めぐり逢ひて 拾陸
| 毎月自分の時代に戻るのが恒例となったある日、彼女は深いため息を吐きながら釦に手を掛けた。 「いかがされましたか、ぬしさま」 几帳の向こうから居るはずのない人物が声を掛けてきて彼女は一瞬息が止まった。 しかし、もう一度息をゆっくりと吐いて呼吸を整え、 「小狐丸さん。ここ、わたしの部屋ですよ」 と声を掛ける。 先ほどまで自分の時代に戻っていた。 月に一度、月のものがあるとこちらでの生活は不便になる。 皆の、というか前田の勧めで自分の時代に戻り、3~4日生活をして戻って来る。 向こうに行くときはこちらの服のまま行き、戻って来るときはあちらの服で戻って来る。 よって、一旦着替えなくてはならない。向こうでの生活は洋装だ。こちらも洋装で過ごしても誰も何も言わないだろうが、出来れば脚を隠しておきたい。 和装の方が脚はしっかり隠れる。 彼女の時代との行き来ができる術は、彼女の部屋の奥の塗籠のような狭い部屋の中に施されている。 部屋の中心部に方陣のようなものがあり、そこで決められた言葉を紡げば道が開くのだ。 その言葉は人それぞれだと聞いている。だから、他の審神者が仮にこの城にやってきて向こうに行こうと思っても彼女のが通る道と全く同じ道を通って元いた時代に戻ることはできない。 道はひとりひとつと決まっている。 彼女が毎月自分の時代に戻ることについては、理由を明言していないものの、ほとんどの者が察しており、そのため快く送り出してくれている。 少なくとも表向きは。 だが、彼女はいつも戻る時の足取りが重かった。 いつもというよりここ数回だ。 凄く不安になる。 大丈夫だと自分に言い聞かせてみても、扉を開き、この城の自室を眺めても落ち着かない。 だから、戻って来るとその不安をやり過ごすためにため息が漏れる。 着替え終わった彼女は几帳から姿を現した。 「ぬしさま」 正座をして彼女を待っていた小狐丸が目を細めて見上げてきた。 「なんでわたしの部屋にいたんですか?」 「そろそろぬしさまがお戻りになられると思いましたゆえ。少し、我慢が効きませんでした」 悪びれる様子もなく、この部屋の主の不在時に部屋に入り込んだというのだ。 「そうですか。他の人に怒られないよにしてくださいね」 「はい」 嬉しそうに彼は頷く。 「ところでぬしさま」 「何ですか?」 部屋の隅に立てかけておいた杖に手を伸ばす。自分の時代にこちらで誂えたものは持っていかない方がいいだろうと思っておいている。式神に支えてもらえれば、一応事足りるのだ。 ちなみに、杖立ては陸奥守が作ってくれた。彼は意外に手先が器用なのだ。 「先ほどは、酷く重いため息を吐かれておられましたが、何かあちらで問題でもありましたか?」 そう言われて彼女はちらと小狐丸を見た。 「いいえ」 「では、体調がすぐれませんか?」 「いいえ、元気です」 「こちらの生活がお嫌ですか?」 「まさか」 思いつく限りのため息の原因を挙げてみたものの、すべて違うと否定された。 彼女は自分たちに心配を掛けまいと嘘をつくことがある。 今回の彼女の言葉に嘘はなかった。 では、何だろうと考える。 だが、思いつくものは今出尽くした。 「ぬしさま、私ではぬしさまの愁いを取り除くことはできませぬか?」 訴えるように小狐丸が言う。 「大丈夫ですよ」と彼女は返したが、小狐丸は視線を外さない。 彼女はそっとため息を吐き、部屋の隅にちょこんと座り、隣をぽんぽんと叩く。 その意味を理解した小狐丸は彼女の隣に腰を下ろした。 「ないしょですよ」 彼女がそう言い置く。 小狐丸が頷いたのを確認して彼女は言った。 「わたしは、こちらに戻って来るのが怖いんです」 「なにゆえですか?ぬしさまの時代は戦がないと聞いております。恐ろしいですか?」 「いいえ。戦は..わたしはこの城から出たことがないので正直ピンときません。 皆さんが怪我をして戻るととてもつらいのですが、それが理由というわけではありません」 「ぬしさまの時代の食事とこちらの食事では様子が違うと聞きました。食事がまずいですか?」 「いいえ。皆さんの作ってくださる食事はわたしは好きです。向こうで食べるものよりも美味しいです」 (なにゆえ...) 分からない。 小狐丸は彼女の言葉を待った。 「ここに戻ってきたとき。皆さんと過ごした日々が実は夢だったのではと不安になるのです」 「夢、ですか?」 小狐丸は首を傾げた。 「はい。わたしは、ここでの生活がとても幸せで。だから、本当は自分が描いた理想を夢で見ているのではないかと思うのです。目が覚めたら..全然違うところにいて。皆さんにお会いしたことも、わたしの願望なのではないかと思うんです。皆さん優しくて、親切で、とてもわたしを大切にしてくださっているので」 そう言って彼女は目を伏せた。 暫く彼女を眺めていた小狐丸が「ぬしさま」と声を掛ける。 「はい」 顔を上げると彼はにこりとほほ笑んだ。 「では、この小狐丸がぬしさまがぬしさまの時代から戻られるときには、今日みたいにぬしさまをお出迎え致しましょう」 彼女はきょとんとする。 向こうには3~4日留まる。 3日の時もあれば、4日の時もあるし、2日で戻ってきたときもあった。 つまり、滞在期間は決まっていないのだ。 「どうやって?」 彼女が問う。 「そうですね。強いて言えば、野生の勘でぬしさまがお戻りになられる日に先ほどのようにお待ちいたします」 そう言われて彼女は苦笑いを浮かべた。 「野生の勘ですか?」 「おや、ぬしさまは野生の勘を信じていただけないのですか?」 「いえ、信じていないというか...」 何といっていいのだろうか。本気のようだが、気休めを言われているような気もする。 「では、次回からお願いしてもいいですか?」 「畏まりました」 良くわからないが、小狐丸は心からそう思ってくれているのだ。だったら、お願いしようと思った。 「ああ、主。おかえり」 彼女の霊気を感じてやってきた歌仙が顔を覗かせてきた。 部屋の隅で並んでいる彼女と小狐丸に些か疑問を持ったようだが、彼女の表情を見てお小言を言うのはやめた。 いつも戻ってきたときにはこわばった表情をしている彼女が笑っているのだ。 「ただいまです」 「さあ、主。君が不在中の出来事の報告をさせてくれるかい」 「はい、お願いします」 そう言いながら彼女が手を差し出し、歌仙がその手を取って立ち上がるのを手伝う。 小狐丸が彼女の杖を持って立ち上がってそれを渡した。 「ありがとうございます」と受け取り、その杖を使って彼女は広間に向かって行った。 |
桜風
15.9.23
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