めぐり逢ひて 拾参
| 彼女が自分の時代から戻ってきてからもう3日も食事を摂っていない。 誰かを呼び招いて気を失い、食事を抜かざるを得なくなる事はあったが、自分から「要らない」と言って部屋に引きこもっているのだ。しかも、彼らには部屋に来てはならないという。 以前のように鳴狐のお供の狐に様子を見に行かせたが、彼女は部屋の隅で膝を抱えて丸くなっているだけだという。 苦しそうな様子はないと聞いて少しは安堵したが、それでも食事を摂らないのは心配だ。 体が小さくてあまり体力のなさそうな彼女が3日も食事を摂っていないのだ。 死んでしまうのではないかと言いだす者たちも出てきた。 燭台切は厨で粥を作った。 3日も食事を摂っていないのだから、腹にやさしいものにしなくてはいけないだろう。 心配で熊みたいにウロウロしている長谷部の前を通り、いつ呼ばれてもいいように部屋に近くで侍っている小狐丸の前を歩いて彼女の部屋の前に辿り着く。 彼らは目を丸くして燭台切を見送った。 「主、入るよ」 返事を待たずに彼は彼女の部屋に入って行った。 固唾をのんで彼らはその様子を見守った。 「来ないでくださいって言いました」 灯りを点けている燭台切に彼女が声を掛けた。 「うん、聞いているよ。だから、これを君が食べてくれたら僕は部屋をすぐに出て行くよ。 君の命に背いたことで僕を罰するなら、その罰も受ける。だから、少しでいいから食事を摂ってくれないかな。傍に居られるのは嫌なら、また食器は下げに来るから」 そう言って燭台切は腰を浮かせた。 彼の耳に微かな声が届く。それは謝罪の言葉だった。 「いいよ。君がこれを食べてくれさえすれば」 苦笑して燭台切は返した。 しかし、彼女は首を横に振る。 「主?」 「わたし、燭台切さんとの約束が守れなくなりました」 絞り出すように彼女が言う。 「約束?」 そう問い返しながら燭台切は腰を下ろす。 「主とした約束の、何が守れなくなったんだい?」 「名前を、お教えすることです」 燭台切は思い出す。 拙い話題を振った時のあれだ。 「いいよ、駄目なら駄目で」 そう言った燭台切に彼女は首を横に振る。 「駄目とかじゃなくて、もうないそうです」 「...主の時代には“戸籍”というものがあって、生まれてきたらそれに記録されるって言ってたよね。その記録が消えていたって事かい?」 事故か何かなのかなと思いながら燭台切は問い返した。 彼女は頷き、「わたしには、もう戸籍がないそうです」という。 事故とかそういう風ではない彼女の言い様に、燭台切は首を傾げた。 「わたしたち審神者は、あちらではもう亡くなったものとなるそうです」 「亡くなった?死んでしまったのかい?」 彼女はコクリと頷く。 「亡くなった方を“鬼籍に入る”という表現をしますが、わたしたち審神者は、“神籍に入る”と表現されているらしいです。 わたしたち審神者は、神様のためにある存在なので、人の世の誰のものであってはならないらしいです。だから、戸籍を抹消し、生きていた記録をなくすそうです。 記憶までは失くさないので、残された方たちは寂しい、悲しい思いをすることになるそうです」 「神様のためって、それって...」 燭台切は言葉を失った。 何を勝手なことを言っているのだと憤る。 彼女は愛している両親との唯一の目の見える繋がりを無いものとされた。 火事で記憶が曖昧になり、幽閉されて何年も過ごし、そして今はこんな危険な場所に置かれて。 彼女のために自分たちは在る。付喪神である自分たちのために彼女が在るのではない。 「燭台切さん?」 彼の雰囲気がなんだかいつもと違う。どす黒い何かが見える。彼にねっとりとまとわりつき、蠢くように揺れ始めた。 「燭台切さん」 手を伸ばして彼に触れようとした。バチッと静電気のようなものが走る。拒絶された。 「主!」 障子が開き、歌仙が入ってきた。 彼女を抱えて燭台切と距離を取る。 