「主、よろしければ教えていただけませんか?主は、なぜこれをお知りになりたいと思われたのですか?」

一期が問うと彼女は心底申し訳なさそうに俯きながら「皆さんにお給金を出していませんでした」という。

「は?」「ん?」

蜻蛉切と一期が同時に首を傾げる。

この城で生活をしているし、生活に困っていない。

だから、別にそういうのは気にしなくてもいいのではないかと思った。

彼女は先ほどの加州の話をする。

「大切なものを質に入れないと好きなものを買えないのはいけないと思います。少なくとも、皆さんはわたしと違って働いています。出陣、内番、遠征。だったら、ちゃんと労働に見合うだけのお給金は渡さなきゃいけないんですよ」

確かに、趣味のある者は少し不便かもしれないが、質に入れて新しいものを購入するなど、よくある光景だった。

しかし、彼女の時代は少し違うのかもしれない。

「もうひとつお伺いしてもよろしいでしょうか」

「はい」

一期の言葉に彼女が頷く。

「何故、気を落とされているのですか?」

「...算数、計算が苦手なんです」

これからこの城で必ず使っている金額を算出して、それを一人当たりに直して、もう少し増えても大丈夫なようにして、さらに何かあった時の貯えも考えて...

すでに頭から煙が出そうだ。

歌仙は計算は苦手だと豪語している。彼には頼れない。

「主、よろしければ私がご一緒に考えましょうか」

彼女は驚いたように一期を見た。

「私の元主は算盤を弾くのが得意でしたので」

そういう。

「いいんですか?」

彼女が覗うように言う。

「ええ、構いません。お手伝いをさせていただけますかな」

「よろしくお願いします」

彼女は深く頭を下げた。

一期は頷く。



「できたー」

結局1日半掛かった。

丁度一期は出陣遠征の予定はなく、内番の予定のみで、これは蜻蛉切が引き受けてくれた。

よって、1日半彼女と過ごすことになった。もちろん、睡眠はしっかりとらせた。

日課の刀装づくりと鍛刀も彼女は休んでいない。

「一期さん、出来ました」

「はい、主の努力の賜物です」

「一期さんに見捨てられなかったからです」

彼女が頷く。一期はその言葉に驚いた。

確かに、彼女は算盤もろくに触ったことがなく、まずはその基礎から教えなくてはならない状態だった。

だが、彼女は素直で直向きで。皆のために弱音を吐かず、一期に投げ出すことなく最後まで続けて自分で答えを出した。

物覚えは悪くない。自分たちのために努力を惜しまない人をどうやって捨てるのだろうか。

「見くびられては困りますな」

思わず一期が零す。

彼女は驚いて彼を見上げた。

「このように我らのために尽力をしてくださっている主を見捨てるなど、そのような薄情者に見えておられたのですか?」

「あ、いえ。そうじゃなくて...できなかったから。こんなに時間がかかったし」

「しかし、目に見えてできるようになられていました。教え甲斐があるというものです」

「一期さんは、良い先生でした」

彼女が言うと一期はにこりとほほ笑む。

「優秀な生徒を持ちましたからな」


翌日、彼女は皆に給金を支払った。

「歌仙さんは最初からいてくださっていたのに、今更になって申し訳ありません...」

心底申し訳なさそうに彼女が声を掛けてきた。

「別に困ったことがなかったしいいよ。寧ろ、君はいいのかい?」

「わたしは置いてもらっているだけで充分です」

彼女が返した言葉に歌仙は少し眉間に皺を寄せたが、短く息を吐いて気を取り直す。

「では、僕が君に着物を誂えてあげよう。どんな柄が似合うだろうね」

というと彼女はぶんぶんと手を振った。

「駄目です。お給金はご自分のために使ってください」

「では、せめて新しい着物を誂えてはどうだい?城にある金子はすべて主のものなんだよ」

歌仙の言葉に彼女は青くなった。

「そんなに、これは駄目ですか」

充分いいものだと思っていたが、みすぼらしいと思われているのかと彼女は衝撃を受ける。

そんな衝撃を受けた彼女に歌仙も衝撃を受けた。

「いいや、そんなことはない。いい生地で誂えてあるよ。忘れてくれていいよ」

(女人は着飾るのが好きなのだと思ったけどね...)

歌仙はそっとため息を吐いた。









桜風
15.7.20


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