めぐり逢ひて 参拾漆
| 彼女はいつも概ね同じ時刻に起床する。 着替えた彼女は、隣室の控えの間に声を掛けた。 隣室との境となっている襖が開き、「おはよー、主」と夜番だった加州がやってくる。 「おはようございます」と返しながら彼女はなんだか城の中の雰囲気に違和感を覚えていた。 加州以外の者が夜番の時は、彼女自身が髪を梳かして適当に結び、広間に向かい、食事を摂る。 その後、加州が髪を整えるために、彼女の髪を丁寧に梳り、椿油を塗って髪を結う。 しかし、加州が夜番をしている場合は、彼が朝食前から丁寧に彼女の髪を整えるのだ。 だから、彼が夜番になった時はいつもよりも早起きをしなくてはならない。 何せ、彼女が広間に行かない限り皆が朝餉を口にできないのだから。 「主、今日の髪紐の色は何が良い?」 彼女の黒くて艶やかな髪に櫛を通しながら加州が問う。この髪を整えるののは自分の特権で、そして、その成果が目の前の美しい髪なのだ。 「そうですね」 彼女の目の前には彼が用意している髪紐がある。 彼が給金で購入している物だ。彼の趣味は彼女の髪を整える事であり、そのための出費だから気にするなと言われている。 実際、彼女に渡すのではなく、髪を整えるときに持参するものなので彼女は一応納得している。 「白が良いです」 「主って、白が好きだよね」 かなりの確率でその色になる。 加州は白い髪紐を取って彼女の髪を結った。 「ほい、出来た」 加州の言葉を受けて彼女は目の前の鏡を見る。 「いつもありがとうございます」 彼女は加州に礼を言う。 「ううん、俺が主を可愛くしたいんだから」 そう言って彼は彼女の髪を手入れするために自室から持ってきている道具を片付け始める。 廊下を走る足音が聞こえて、珍しいなと思っていると障子越しに「主君!」と緊張した声音で声を掛けられた。 「はい、起きています。どうしましたか?」 彼女が返事をし、加州が障子を開けてやる。 「大変です。燭台切殿が...」 加州と彼女は顔を見合わせた。 急ぎのため、加州に抱えられて彼女は広間に向かった。 毎日食事の支度をしてくれている燭台切は、今日もそのつもりで厨で準備をしていたのだが、倒れてしまい、手伝いに来ていた短刀が何とか広間に連れて行ったという。 「そういえば、今日は声が少ないですね」 ほとんどの者が早起きで、だから大抵朝食前に鍛錬を積んで一汗掻いたりしている者もいる。 だが、その声が聞こえない。 「そういえば、暑苦しい声が聞こえないね」 彼女の呟きでいつもと違う城の雰囲気に気づいた加州は頷いた。 広間に辿り着くと、他の刀剣も集まっていた。 皆一様に顔色が良くない。 「どうしたの。拾い食い?」 彼女を降ろしながら加州が広間の中の皆に向かって声を掛けた。 「そんなわけないじゃん」 青ざめた大和守がそう返した。 「あるじさま、どうしたらいいでしょう」 今剣が彼女の袖を引いて言う。 「今、調子を崩していない人って誰ですか?」 「僕たち短刀と、蛍丸と「ぬしさまー!」 秋田の言葉に被さるように別の声が届く。 言わずもがなで小狐丸だ。 彼女に圧し掛かるように抱きついてきた。 「貴様!」 止めようと立ち上がった長谷部がふらつく。 「長谷部さん、立つと危ないので座っててください」 彼女に言われて「はっ」と彼は返事をしてすとんと座った。 「小狐丸さんは元気そうですね」 「ええ、これからもぬしさまのお役に立つことができます」 そう言って優越の視線を部屋の中に向けた。 「こんのすけさん」 彼女が呼ぶと「お呼びですか、審神者様」と彼が現れる。 「今、この城の中で起こっている現象は他の時代、場所でも起きている事なのか、政府に確認してきてください」 「かしこまりました」 ふっと狐が消えた。 立ったままだと辛いだろうと勧められて彼女も腰を降ろす。 「鳴狐、しっかりしてください!」 彼のお供の狐は元気そうだ。 つまり、体調を崩しているのは刀剣の彼らのみ。 そして、体の小さい短刀と蛍丸、何故か加州と小狐丸が元気という状況だ。 彼女は考える。 (元気な人たちの共通点は何だろう...) 「ぬしさま、お離れください。これは流行り病かもしれません。ぬしさまに移っては大変です」 「大丈夫です。