「歌仙さん、燭台切さんが」 彼の顔を見上げると初めて目にする厳しい表情をしている。燭台切を見る目が仲間を見るそれではなかった。 「主、僕の後ろに隠れて」 「でも、燭台切さんが...なんか、いつもと違います」 歌仙の袖を引きながら彼女が訴える。彼はその手をやんわりと除けてすらりと刀を鞘から抜いた。 駆けつけた彼らは燭台切の名を呼んでいたが、歌仙のそれを見て諦めたようにそれぞれ刀を抜く。 「待ってください、燭台切さんですよ。燭台切さん、返事をしてください、燭台切さん!!」 「駄目だよ、主。アレはもう燭台切ではない者になる。僕たちが討伐している敵と同じものになってしまう」 そう言って歌仙は彼女を燭台切からもう少し離そうと手を伸ばした。 その直後、彼の手に痛みが走る。 誰もがその音に反応して視線を向けてきた。 「主?」 手を弾かれた歌仙が覗うように彼女を見た。 「燭台切光忠」 凛とした声が部屋に響いた。 いつも、良く言えば相手を思いやるように、悪く言えば相手の機嫌をうかがうように声を掛けてくる彼女が初めて発した声音で皆は瞬きを忘れて彼女を見ていた。 「燭台切光忠、わたしはあなたがそちらに行くことを許した覚えはありません。戻って来なさい」 有無を言わせないその言葉に、“何か”になりかけていた燭台切の視線がゆったりと彼女に向かう。 庇おうとした歌仙を手で制した彼女は燭台切と視線を合わせた。 「ある..じ?」 燭台切の口から言葉が漏れた。 途端ぐぅとこの緊迫した場に似つかわしくない間の抜けた音が皆の耳に届いた。 「うわぁ...」 真っ赤になって彼女は歌仙の背に隠れる。 苦笑を漏らす歌仙はもう一度鋭い視線を燭台切に向けた。 彼の目の焦点は合っている。先ほどの禍々しい気ももうない。 歌仙は刀を鞘に戻した。 「主、冷めてしまったから温めなおしてくるね」 燭台切がそう言って盆を持って立ち上がる。 駆けつけていた仲間たちに気まずげに視線を向けて彼は厨に向かった。 「君は凄いね」 自分の後ろに隠れている彼女に歌仙は零して立ち上がる。 「いい子にして待っているんだよ」 そう言って歌仙は燭台切を追った。 「いや、中々凄い虫の声だったね」 からかうようににっかりがそういって部屋の前から去っていく。他の者たちも倣って彼女の部屋の前から去って行った。 「僕が持っていく」 冷たい声で歌仙に言われた燭台切は「頼んだよ」と頷き、温めなおした粥を彼に託した。 俯いて深く息を吐く燭台切の耳に 「もうだめかと思ったんだけどな」 と声が届く。 顔を上げると石切丸が立っていた。 「僕もだよ。と言っても、今となっては、だけどね」 燭台切は肩を竦めて返した。 「聞いてもいいかな。どんな感じだったんだい?なぜ、あちらに堕ちかけたんだい?」 「...たぶん、憎しみが強くなりすぎたんだろうね。人間の身勝手さに、少し憤りが過ぎたんだろうと思う。 真っ暗な世界に入り込んで、みんなが僕の名前を呼んでくれたのだろうけど、それは凄く耳障りな雑音だった。苛立ちが募って居たんだけどね。“燭台切光忠”って主が呼んでくれただろう?あの声だけが僕に届いたんだ。 届いた時には、それが僕の名前というのは把握できていなかった気がする。でも、その声の主が見たくて視線を向けた。何か良くわからない雲のような靄のような存在があってその隣にすごく眩しい存在があって。そして、また呼ばれて戻って来なさいと言われて。あ、僕戻らなきゃって思ったら腹の虫の鳴き声が聞こえてね。顔を真っ赤にしている主が目に入って、正気に戻ったのかな」 「そう。まあ、戻ってこられてよかったよ。主の前で、元仲間を斬らなくてはならないところだったからね」 石切丸が苦笑していうが、目が笑っていない。 「ああ、そうだね。彼女を悲しませるところだったね」 燭台切は瞑目する。 彼女にここに居ろと命じられたのが嬉しかった。 あの事件以来、燭台切は彼女から遠ざけられていた。 それに対して異を唱えるつもりはない。下手をすれば彼女を傷つけていたかもしれないのだ。仲間たちが警戒するのもわかる。 「燭台切さん」 声を掛けられて振り返る。 「僕に近づくなって言われない?」 彼女に苦笑しながら問うと彼女は「どうでしたか」と笑った。 「それで、僕に何か用かい?」 燭台切が問うと 「燭台切さん、尊い犠牲になる気はありませんか?」 と少しだけ物騒なことを言われてしまった。 「いいよ。何をしたらいいんだい?」 迷わず彼は頷く。 「わたし、お茶の淹れ方を覚えたいんです」 「僕が淹れてあげるよ。ちょっと待ってて」 そう言って厨に向かって行く燭台切に「違います」と彼女が言う。 「ん?」 「わたしが淹れられるようになりたいんです。というわけで、その練習台になってください」 燭台切は困ったように笑う。 「主に茶を淹れさせるわけにはいかないと思うんだけどね」 「わたしがしたいんです。さあ、教えてください」 「じゃあ、ちょっと待っててくれるかな。湯を沸かしてくるから」 そう言って厨に燭台切は向かって行った。 (そういえば、今日は誰だったっけ?) 思い出した。石切丸だ。彼は燭台切を危険視していないようだ。 湯を沸かし、急須と茶葉を持って彼女が待っている縁側に向かった。 燭台切が指導し、彼女はそれに従い、初めての茶を淹れてみる。 2人で並んで飲んで沈黙が降りる。 「薄い、ですよね」 「そうだね。少し薄いね」 燭台切が頷くのを見て彼女は茶を飲み干した。 「もう1回挑戦してもいいですか?」 「何度でも付き合うよ」 燭台切も彼女に倣って茶を飲み干した。 「あのね、燭台切さん」 茶葉を蒸らしている時間に彼女がポツリと言葉を零す。 「何だい?」 「わたしに、もう戸籍がないって教えてくれた人は..きっと誠実だったんじゃないかって思います」 燭台切は彼女の言葉を待ってみた。 「わたしみたいに、待つ人がない人には適当な嘘で誤魔化すことができたと思います。ありきたりの名前を言えばわたしは信じたと思います。でも、ちゃんと現実を教えてくれました。悲しかったけど、でも、そこは誠実だったんじゃないかなって思い始めています」 「君がそういうなら、僕がとやかく言う資格はないしそのつもりもないけど。でも、やっぱり、お上は身勝手だと思うよ」 燭台切の言葉に彼女は困ったように笑う。 「でも、だから。燭台切さんとの約束を守れなくなってしまいました」 彼女はそう言って俯く。 「まだ“保留”じゃないのかい?」 燭台切が問うと彼女は顔を上げて首を傾げた。 「だって、夢の中で呼ばれることがあるって言ってたよね。それを覚えておくとも」 「あ。言いました」 「僕は待つよ」 そう言って燭台切がほほ笑み、彼女は「はい」と頷く。 ふいに背後から呼ばれて彼女は「はい」と返事をした。それが自分の名だと素直に受け入れられた。 「主...」 燭台切が呆然と彼女を呼ぶ。 「あ、あれ?」 慌てて彼女は振り返った。 そこにはこんのすけの姿がある。 「こんのすけさん、今..わたしの名前」 「一度だけ、審神者様の前で先ほどの名を口にするように命じられておりました。ただし、二度と口にはできません。どんなに審神者様にきつく言われようと、それは禁じられております」 そう言って彼は姿を消した。 「え、と」 そう言って彼女は燭台切に視線を向ける。 「優しい響きだね」 知ってはならない人間の名を知ってしまって燭台切は少し戸惑いながらも、目の前の彼女が喜びを抑えたような表情を浮かべているのでそう言った。 「約束、守れちゃいました」 「うん。でも、きっとこれはもう口にしてはいけないのだろうね」 「はい。ですから、燭台切さん。内緒です」 そっとしまうように彼女は自分の胸に手を当てながら言った。 「うん、そうだね。内緒だ」 燭台切は少しだけ複雑そうな表情を浮かべて頷いた。 |
桜風
15.8.8
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