わたしたち人間の病に皆さんが罹らないのなら、逆もありません」 彼女は言い切り、 (考えろ、考えろ...) 自分を叱咤する。 そして、ふと気づいた。 短刀で唯一体調を崩している者がいる。薬研だ。 そして、浮かんだ答えが一つ。 「薬研さん」 「なんだ、大将」 笑みを浮かべて彼は返事をするがいつもの覇気がない。 彼女は彼の元に行こうとした。 「待て、俺っちが行く」 そう言って彼は立ち上がり、ふらつきながら彼女の元へとやってきた。 人ひとり分空けて彼は彼女に向き合って座る。 「もうちょっとこっちに」 「ん?」 ずいと進んで殆ど膝がくっつくくらいの距離になった。 「失礼します」 そう言って彼女は膝立ちになり、薬研に抱きついた。 「ぬしさま?!」 部屋の中が騒然となった。 抱きつかれた薬研は目を丸くして驚き、そして「大将、こいつはどういうことだ...」と呆然と呟いた。 薬研の表情に覇気が戻った。 彼女は薬研から離れた。くらっと眩暈がしたがそこは何とか踏ん張る。 「体調を崩していない人たちの共通点を考えたら、わたしとの直接的な接触が多いという事でした。 短刀の皆さんと蛍丸さんは手を繋いだりしていますし、加州さんは毎朝髪を整えてくださっています。小狐丸さんは..まあ、ご存じのとおりです。短刀で唯一そういう接触をあまりしていない薬研さんの体調が良くないみたいだったのであたりをつけることができましたけど...」 「主、大きな刀身の者にそれをしてはいけないよ。少なくとも今は」 そう声を掛けたのは石切丸だ。 彼女は頷く。 「たぶん、わたしと直接的な接触をすることでわたしの中に有るかもしれない霊力的な何かをお分けしているんだと思います。でも、今皆さんの必要充分な量をわたしは備えていないので、全部お分けすることになってしまいます。そうなると、わたしが体調を崩すことになると思われます」 彼らの体調の戻し方はなんとなくわかった。 では、それをどうやって補完するかが問題だ。 例えば、彼女の霊力が100だったとして、太刀は枯渇している量が120だったら、全部奪われてしまう。 霊力という表現をしているが、所謂生命力と同義語だろうと彼女は思っている。 石切丸が注意してきたという事は、大きく間違っていない認識のような気がする。 「審神者様」 こんのすけが現れた。 「どうでした?」 「多くの審神者の元で同じような現象が起きているようです。原因は不明ですが...」 「引き続き情報を収集してください」 彼女が言うと「かしこまりました」とこんのすけが頷く。 「審神者様、ご提案ですが」 こんのすけが言った。 「何ですか?」 「刀剣の生命力が落ちればあなたの疲労も大きくなると思います。いくつか解いては如何でしッ」 広間の空気が固まった。 彼女は自分の側に居て意見をしているこんのすけの頭をグンと畳に押し付けて黙らせたのだ。 こんなことをする彼女を見るのは初めてだ。 「失礼しました。こんのすけさん、さがってください」 彼女の言葉を受けてこんのすけはすっと消える。 「主」 長谷部が声を掛けた。 「えーと。まず、先ほどのこんのすけさんの意見を聞く気は一切ありません。そして、立候補した人とは一生口をききません」 彼女はそう言ってにこりとほほ笑み、 「長谷部さん、何ですか?」 と彼に声を掛けてきた。 「何でもありません」 おずおずと彼は下がった。 「お腹が空いてるから、後ろ向きになるんです」 彼女が突然そう言った。 「取り敢えず、この問題はわたしに預からせてください。必ず何とかします」 彼女は広間の彼らの顔を見渡しながらそう言った。 そして立ち上がり、短刀たちを振りかえって「手伝ってください。朝ご飯の用意をします」と声を掛けた。 彼らは頷き、彼女と共に広間を出て行った。 「俺も手伝ってこようっと」と加州が続き、「ぬしさま」と小狐丸が広間を出て行く。 「朝ご飯って、何を作ったらいいんだろう...」 彼女は厨で途方に暮れた。 いつも燭台切が準備をしてくれている。共に準備をしている堀川や歌仙も動けない。 「ご飯、炊けます?」 その場にいる短刀たちに問うと「できます」と秋田が言った。 「僕、興味があるから良くここで見学してたんです。大丈夫です...たぶん」 最後に自信のない言葉を付け足したが、彼は頷いた。 「では、お願いします。えーと、ごはんと..お漬物?」 少なくとも、白米だけという状況は朝ご飯を準備すると言った手前、あまりに色々と足りない気がする。漬物も付けてもまだ朝食とは言いづらきがしてきた。 「お味噌汁も作ります」 彼女の宣言に短刀たちは怯む。 「大丈夫でしょうか...」 「食材は、申し訳ないですが切ってください。わたし、包丁持たせてもらったことがないので...」 「わかりました」 平野が頷いた。 「主君、漬物はどれでしょうか」 毎日糠漬けを出されている。徐々に人数が増えたので、ぬか漬けを作っている糠床の壺も複数ある。 「聞いてきます」 そう言って彼女が広間に戻ろうとした。 「ぬしさま、よろしければ私がお連れ致しますよ」 小狐丸が声を掛けてきた。 「では、お願いします」 広間で燭台切は彼女に漬物について確認された。たしかに、壺ごとに、順番を決めている。 「主、僕もつれて行ってくれないか」 「駄目です」 燭台切の申し出は彼女に却下された。 「でも、気になってしまうよ」 「いいですか、燭台切さん。わたしたちの時代には“母の日”というものがあってですね。いつもご飯を作ってくれるお母さんの代わりに子供とかお父さんがご飯を作ることがあるんです」 そう言って彼女は広間を去って行った。 「...え、今のどういうこと?」 燭台切は振り返って部屋にいる仲間たちに意見を求めた。 「あー、あれだ。そういう事だろう」 鶴丸が視線を泳がせながらそう言った。笑いをこらえているようにも見える。 「まあ、落ち着いたらどうだろう」 言葉のとおり、落ち着いた声音でそう言ったのは歌仙だった。 「うん...気になってたけど、意外に君は落ち着いているね」 にっかりが言った。 彼女の事になるとそれなりに熱くなる印象があるあの歌仙がゆったりと構えているのだ。 「主は、これまでに僕たちが諦めそうになった時に事態を収めたことがあるからね。今回も他ならぬ主が「何とかする」と言ったんだ。だったら、仕えている僕たちはそれを信じて待てばいいんだよ」 「そんなことあったか?」 和泉守が問う。 「この城が燃えていた時、彼女はすぐに棟を落とすように指示をした。だから、住処がを失わなくて済んだんだ。あの時の加州だって、僕たち全員が諦めたけど、彼女はそれを回避した。主はね、いつも自分を低く評価するから僕たちも下手をすればそれに慣れてしまっているところがあるけど、洞察力と決断力は高いと思うよ。思慮深いし」 言われてみれば、この城ではこれまで色々な出来事があったが、無事に今を迎えられている。刀剣の自分たちだけでそれができているとは思えない。 「さすが主」と心酔したように長谷部が呟く。色々と思い出したのだろう。 「大将の時代の医療ってのはどうなってるんだ?たとえば、今回みたいな体調不良のときとか。やっぱり療養しかないのか?」 手持無沙汰の薬研が聞いてきた。 「そうですね。あとは、栄養剤を点滴するとか」 「点滴?」 「血管に針を刺してそれに管を通して直接栄養のある液体を体に入れるみたいです」 彼女はそういう医療行為を受けたことがないが、聞いたことがある。 栄養失調だったあの時も、結局粥を口にしてゆっくりと体を慣らしていったのだ。 「ああ、でも。直接体に入れるってことは、吸収しやすいのかもしれないな」 薬研の呟きを耳にした彼女は彼をじっと見た。 「何だ?」 「それです...たぶん」 「ん?」と薬研は首を傾げた。 「あるじさま、おこめがたけましたー」 今剣が声を掛けてきた。 「わかりました」 「御櫃に移しますね」 そう言われて彼女は頷き、「おにぎりを作ります」と言った。 「握り飯?まあ、食いやすいかもな」 薬研が頷く。 「では、ぼくもおてつだいしますねー」 今剣が手を出そうとしたがそれを彼女が止めた。 彼は首を傾げる。 「たぶん、これはわたしのお仕事です」 そう言って熱々のご飯を前に気合を入れる。 おにぎりの作り方は、燭台切が作っているのを後ろから見ていたから知っている。自分のおぼろげな記憶の中の母親も作っていた。 自分との接触が彼らの霊力的な何かの回復になるのなら、自分が触れたものを直接体に入れれば少しは回復をするのではないかと思ったのだ。 だから、直接触れて作る原始的なものでおにぎり。 しかし、おにぎりはご飯の熱いうちに作らなければならない。普段、こういったことをしていない彼女の手は真っ赤になった。 涙目になりながら彼女は炊きあがった米をすべておにぎりにした。 「主君、冷やしてください」 水を張った桶を用意していた秋田が声を掛けてきた。言葉に甘えてそれに手を突っ込む。 井戸から汲んできた冷たい水が気持ちいい。 「ねえ、主。お味噌汁はどうする?」 食材を切り終わった味噌汁組は、彼女の握り飯ができるのを待っていた。 「作ります」 出汁を取り、食材を入れて煮込んで味噌を混ぜる。 見た目は上手くできた。では、味は?と味見をした彼女は首を傾げた。 「味が薄い気がする」 そう言って味見に使用した皿を傍にいた乱に渡した。 「本当だね。お出汁が薄かったのかも」 一口味見をした乱が言う。 「お味噌を足して誤魔化せませんかね?」 彼女が相談すると 「うーん、このままの方がまだマシかも」 と言われたので、そのまま出すことにした。 糠床から漬物を彼女が取りだし、切ったのは五虎退だ。 何とか朝ご飯が完成した。 「御膳、どうする?」 「みんないつものように食べるの辛いと思うから鍋ごと持っていって配ろうよ」 加州の提案に皆が頷いた。 正直、疲れた。 広間に彼女と短刀たちが戻ってきた。 彼女の側で愛染は盆を持ち、彼女が握り飯を手渡しする。 味噌汁と漬物は準備が整い次第、皆で手分けをして配った。 全員に行きわたったのを確認して随分と遅くなった朝餉の時間となった。 握り飯は、水をつけすぎていたし形も不恰好。味噌汁は薄い。 だが、皆はそれにがっついた。よほどお腹が空いていたんだな、と彼女は申し訳なく思う。 こんなに遅くなったのは自分の手際の悪さだ。 食事が終わると皆の顔色が少し回復していた。 (やっぱりご飯は大切だなー) 毎日ちゃんとご飯が食べられるという幸せを再認識して彼女も食事を終えた。 何より、これを繰り返して行けば、きっと皆は回復するはずだ。 「主」 声を掛けられて振り返ると一期が立っていた。 「一期さん、休んでてください」と彼女は慌てる。 「ありがとうございます。主、薬研に申し付けておきましたので、火傷に効く軟膏を塗っておいてください」 そう言って彼は一礼していなくなる。 (ああ...) 自分の手のひらを見た。赤くなっており、ひりひりしている。 やはりこれは火傷か... すぐに冷やしたが、火傷にはなったらしい。 彼女が食事を作るようになって10日ほど経ってから政府の情報が入った。 今回の件は、歴史修正主義者の呪術的な攻撃によるものだったらしい。 こんのすけの助言のように刀を解いた者、無理をおして出陣させた者とその経緯は様々ではあるが、各時代の多くの審神者の元で刀剣男士を失うこととなったとか。 かなり後手に回ったことになるが、その呪術を防ぐための札が配布された。人の手による呪術なので、人の手によって防御ができるという事らしい。 彼女も城の四方にそれを貼ってみた。何だか空気は変わった気がするが、効果はイマイチわからない。 如何せん、この城では出陣も遠征も皆が回復するまで取りやめることとしたし、彼女が食事を作り続けていたこともあって彼らはほぼ回復していたのだった。 「おはようございます」 彼女は襷紐を縛りながら厨の燭台切に声を掛けた。 「おはよう、主。じゃあ、御櫃に移そうか」 炊き上がった米が御櫃に移されて彼女の目の前に置かれる。 彼女はおにぎりを作っていく。 彼らが回復してからもひとりひとつ、朝餉に彼女が握ったおにぎりが配られている。 そして、彼女は糠床の管理も任されるようになった。 普段から安定して彼女の力を分ける手段として採用されたのだ。 「ほら、主。君はとても優秀なんだ。前の襲撃の時もこの城が城下も含めて一番被害が少なかったんだろう?」 歌仙がここぞとばかりに彼女の意識改革を狙うが 「たまたまですよ」 と彼女が返す。 その強情っぷりに歌仙はそっとため息を吐いた。 |
桜風
17.1.9
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